第25話 不器用なステップ、救世主の襲来
木下雪菜さんによる「採寸」という名の愛撫から一夜。
放課後のすべてを、ダンスの練習に捧げることになった。
場所は、月華さまの私室に隣接した広大なサロン。
磨き上げられた床が、夕陽を浴びて鏡のように光っている。
「いい、南藻。ダンスにおいて、パートナーは自分の影。私の動きを読み、ただ従えばいいの」
練習着に身を包んだ月華さまが、私の前に立つ。
一九三センチの巨躯。
無駄のない肢体は、冷ややかな彫刻のように美しい。
雪菜さんから聞いた「月華さまがデザインを書き直していた」という話を思い出し、胸が熱くなる。
この不器用な主人の期待に応えたい。
彼女の影になりたい。
私は震える手を差し出した。
◇
次の瞬間、視界が黒一色に染まった。
月華さまの大きな手が、私の腰を背後から包み込む。
それはエスコートというより「捕獲」だった。
彼女の腕という檻の中に、私は完全に閉じ込められる。
そして、現実は甘くなかった。
「一、二、三。……南藻、足が遅れているわ」
「……っ、はい、すみません!」
月華さまのリードは、見た目に反して絶対的な強制力を持っていた。
ステップのたび、彼女の長い足が私の間に割り込み、膝が太腿を掠める。
身体がビクリと跳ね、重心が乱れる。
巨大な力に振り回され、私の意思が介在する余地などない。
月華さまの研ぎ澄まされた感覚と、私の鈍い身体。
そこには絶望的な断絶があった。
◇
重苦しい沈黙の中、また月華さまの爪先を蹴ってしまう。
無言で動きを止める彼女。
その静寂が、罵倒されるよりも怖かった。
「うぅ……。申し訳ありません」
「なぜ、たったこれだけのことができないの? 」
怒鳴るわけではない。
ただ、淡々と事実を指摘される。
彼女にとって「できない」という感覚は理解不能なのだろう。
純粋な疑問の視線が、氷の棘となって私を刺す。
意識すればするほど足がもつれ、リズムから脱落していく。
自分が彼女の完璧な世界を汚す泥のように思えて、視界が滲んだ。
二時間が経過し、私の精神は限界だった。
再び足を踏みつけた瞬間、月華さまの手が私の肩に食い込む。
「私のリードは完璧なはずなのに――上手くいかないわね」
一点の曇りもない瞳。
ああ、この人は凡人の痛みがわからないんだ。
その「無垢な否定」が、何よりも深く私を切り裂いた。
◇
無理なのかもしれない。
隣に立つ資格なんて――。
唇を噛んで俯いた、その時だった。
バンッ!
重厚な扉が元気に開け放たれた。
「お姉さまー! 何をしてるの?」
凍りついた空気を、明るい声が粉砕した。
そこに立っていたのは、双子の妹、有栖川陽華さま。
練習帰りなのか、ジャージ姿の彼女からは、太陽のような熱気が立ち上っていた。
驚きで涙が引っ込む。
けれど、すぐに最悪の自覚が襲ってきた。
汗で乱れた髪、赤くなった顔、震える膝。
最も尊敬し、密かに想いを寄せている陽華さまに、こんな情けない姿を見られてしまった。
「お披露目に向けて特訓? 相変わらず真面目だなぁ。……南藻ちゃん、だっけ」
陽華さまがズカズカと近寄り、私の顔を覗き込む。
琥珀色の瞳が至近距離で輝く。
「お姉さまの指導は厳しいでしょ? 大丈夫?」
心配される喜びと、消え入りたいほどの恥辱。
「……勝手に入ってこないでと言ったはずよ、陽華」
月華さまが不機嫌そうに、私を引き寄せ、背後に隠した。
背中には月華さまの冷たい静謐。
目の前には陽華さまの眩しい熱狂。
対照的な二人の「巨人」に挟まれ、私の心臓はステップどころではない速さで、早鐘を打っていた。




