第1話 乙女の聖域、最下位の野望
ようやく、たどり着いた。
ここは私立鳳華女学院。
日本屈指のお嬢様学校だ。
広大な敷地、完璧に手入れされた芝生。
あまりの広さに最初は圧倒されたけれど、そんなのは些細なこと。
ここは乙女の園。
私の理想とする「素敵なお姉さま」が溢れるパラダイスだ。
空気の香りからして違う。
中学までの「運動靴とチョークの匂い」なんて微塵もしない。
「今日から、ここでお姉さま探しが始まるのね……!」
受験勉強を勝ち抜いたのは、すべてこのため。
野望はただ一つ。
理想のお姉さまたちに囲まれた『ミナモハーレム』を築くこと。
お姉さまと恋がしたいなんて、誰にも言えない。
けれど、私の胸には熱い情熱が溢れていた。
◇
入学して二週間。
一組の教室は、驚くほどハイテクだった。
お嬢様学校らしい古さを想像していたけれど、実際はガラスと白が基調のミニマルな空間。
最新の空調に、音のしないスマートドア。
すべてが「エリート」を演出している。
もっとも、私の成績はクラスでも最下位レベル。
崖っぷちの状態で、なんとかしがみついている。
「……はぁ。今日も皆様、なんてお美しいのかしら」
授業中、私の視線は落ち着かずに泳いでいた。
電子黒板に並ぶ数式より――
先生の背筋や、級友たちの指先の美しさのほうにどうしても目が奪われてしまう。
静かに響く朗読の声が耳を撫で、ふと花の香りが漂う。
白磁のように整った横顔が並ぶたび、胸がざわつく。
(ああ……美しすぎて、授業の内容がまるで頭に入らない)
けれど、教室には浮ついた気配など一つもない。
私は成績が落ちれば即退学の危機にある外部生。
洗練された教室のデザインが、むしろ逃げ場のない緊張を際立たせていた。
(これこそが、私の求めていた世界……!)
恋も野望も、まずはこの場所を守り抜かなければ始まらない。
私は震える指先で、ペンを走らせた。
◇
昼休み。
食堂へ向かうチャイムが響く。
「南藻さん、一緒に食堂に行きましょう?」
誘ってくれたのは、ルームメイトの東雲柚月さん。
生粋のお嬢様で、硝子細工のような美人だ。
同級生だけど、密かにときめいている相手でもある。
「ええ、喜んで。柚月さん」
食堂への廊下も最新のオフィスビルみたいに綺麗だ。
けれど、ダイニングに入った瞬間、景色が変わった。
モダンなデザインの広大な食堂。
そこには、残酷なほど明確な「境界線」があった。
私たち「普通科」の生徒は、二階に行ってはいけない。
二階席は、選ばれし特権階級『フローラリア』の聖域。
一階を見下ろす重厚な手すりに、優雅な彫刻。
制服も、私たちのブレザーとは違う、床まで届くロングワンピース。
同じ建物なのに、そこだけ時が止まったような別世界だ。
彼女たちが紅茶を飲む小さな音さえ、格差を宣告しているように聞こえた。
「……やはり、あちら側は別世界ですね」
自然と声が潜まる。
「ええ。あそこにいらっしゃるのが、この学園の『華』ですから」
柚月さんが、少し寂しそうに微笑んだ。
「……南藻さんは、どなたがお好きなのかしら?」
その一言で、私の頬が熱くなる。
「私は……その、有栖川陽華さまが、とても素敵だなって」
二階席の中央。
バスケ部で鍛えられたしなやかな体つきに、太陽のような笑顔。
(陽華さまが笑うだけで、ここが神殿に見えてくるわ……!)
まさに、私の理想。
今日は、上級生が「お気に入りの妹」を選ぶ人気投票の結果発表日。
ここで注目されれば、お姉さま攻略に大きく近づける。
自分で言うのもなんだけど、私の容姿は悪くない。
小柄で童顔。
お姉さまの庇護欲をそそる「妹属性」は完璧なはずだ。
◇
運命の掲示板。
人だかりの隙間から、私はリストを必死に探した。
一位、二位、三位……。
名前がない。
入賞どころか、どこにも載っていない。
放課後。
私はすがる思いで担任のもとへ向かった。
「先生、私の得票数は……何票だったんでしょうか?」
先生は困ったように眉を下げた。その目は、明らかに「憐れみ」だった。
「小井縫さん。……残念ながら、ゼロ票です」
頭の中を冷たい風が吹き抜けた。
ゼロ。
一票も入れてもらえなかった。
私は「モブキャラ」ですらなかった。
誰の視界にも入らない「ただの背景」だったのだ。
普通なら泣くところかもしれない。
でも、私は違った。
(落ち着くのよ、私……)
震える唇を噛みしめる。
(敗因を分析して、次に繋げなきゃ。……戦いはこれからよ)
◇
夕暮れの廊下を一人で歩く。
なぜ?
何が足りなかったの?
今年の優勝者は、同じ外部生の女の子。
私と同じ、小柄なタイプ。
顔?
愛嬌?
それだって負けてないはず。
考えろ、私。
お姉さまの視線を奪った「決定的な何か」があるはず……。
……あ。
「――髪、だわ」
窓ガラスに映る自分を見る。
肩の上で跳ねる、まとまりのない天然パーマ。
優勝した子の髪は、腰まで届く豊かなロングヘアだった。
お姉さまが指を迷わせ、思わず梳きたくなるような神聖な髪。
それに比べて、私の髪はただ広がっているだけ。
圧倒的な「妹としての余裕」が足りなかったのだ。
「ふふ……わかったわ。この暴れ馬みたいな髪を伸ばせば、私は最強になれる……!」
ゼロ票。
それは、伸びしろしかないということ。
私にはミナモハーレムを作る使命がある。
逆転を誓い、私は「未知の百合」を求めて、禁断の『地下迷宮』へ足を踏み入れた。
この先に、学園の「太陽」とは正反対の、冷たい「月」が待ち受けているとも知らずに――。




