第42話 存在しない少女の輪郭、ここから始まる物語
私は双子の妹、陽華と共に生まれた。
鏡合わせのような容姿。
けれど、私たちには残酷な違いがあった。
私の存在感は、異常なまでに希薄だったのだ。
「有栖川月華」という人間が生まれた瞬間。
世界は私のことを、忘却の彼方へ流し込もうとしたのかもしれない。
光が体を素通りし、背景に溶け込んでいく感覚。
両親でさえ私に気づかず、部屋の電気を消して出ていく。
暗闇の中、自分の指先を見つめては「私は本当にここにいるのか」と自問した。
食事の席に、私の分だけ用意がないことも珍しくない。
それが悪意なら、まだマシだった。
彼らの瞳は、ただ純粋に私の場所を「無」として捉えていた。
もし太陽のような陽華がいなければ、私は消滅していただろう。
陽華だけは、なぜか常に私を「認識」していた。
「お姉様はここにいるよ」
彼女が私の冷たい手を握り、声を上げる。
その瞬間、私の体にわずかな色彩が宿り、世界に繋ぎ止められる。
あまりに歪で、共依存のような関係だった。
◇
成長するにつれ、この呪いには法則があることがわかった。
見抜いたのは、メイドの雪菜だ。
背後に立っても気づかない彼女の袖を、私が掴んだ瞬間。
「――あら、お嬢様!?」
雪菜は心臓を跳ねさせ、驚愕に目を見開いた。
「お嬢様……直接触れてからしばらくは、認識できるようになるのではありませんか?」
それが、不条理な体質への唯一の答え。
肉体を介した「通信」があって初めて、私は他者の脳内に登録される。
だが、私は喜ぶより先に、激しい屈辱を感じた。
(なぜ私が、自分の存在を認めてもらうために他人に触れ、情けを乞わねばならないのか)
中等部になる頃には、自分から名乗ることさえ放棄していた。
◇
私は「姿隠しの姫君」と呼ばれるようになった。
存在感のある巨躯が、誰の目にも映らず、誰の記憶にも残らない。
圧倒的な身体能力を活かし、バスケの道へ進んだ陽華。
妹からの誘いもあったが、私は冷笑して断った。
陽華の光に依存して生きるのは、矜持が許さない。
代わりに溺れたのは、物語という逃避行。
白紙の上で「究極の関係性」を築くことに没頭した。
少女同士が魂を削り合う、S文学の世界。
ペンネームは「月光淑女」。
文字を通せば、私の存在は確かに認識された。
肉体に触れずとも、私の魂の輪郭が読者の脳裏に刻まれていく。
「面白い」
「更新待っています」
その無機質な文字列だけが、私の呼吸を証明していた。
◇
高等部二年の春。
放課後の図書館、通称「地下迷宮」と呼ばれる場所。
カビと古書の匂いが漂うこの檻こそが、私の聖域だった。
目的の本を手に取ろうとした、その時。
背後から、微かな呟きが聞こえた。
「……月光淑女という名は、この本から取ったのかしら?」
心臓が凍りつき、直後に沸騰した。
その名は、誰にも見つかるはずのない秘密の暗号。
彼女は私に触れていない。
40センチもの身長差がある私がそこにいるのに、私の存在に気づかぬまま、魂の深淵にある「名前の由来」を言い当てた。
これまで私を素通りしていった有象無象とは違う。
地鳴りのような心拍。
驚愕、憤り。
そして、抗いがたい渇望。
気づけば、私は右手を伸ばしていた。
◇
少女の肩を、逃がさないよう強く掴む。
「ひゃっ!?」
彼女は弾かれたように私を振り返った。
その潤んだ瞳の中に、私の姿が鮮明に映っている。
初めてだった。
陽華以外で、私を「そこにいる個」として捉えたのは。
(この子だ……)
制度としてのパートナーなんてどうでもいい。
私の孤独を見つけ出した彼女を、私の所有物にすると決めた。
彼女を追い詰め、193センチの影で逃げ場のない檻を作る。
怯える彼女。震える小さな肩。
私を見上げるその視線こそが、私の存在を肯定する甘美な証明だった。
「……貴女、名前は?」
重厚な月下香の香りが満ちる中、彼女は震える唇を動かした。
「こ、小井縫……南藻、です……」
南藻。
私の静まり返った世界に石を投げた異分子。
彼女を私の「妹」にする。
そしてその瞳という鏡に、一生私だけを映し続けさせるのだ。
「姿隠しの姫君」の物語に、初めて「共演者」が現れた瞬間だった。




