第7話 紅蓮の王子と、銀の鎖
朝のホームルーム。
静まり返った教室に、春の光が細く差し込んでいる。
誰もが息を潜める中、担任の志保先生が私の机に一輪の花を置いた。
それは、暴力的なまでに鮮やかな「赤い牡丹」。
触れれば火傷しそうなほど凶暴な赤だ。
これは単なる花じゃない。
学園三大派閥の一つ、『紅牡丹会』からの招待状。
拒絶を許さない、運命の通行証だった。
「放課後、専用サロンへ向かってください。失礼のないようにね」
先生の言葉に、数十人の視線が針となって私を刺す。
ブラックリリーに呑まれたばかりの私が、今度は紅蓮の炎に召喚される。
私の日常は、音を立てて崩れようとしていた。
◇
放課後。
私は震える指で牡丹を抱え、サロンの重厚な扉の前に立っていた。
意を決してノックし、扉を開ける。
そこは、ブラックリリーの「静寂」とは真逆の、燃えるような紅の世界だった。
真紅のベルベットに薔薇の香気。
ステンドグラスが床を血のように染めている。
「待っていたよ。君が、月華さんの『お気に入り』だね」
カウチから立ち上がったのは、学園の「王子様」こと朱雀院咲夜さま。
一七六センチのしなやかな肢体、緋色のオーラ。
陸上部のエースである彼女の存在感は、瞳を焼くほどに眩しい。
「……一組の、小井縫南藻です」
喉が乾いて声が掠れる。
咲夜さまは優雅に近づくと、迷いなく私の手を取った。
その手のひらは熱く、指の付け根には練習でできた硬いマメがある。
スポーツマンらしい清潔で色っぽい香りに包まれ、私は逃げ道を失った。
見つめられるだけで、頬が熱い。
「何が飲みたい? 好きなものをリクエストして」
差し出された紅茶と菓子。
まるでお伽話の王子様にエスコートされているような夢見心地。
けれど、その微笑みは獲物を溶かす毒でもあった。
「君を招待したのは、聞きたいことがあったから。……どうして、あの孤高な月華さんが君をパートナーに選んだのか。理由を教えてくれないかな?」
至近距離で射抜くような瞳。
密室で素敵な王子様に迫られ、息をすることさえ忘れてしまう。
(言わなきゃ。でも、小説家だなんて言えるわけない。どうしよう……!)
焦りと甘い圧力に、唇が震え、勝手に開きかけた――その時。
――ふわり。
背後から、すべてを凍らせるような死の冷気が吹き抜けた。
サロンの熱気が、ガラス細工のように砕け散る。
気づけば、私は無理やり上を向かされていた。
後頭部を、冷たく暴力的な力で「がしっ」と掴み上げられたのだ。
「月華、さま……っ」
一九三センチの圧倒的な質量。
銀色の光を背負い、音もなく現れた私の支配者がそこにいた。
「勝手にお邪魔して申し訳ありません。私の『犬』が呼び出しを受けたと聞いたもので」
月華さまは、咲夜さまを無機質な瞳で一瞥し、温度のない笑みを浮かべた。
あの王子様でさえ、その威圧感に一瞬言葉を詰まらせる。
「……月華さん。君がそんなに固執するなんて珍しいね。その子は、ただの犬にしては可愛すぎるよ」
「褒め言葉としておきます。ですが、躾が必要なようです。……行きますよ、南藻」
月華さまは私の頭を掴んだまま、容赦なくサロンの外へ引きずり出した。
廊下に出た瞬間、掴む指にさらに非道な力がこもる。
「……誰にでもしっぽを振るんじゃないわよ。この駄犬」
地を這うような氷の声。
見上げた彼女の瞳には、昏い独占欲が渦巻いていた。
支配されている。
痛い。
怖い。
膝が震える。
けれどそれ以上に、私の心臓は、この銀色の鎖に繋がれた悦びに狂おしく震えていた。
「ごめんなさい……月華さま……っ」
謝罪の声は甘く震える。
私は銀色の月の鎖に繋がれたまま、彼女が引きずる足跡をただ辿った。
その先が、どれほど冷酷な運命であっても。




