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モブキャラ以下の私ですが、学園最強の裏ボスに愛されております。  作者: 猫野 にくきゅう
第二章

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第31話 怠惰な花冠、対等な共犯

 図書館で浴びせられた「失敗して恥をかけ」という呪詛が、頭の中で不協和音となって響いている。


 桃瀬さんの捨て台詞、周囲の嘲笑。

 それらが予言のように思えて、私は居ても立ってもいられなくなった。


(もし本番で転んだら? 私のミスで、月華さまの完璧な経歴に泥を塗ってしまったら……)


 気づけば私は、フローラリア専用寮へと走っていた。


 今日は練習休みの予定。

 主君の休息を邪魔するなど言語道断だが、震える足は止まらない。


 私は祈るような気持ちで、月華さまのサロンの扉を叩いた。


「……まったく。今日は休みだと言ったはずよ」


 扉の隙間から現れた月華さまを見て、私は息を呑んだ。


 完璧に巻かれた髪は緩くリボンで束ねられ、足元は柔らかなルームシューズ。

 鎧を脱いだ「休日モード」の彼女は、あまりに無防備で、見てはいけないものを見てしまったような背徳感があった。


「申し訳ありません! でも、どうしても不安で……少しだけ、ステップの確認をお願いできませんか」


 私が必死に頭を下げると、月華さまは呆れたように溜息をついた。


「貴女、本当に……小者ね」


 言葉は冷たいが、不思議と拒絶の響きはなかった。


「パーティなんて所奏は顔見せ。私たちがそこに立っているだけで価値があるの。貴女は私の装飾品として、堂々としていればいいわ」


「で、ですが……」

「はぁ……分かったわ。三十分だけよ。その代わり、本番では完璧な仮面を張り付けなさい」


 静寂の中、衣擦れの音だけが響く三十分。


 月華さまの手はいつもより少し温かく、握り方は微睡むように優しかった。

 その「生身」の感触が、パニック寸前だった私の心をゆっくりと鎮めてくれた。


 ◇


 月華さまの部屋を出て廊下を歩いていると、角から弾むような足音が近づいてきた。


 ベリーショートに小麦色の肌。

 陸上部の友人、佐々木怜奈だ。


 彼女は早乙女楓さまのパートナーに選ばれている。


「あ、南藻! 良いところで会ったー」


 怜奈は太陽のような笑顔で駆け寄ってくると、いきなり私の手首を掴んだ。


「ちょっと手伝って! 一人じゃ手に負えない」

「えっ、ちょっと怜奈!?」


 引きずられていった先は、ブラックリリーの紋章が刻まれた一室。


 早乙女楓さまの私室だ。

 怜奈はノックもせず、無造作に扉を開け放った。


「楓さまー、助っ人連れてきましたよー」

「……んぅ……」


 薄暗い部屋の奥から、気だるげな声がした。

 ソファの上で、一人の少女が液体のようにだらしなく寝そべっている。


 早乙女楓さま。


 床に届きそうな黒髪を適当に結び、はだけた襟元からは白い鎖骨が覗いている。


「あ、怜奈だぁ……。一緒にゴロゴロしようよぉ」


 起き上がる気配すらない。

 月華さまや咲夜さまの「高貴なオーラ」とは真逆の、熟れすぎた果実のような退廃的な空気。


「しませんよ! あと二週間でお披露目なんですから。南藻、手伝って。この人をしっかりと立たせるから」


「えっ、私が……!?」


 戸惑う私を無視して、怜奈が叫ぶ。


「ほら、こっちの腕持って! ズルズル落ちてくから!」


 私は恐る恐る、楓さまの左腕を掴んだ。


 ◇


 触れた瞬間、心臓が跳ねた。


 楓さまの腕は驚くほど冷たく、骨がないのかと思うほど柔らかい。

 対して、反対側を支える怜奈の腕は熱く、引き締まっている。


 左右から伝わる対極の質感が、私の中で生々しく混ざり合う。


「はい、いち、にの、さん!」

「あーれー……」


 泥のように重い身体を引き起こし、ようやく直立させる。


 ボサボサの髪にとろんとした瞳。

 これがブラックリリーの令嬢だなんて、誰が信じるだろう。


「もう一生分のカロリー使った気分……。じゃあ、ちょっとだけだよ?」


 楓さまが渋々と構えを取った。


 音楽が流れると、死人のような怠惰さが嘘のように、彼女は流麗に踊り始めた。

 水の中を漂う魚のような、重力を感じさせない動き。


 才能という名の暴力。

 ただ、魂が致命的に面倒くさがりなだけだ。


 途中、私が相手をすることになった。


 重ねた手はひんやりとして、私の熱を奪っていく。

 彼女のリードは「沼」のようだった。のらりくらりとこちらの動きを受け流し、底なしに引きずり込む。


「君、ガチガチだねぇ。もっとリラックスしなよ。たかがお遊びなんだからさ」


 耳元の囁きは甘い毒のようで、月華さまの言葉とは違う温度で私に染み込んだ。


 ◇


 練習を終え、楓さまは再びソファへ沈没した。

 怜奈が甲斐甲斐しく彼女の髪を整えている。


「ごめんね、南藻。付き合わせちゃって」

「ううん。……すごいね、怜奈は。フローラリア相手に、あんなにぐいぐい行くなんて」


 パートナーは絶対的な主従関係だと思い込んでいた。


 けれど、この二人にあるのは世話焼きの飼育員と、手のかかる珍獣のような関係。

 対等な「共犯者」の匂いがした。


「あはは、楓さまは放っておくとずっと寝てるから。私がお世話してあげないとね」


 怜奈はカラッと笑った。


 衝撃だった。

 パートナーの形は一つではないのだ。


(私も、いつか……)


 月華さまをだらしなくさせるのは無理でも、彼女の「重み」を怯えずに支えられるようになりたい。


 彼女が鎧を脱いで体重を預けてきたとき、微動だにせず支えきれる「器」に。

 それは、「小者」からの卒業を誓う、初めての強い渇望だった。


「ありがとう、怜奈。すごく勇気が出た」

「え? 何もしてないけど……まあ、本番頑張ろうね!」


 パチン、とハイタッチ。

 楓さまの部屋を出る私の足取りは、来る時よりもずっと軽くなっていた。

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