第2話 地下迷宮の『月』と、禁断の指摘
敗因は、髪の長さ。
そう結論を出した私は、先生に深くお辞儀をして教室を飛び出した。
お嬢様学校の生徒らしく、無理に背筋を伸ばし、ゆっくりと廊下を歩く。
窓からの夕陽が床を照らし、私の影を長く引き延ばしていた。
遠ざかるクラスメイトたちの笑い声。
静かな校舎に、私の靴音だけが虚しく響く。
歩くたびに揺れる短いスカートが、今の私の「敗北」を強調しているようで胸が痛い。
向かう先は、唯一の癒やしスポット。
図書館だ。
威厳のある石造りの図書館に足を踏み入れると、空気が一変する。
高い天井と、吸い込まれるような静寂。
私は圧倒的な美しさに溜息をつきながら、重い扉の向こうへ進んだ。
でも、今日のお目当ては一階の華やかな部屋じゃない。
「……地下迷宮への入室をお願いします」
カウンターで端末を提示する。
この端末は私の居場所を常に監視する発信機でもある。
(迷子になるといけないから、デバイスの携帯をチェックされるのよね)
地下深くに広がる、広大な書庫。
通称「地下迷宮」。
許可された者しか入れない、知の深淵だ。
鉄の扉を開け、軋む音を背に螺旋階段を下りていく。
一段ごとに気温が下がり、ひんやりとした冷気と古い紙の甘い匂いが鼻をくすぐる。
そこは、地上の騒がしさが嘘のような、完全な静寂の世界。
迷路のように本棚が続き、暗がりに影が溶け込んでいる。
(……最高。この孤独こそ、読書狂の聖域だわ)
私は落ち着きを取り戻し、目当ての棚へ向かった。
探しているのは、昔の女学生たちの濃密な友情を描いた「エス文学」の貴重な本だ。
紙の質感や装丁を確かめる時間は、私にとって至福のひとときだった。
ふと、棚の一角で『月光』という金文字のタイトルが光った気がした。
その言葉で、ある情報を思い出す。
(あ、そうだ。『月光淑女』先生の新作、そろそろ更新されてるかも)
私が今、一番ハマっている覆面Web小説家だ。
美しくも容赦ないその文章は、私の心を心地よく打ちのめしてくれる。
「……月光淑女っていうペンネーム、もしかしてこの本から取ったのかしら?」
誰もいないと思って漏らした、無防備な独り言。
だがその時。
背後から、濃厚で甘い花の香りが漂ってきた。
「――あなた、なんで私の名前の由来がわかったの?」
「ひゃっ!?」
背筋が凍り、肩を強く掴まれた。
細い指からは想像できないほどの、逃げ場を塞ぐような力。
慌てて振り返ると、そこには――。
漆黒の壁のようにそびえ立つ、見上げるような巨躯があった。
「……え?」
視界が黒一色に染まる。
腰まで届く艶やかな黒髪と、レースをあしらった黒いロングワンピース。
その人は、冷たい銀色の光を纏っているようだった。
「あ……有栖川、陽華さま?」
憧れの、太陽のようなお姉様。
でも、目の前の彼女が放つ空気は、肌を刺すような「月」の冷気だった。
「私は陽華ではないわ。間違えるなんて、失礼な子ね」
低く、腹の底まで響くような声。
「言われてみれば、雰囲気が……」
彼女は私を離さない。
それどころか、爪が食い込むほど指先に力を込める。
身長一九三センチという規格外の高さ。
一五三センチの私は、首が痛くなるほど見上げないと顔すら見えない。
圧倒的な体格差に、私は小動物のように震えるしかなかった。
「いい加減なことを言わないで。私が『相応しくない』と言えば、貴女なんて一言で退学なのよ」
切れ長の瞳が、冷酷に私を見下ろす。
「答えなさい。陽華と私の違い……初めて会った貴女に、私の何がわかるというの?」
退学。
その言葉に頭が真っ白になる。
でも、沈黙は死を意味すると本能が警鐘を鳴らしていた。
私は必死に、目の前の彼女と、昼間に見た陽華さまを比較する。
白磁のような肌に、鋭い瞳。確かにそっくりだ。
けれど、決定的に違う場所がある。
「えっと……」
「言いなさい」
冷たい命令。
私は混乱した頭で、唯一気づいた「事実」を口にした。
「……陽華さまと比べると……その」
私の視線は、彼女の胸元へ。
シルクの生地を押し上げる、豊かで圧倒的な曲線に吸い寄せられた。
「お胸が、かなり、大きいです」
「…………」
重苦しい沈黙が地下室を支配した。
彼女は一瞬きょとんとして、瞬きを繰り返した。
やがて、私の肩から力が抜け、彼女自身も自分の胸元に視線を落とす。
「……確かに、そうね」
彼女は艶のある溜息を漏らした。
「まあいいわ。退学は許してあげます」
刺すような殺気が嘘のように消え、穏やかな紙の匂いが戻ってきた。
「私の名前を知っていたということは、貴女……私の小説を読んでいるの?」
「はい、いつも楽しみにしてます」
私が答えると、彼女はどこか満足そうに、優雅な笑みを浮かべた。
氷の女王が見せた、一瞬の少女のような表情。
「そう。私の名前は有栖川月華。陽華の双子の姉よ。覚えておきなさい」
有栖川家の、もう一人の令嬢。
そして、私の大好きな作家『月光淑女』。
「……有栖川、月華さま」
私がその名を呼ぶと、彼女は短く頷いた。
黒いドレスが翻り、花の香りが残る。
私の平凡な学園生活が、出口のない迷宮へと変わった瞬間だった。




