第41話 月と水鏡のワルツ、あるいは二人だけの空
六月中旬。
ついに『結花の披露会』当日となった。
空は朝から重苦しい鉛色。
梅雨特有の湿気が、肌にまとわりつく。
午前で授業が終わり、選ばれし18組のペアは準備へと散っていく。
私は小鈴さんと共に、ブラックリリー専用の美容サロンへ向かった。
鏡の前で、私は「普通の高校生」から「夜の住人」へと変えられていく。
月華さまが指定したのは、漆黒のロングドレス。
背中のコルセットが締め上げられるたび、甘美な緊張感が胸を満たす。
この黒は、彼女の影であり、私の覚悟の色だ。
対する小鈴さんは、一点の曇りもない純白のドレス。
太陽と月。
あまりに鮮やかな対比に、私は鏡の中の自分を見つめ、そっと息を吐いた。
◇
午後三時。
大講堂のシャンデリアが輝き、パーティが開幕した。
トップバッターは陽華さまと小鈴さん。
196センチと148センチ。40センチ以上の身長差。
だが、動き出した二人は劇的に美しかった。
小鈴さんが羽毛のように舞い、白いドレスが蝶のように翻る。
それは、会場中を熱狂させる「太陽」の演舞だった。
次々とワルツが披露され、ついに最後――私たちの番が来た。
舞台袖で、私の心臓は壊れそうなほど脈打っている。足元は雲の上のようにふわふわして、ひどく心細い。
「……あら? 不敵な貴女らしくもない。そんなに緊張しているの?」
涼やかな声が届く。
見上げれば、193センチの月華さまが冷然と私を見下ろしていた。
「緊張してしまって……」
私が俯くと、彼女は鼻で笑った。
「有象無象の眼差しなど、気にする価値もないわ。私に任せておきなさい」
月華さまが私の震える手を取り、長い指を絡めた。
ひやりとした彼女の指先が、私の熱を吸い取っていく。
「貴女は私だけを見て、私に従っていればいいのよ」
◇
「第十八番。有栖川月華、小井縫南藻」
フロアの中央へ。
沈黙の中、重厚で退廃的なメロディが流れ出す。
私は月華さまの懐に飛び込み、その身を預けた。
彼女が動く。私が追う。
その瞬間、会場の空気が凍りついた。
これまでのダンスが「披露」なら、彼女のダンスは世界への「拒絶」だ。
誰からも認識されない彼女が、今、周囲の色彩をすべて黒く塗りつぶしていく。
それは皆既日食。
――月は世界を支配する。
太陽さえも遮って、人々の視界を黒で染める。
観客は瞬きさえ忘れ、私たちの旋律に魅入られていた。
彼女の瞳という宇宙に囚われているのは、私だけ。
首が痛くなるほどの高低差さえ、今は甘美な服従の証に思えた。
曲が終わる。
静寂の後、地鳴りのような拍手が会場を包んだ。
◇
パーティ後の立食会を抜け出し、私たちは寮の裏の広場へ向かった。
人混みを嫌う月華さまの希望だ。
見上げれば雲は去り、濡れたような満月が夜空に浮かんでいる。
銀の光が私たちのドレスを縁取る中、彼女が不意に手を差し出した。
「……踊るわよ」
「えっ、ここでですか?」
「聞こえるでしょう。私たちだけのワルツが」
遠くの音楽と、噴水の水音。
観客も喝采もないけれど、この静かなダンスこそが、本当の「契約」なのだと感じた。
一歩、また一歩。
彼女の孤独な影を踏むたび、誓いが魂に刻まれる。
ダンスが終わり、彼女が私の髪を優しく梳いた。
「南藻、これからも私の傍で、私を見失わないことよ」
それは祈りのような命令。
「はい、月華さま。どこまでも」
貴女が月なら、私はその光を映す水面。
貴女がいなければ、私はただの暗い水。
噴水には、揺らめく月と、寄り添う二つの影が静かに映っていた。




