第7話 祈りが多すぎて処理できません
神様は、人間の願いを聞いている。
子どもの頃、悠斗はそう教えられた。
困ったときは祈ればいい。
神様は見ていてくれる。
必要なら奇跡を起こしてくれる。
そんな話を、祖母がよくしていた。
――だが、その神様にも処理能力の限界があるらしい。
◇
「応援要請です!」
朝六時。
休日にもかかわらず、アリアが部屋の中を走り回っていた。
銀髪を揺らしながら、神界の通知画面を抱えている。
「奇跡管理局が人手不足だそうです!」
「休日くらい寝かせてくれ……」
悠斗は布団の中から片目だけ開けた。
時計を見る。
まだ六時を少し過ぎたところだった。
「神界全体へ応援要請が出ています!」
「新人のお前まで呼ばれるのか?」
「レビュー管理部から二名、運命管理局から三名、天候管理局から一名が応援へ向かいます!」
「レインも?」
「『面倒だから行かない』と言って寝ようとしたところを、局長に引きずられて行きました」
「想像できるな」
悠斗はゆっくり起き上がる。
「奇跡管理局って何をする部署なんだ?」
「人間から神様へ届く祈りを受け付け、必要に応じて奇跡を実施する部署です」
「毎日そんなに忙しいのか?」
アリアは少し困ったような顔をした。
「件数をご覧になりますか?」
「見る」
画面を悠斗へ向ける。
そこに表示されていた数字を見て、悠斗は固まった。
《本日受付件数》
《3,842,711,904,112件》
「……桁が分からない」
「約三兆八千億件です」
「一日で?」
「はい」
「人間そんなに祈るのか?」
「無意識の願いも含まれます」
「無意識?」
「『今日も晴れてほしい』『電車に間に合いますように』『お昼は唐揚げがいいな』なども祈りとして受信されます」
「最後は願望だろ」
「神界では同じ分類です」
悠斗は頭を抱えた。
「全部読むのか?」
「読めません」
「だろうな」
「現在は自動分類です」
アリアが胸を張る。
嫌な予感しかしない。
◇
神界・奇跡管理局。
悠斗は特級レビュアーという立場で、特別に内部見学を許可されていた。
巨大な白い空間。
天井も壁も見えないほど広い。
その中心には、無数の光の粒が流れている。
一つ一つが、人間の祈りだった。
「きれいですね……」
アリアが思わず見上げる。
「全部、誰かの願いか」
光は絶え間なく降り注ぐ。
毎秒、何百万。
何千万。
数え切れないほどの祈りが神界へ届いていた。
「処理班、急いでください!」
「未分類が増えています!」
「海外サーバー……いえ、海外地域から大量流入!」
神々が慌ただしく走り回る。
奇跡管理局だけは、他部署とは雰囲気が違った。
誰も怒鳴らない。
だが全員、疲れ切っている。
書類ではなく、光そのものを抱えて運んでいた。
「レビュー管理部より応援です!」
アリアが受付で名乗る。
白衣姿の神が振り返った。
「ありがとう! まず分類端末を使って!」
「はい!」
アリアは光を一つつかみ、分類装置へ入れる。
画面に文字が表示された。
《彼女ができますように》
分類。
《恋愛》
処理完了。
次。
《テストに受かりますように》
《学業》
次。
《宝くじが当たりますように》
《金運》
次。
《明日会社が休みになりますように》
《生活》
ものすごい速度で処理されていく。
「全部これですか?」
悠斗が尋ねる。
「はい」
担当神が疲れた笑顔を見せた。
「まず単語を抽出し、カテゴリへ分類します」
「そのあと?」
「優先順位を付けます」
「基準は?」
「願いの種類です」
画面を見せてもらう。
《災害》
優先度S。
《病気》
A。
《恋愛》
D。
《金運》
E。
《娯楽》
F。
「単純ですね」
「件数が多すぎるので」
「切実さは?」
「分類対象外です」
悠斗は眉をひそめた。
「例えば『助けて』は?」
「文脈によります」
担当神が実演する。
《推しのライブチケット当ててください! 本当に助けて!》
《娯楽》
F。
《助けてください。息が苦しいです》
《医療》
A。
「普通ですね」
「単語だけ見れば」
担当神がため息をつく。
「問題はこちらです」
別の祈りを表示する。
《もう疲れました》
分類。
《生活》
D。
「これだけ?」
「はい」
「本当に?」
「単語上は、生活相談です」
さらに。
《今日も誰とも話しませんでした》
《生活》
D。
《このまま消えても誰も困らない》
《人生》
C。
「全部、自動分類です」
担当神の声が重くなる。
「文脈が読めません」
悠斗は画面を見つめた。
願いではない。
助けを求める声だ。
それなのに、「生活」というカテゴリへ押し込まれている。
「全部読むわけにはいきません」
担当神が続ける。
「一日三兆件です」
「分かっています」
「だから単語で分類するしかないのです」
「それでも見落とします」
「はい」
神も、それを理解していた。
◇
「問題があります」
悠斗が言う。
周囲の神々が振り向く。
「単語だけで判断していますよね」
「現在最速です」
