第3話 白粉まみれの玉座
それは、5時間目が始まる直前の、ほんのわずかな休み時間のことだった。
俺――蓮 が売店でのパシリ任務から戻り、教室のドアを開けようとしたその瞬間、廊下に耳障りな笑い声が響き渡った。
「あら、ごめんなさーい。手が滑っちゃったわぁ」
声の主は、他クラスのいじめっ子女子グループのリーダーだった。
彼女たちが取り囲んでいたのは、我が主である一条冷華お嬢様の机。
バサバサと不快な音を立てて、お嬢様の机の上に、大量の白い粉が降り注ぐ。
掃除用具入れから持ってきたであろう、チョークの粉が満遍なく詰まった黒板消し。それを、お嬢様の頭の上や、机の真ん中でわざとらしく叩きつけたのだ。
お嬢様の綺麗な、一条財閥特注のオーダーメイド制服が、見る影もなく真っ白に汚れていく。
さらには、机の上に置かれていたノートや教科書にまで、白い粉が容赦なくこびりついた。
「キャッ……! そ、そんな……ひどいですわ……」
お嬢様は短い悲鳴を上げ、その場にへなへなと崩れ落ちるように机に伏せた。
肩を小さく震わせ、両手で顔を覆って、今にも泣き出しそうな声を漏らす。
誰が見ても、理不尽な悪意に傷つき、怯える哀れな被害者そのものの姿だった。
「没落寸前のバカ令嬢のくせに、いつも澄ました顔してるからよ!」
「そうよ! これでお勉強のやる気も少しは出るんじゃない? あ、バカだから教科書なんてあっても意味ないっか!」
いじめっ子女子たちはクスクスと下品に笑いながら、さらにエスカレートしていく。
一人がお嬢様の机の上から英語の教科書をひったくると、ビリッ、ビリッ、と乱暴な音を立てて、中のページを何枚も引き破り始めた。
破られた紙切れが、チョークの粉が舞う床へと無残に散らばっていく。
「これ、ゴミ箱がお似合いよね!」
破り終えた教科書の残骸を、彼女たちは教室の隅のゴミ箱へと笑いながら投げ捨てた。
教室の入り口で、俺はパンの袋を握りしめたまま、「うわぁ、大変だ……」とでも言いたげな、気弱で頼りないパシリ委員長の表情を作って立ち尽くす。
他クラスの連中は、そんな俺の姿を見て「お前も早く掃除しろよ、バカクラス」と鼻で笑い、満足そうに自分たちの教室へと戻っていった。
教室から他クラスの気配が完全に消え、Xクラスの面々だけが残された、その瞬間。
(――はぁ。本当に退屈。ねえ蓮、今すぐこのゴミ共を、全員蜂の巣にしたいのだけれど)
机に伏せてシクシクと泣いていたはずのお嬢様のインカムから、地獄の底から響くような、ゾッとするほど冷酷な女王の声が届いた。
お嬢様はゆっくりと顔を上げ、衣服についた白い粉を、不愉快そうにパッパと手で払い落とす。
その瞳の奥には、涙の跡など一滴もなく、狂気と絶対的な殺意がギラギラと宿っていた。
『お嬢様、通信入っています。ハッカー、今の女子グループ全員の音声データと、教科書を破った瞬間の映像データを完全保存。ヤンキー、廊下の監視を継続しろ』
『了解っす、委員長。あいつらの父親の会社、一条財閥の圧力で明日までに丸ごと倒産させます? それとも、今日の夜道で肉体的に処理します?』
インカム越しに、クラスの戦闘プロ(ヤンキー)が、ナイフの刃を弄ぶような物騒な音を響かせる。
俺は落ちていた教科書の破片を静かに拾い集めながら、お嬢様の前に跪いた。
「お嬢様、今はまだ学園でのカモフラージュ期間です。旦那様からの『一般社会に溶け込め』という命令がある以上、公に動くのは悪手かと。ですが……心の平穏を害する害虫に関しては、我々が裏で『偶然の事故』として間引いておきます」
「ええ、分かっているわ。パパのメンツを潰すわけにはいかないものね。でも……」
一条冷華お嬢様は、破られた自分の名前入りのページを踏みつけ、艶然たる、しかし冷徹な笑みを浮かべた。
「あのゴミ共が泣き叫びながら、私に許しを請う姿は、今から本当に待ち遠しいわ」
お嬢様をいじめる他クラスの一般人たち。
そして、俺たち護衛をパシリにして蹴り飛ばすエリートたち。
彼らは自分たちが、どれほど凶悪な『バケモノの群れ』の尾を全力で踏み抜いているのか、未だに一ミリも気づいていないようだ。
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