第24話 鏡の中の異邦人、銀の採寸
その日のホームルームは、どこか重苦しい空気だった。
担任の志保先生が、クラス全員の前で私を呼んだからだ。
「小井縫さん。有栖川月華さまから預かりものです。放課後、指定の場所へ」
渡されたのは、上質なクリーム色の封書。
ブラックリリーの紋章が、血のように赤い蝋で刻印されている。
それを受け取った瞬間、クラスメイトの視線が突き刺さった。
(連絡先は知ってるんだから、携帯で呼べばいいのに。……格式高いというか、なんというか)
放課後。
私は一人、学園の聖域であるフローラリア専用寮へと向かった。
◇
そこは普通科の生徒が立ち入ることを許されない別世界。
重厚な鉄格子の門の前で、警備員の視線が私の首元に止まった。
月華さまに嵌められた、黒革と銀のチョーカー。
それが、この門を抜けるための通行証だ。
警備員は無言で深く一礼し、重々しい扉を開いた。
一歩踏み入れば、そこは重力さえ違うような静寂の世界。
大理石の回廊に私の足音が響く。
選ばれし者だけが許されるプレッシャーが、肩にのしかかった。
指定された部屋――
月華さまの私室の前で深く息を吸い、ドアをノックする。
「……入りなさい」
中から響いたのは、冷たくも美しいアルトの声。
意を決して扉を開けた。
◇
部屋の奥、逆光の中に彼女は立っていた。
これまでの月華さまは、触れていなければ輪郭がぼやけるような、不思議な存在感だった。
けれど、今は違う。
一九三センチの巨躯。
伸びた手足。
漆黒のワンピース。
ピントが極限まで合った写真のように、恐ろしいほどの解像度で彼女がそこに「いた」。
(……見える。触れていないのに、月華さまの全てがはっきりと)
所有印を首に刻んだことで、私の感覚が彼女と同調し始めたのだ。
その事実に震えると同時に、体の奥が熱くなる。
「よく来たわね。こちらへ」
月華さまが歩み寄る。
巨大な影が私を飲み込み、視界には気高い顎のラインと喉元だけが広がる。
その圧倒的な「高さ」に、私は息を呑んだ。
◇
彼女の傍らには、穏やかな微笑みを浮かべたメイドの女性がいた。
「お初にお目にかかります、南藻さま。木下雪菜と申します」
月華さまは骨董品を値踏みするような目で私を一瞥した。
「雪菜、この子の採寸をしてちょうだい」
「あの、採寸……ですか?」
「『結花の披露会』に決まっているでしょう」
月華さまは、私の疑問を切り捨てた。
「来月のダンスパーティよ。今のままの貧相な貴女では、私の隣に立たせるには不格好だわ。……雪菜、なんとか見れるようにして。私の所有物として、最低限の体裁は必要よ」
突き放すような物言いに、胸がちくりと痛んだ。
やはり私は、高貴なるお方にとって「欠陥品」でしかないのか。
月華さまがソファで本を開く中、私は雪菜さんの指示で制服を脱いでいく。
脱ぎ捨てられた既製品のスカート。
下着同然の姿になった私は、この豪華な部屋で惨めな異物だった。
唯一、首元のチョーカーだけが、私をこの場所に繋ぎ止めている。
「失礼いたします」
雪菜さんの持つメジャーが、冷たい蛇のように素肌を這う。
身体の数値を淡々と読み上げられる間、ページをめくる音が止まった。
視線を感じる。
本を読んでいるふりをして、月華さまのあの熱い瞳が、私の無防備な体をじっと観察している気配が肌を刺した。
◇
月華さまが席を外した隙に、雪菜さんが耳元で共犯者のように囁いた。
「南藻さま。お嬢様の言葉を、そのまま受け取らないでくださいね」
「えっ……?」
「お嬢様、南藻さまの衣装デザインを、何日も前から何度も書き直していたんですよ」
その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。
「貴女に最も似合う生地、自分との身長差のバランス……完璧主義のお嬢様が、何度も図面を破り捨てて苦労なさっていました。お嬢様にとって南藻さまは『見れるようにする対象』ではなく、『世界で一番美しく完成させたい』大切な作品なのですよ」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
あの冷徹な態度は、彼女なりの照れ隠しで、深い愛情の裏返しだったのだ。
不器用な彼女を想像して、愛おしさがこみ上げた。
月華さまが部屋に戻ってくる。
「終わったなら、さっさと着替えなさい」
私は制服に着替え、部屋を後にした。
回廊を歩きながら、チョーカーの銀細工をなぞる。
さっきまで冷たかった金属が、今は体温を吸って温かい。
不器用な所有者の、隠された愛情。
この首輪はもう、屈辱の証じゃない。
私は彼女の理想の「妹」になるために、過酷なレッスンも乗り越えられる。
そう確信して、小さく微笑んだ。