「でも、人間は同じ言葉でも意味が違う」
「全件読むのは不可能です」
別の神が答えた。
「一件一秒でも十二万年以上かかります」
「だから単語で分類しています」
「その結果、本当に助けが必要な人が埋もれている」
「仕方ありません」
「仕方なくない」
悠斗は分類画面を操作した。
「緊急性だけじゃ駄目です」
「では?」
「継続期間」
神々が首をかしげる。
「同じ人が、毎日同じ内容を祈っていたら?」
「……」
「一回だけ『疲れた』と言う人と、半年間毎日『疲れた』と言う人は違います」
担当神が画面を見つめる。
「履歴は保存されています」
「使ってないんですか?」
「件数が……」
「もう一つ」
悠斗は続けた。
「周囲への影響」
「影響?」
「その人だけの問題か。家族がいるか。一人暮らしか。近所との関わりはあるか」
「祈りだけでは分かりません」
「ほかの部署の情報を使えば?」
その場が静まり返る。
「生活管理局」
「運命管理局」
「健康管理局」
「全部情報持ってますよね」
神々が顔を見合わせる。
「部署が違います」
一人が答えた。
「共有されていません」
「また縦割りか」
悠斗は思わず額を押さえた。
「世界を管理してるのに」
「予算が……」
「部署権限が……」
「個人情報が……」
「人間界と変わらないじゃないか!」
奇跡管理局全体が静かになった。
アリアが小さく手を挙げる。
「神崎様の案なら……」
「うん?」
「レビュー管理部なら、部署横断検索ができます」
全員の視線が集まる。
「特級権限限定ですが」
悠斗はため息をついた。
「また俺か」
◇
三時間後。
試作システムが完成した。
検索条件。
《同一祈願・継続三十日以上》
《生活変化あり》
《周囲との接触減少》
《健康悪化》
《一人暮らし》
「実行」
画面が動く。
三兆件の祈りが、一気に絞り込まれる。
一億件。
百二十万件。
三万件。
八百件。
十五件。
最後に。
一件だけが赤く光った。
「これです」
画面を開く。
七十八歳。
一人暮らし。
男性。
毎日同じ祈り。
《今日も生きています》
《誰か来てください》
《話し相手がほしいです》
《もう三日、誰とも話していません》
《寒いです》
《今日も誰も来ませんでした》
《大丈夫です》
《でも少し寂しいです》
《神様》
《まだいますか》
祈りは百四十三日続いていた。
分類は、ずっと《生活》。
優先度D。
誰も読んでいない。
誰も気付いていない。
奇跡管理局の神が震える声で言った。
「ずっと……届いていたのですね」
「届いてた」
悠斗は静かに答える。
「でも処理されなかった」
アリアが目を潤ませる。
「奇跡を起こしますか?」
「まず現状確認」
悠斗は言う。
「助け方を間違えるな」
◇
運命管理局。
生活管理局。
健康管理局。
三部署の情報を統合する。
老人は軽い脱水状態。
近所付き合いはほぼない。
家族は遠方。
最近、郵便受けも数日分たまっている。
「危険です」
フェイトも珍しく真剣な表情だった。
「あと数日で生命維持に影響する」
「奇跡を使う?」
アリアが尋ねる。
悠斗は首を振る。
「まず、人間の助けで届く方法を」
「どういう意味ですか?」
「近所の民生委員」
「新聞配達」
「宅配」
「行政」
「誰かが気付けば助かる」
奇跡で突然元気にするより、人間社会が機能したほうがいい。
神は、そのきっかけだけを作ればいい。
フェイトが運命線を少しだけ動かす。
「新聞配達員が、異変に気付く」
生活管理局。
「民生委員の訪問予定を一日前倒し」
奇跡管理局。
「近所の住民へ、『少し気になる』という違和感を付与」
三つの小さな調整。
それだけだった。
◇
翌日。
新聞配達員が郵便受けに新聞を入れようとして止まる。
「……昨日の新聞が残ってる」
翌週。
民生委員が訪ねる。
「こんにちはー」
返事がない。
警察へ連絡。
玄関が開く。
老人は布団で横になっていた。
意識はある。
救急車が呼ばれた。
命に別状はなかった。
◇
奇跡管理局では、小さな拍手が起きていた。
「助かりました」
「奇跡を使わず」
「人間同士で」
担当神が深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「礼はいいです」
悠斗は画面を閉じる。
「分類方法を直してください」
「はい」
「単語だけじゃなく」
「継続期間」
「周囲への影響」
「複数部署連携」
担当神は一つずつ書き留める。
「これから大変ですよ」
「分かっています」
「でも」
担当神は少し笑った。
「今日みたいに助かる人が増えるなら、そのほうがいいですね」
悠斗も小さく笑う。
「レビューも同じですよ」
「え?」
「星だけ見ても、本当の問題は分からない」
アリアがうなずいた。
「祈りもレビューも、人の声ですから」
その日から奇跡管理局では、新しい分類方式の試験運用が始まった。
そして神界では、「特級レビュアーがまた部署を一つ改革した」という噂が静かに広がっていた。




