第16話 旧校舎の怪談、震える夜の逃避行
放課後の寮。
西日の射し込むロビーで、私はある「遊び」を提案した。
参加者は、陸上部の怜奈さんと、茶道部の千里さん。
先日、柚月さんと交わした「お休みのキス」以来、私たちの距離はぐっと縮まった。けれど、ただ仲良くなるだけじゃ足りない。
恐怖や秘密を共有し、「共犯者」としての絆を深めたかったのだ。
「旧校舎の肝試し? いいじゃん、面白そう!」
怜奈さんが不敵に笑う。
「わ、私は……その……皆さんと一緒なら……っ」
千里さんは半べそをかきながらも、期待に瞳を揺らしていた。
向かう先は、少し離れた場所にある旧校舎。
蔦に覆われ、色褪せた木造の建物は、最新の現校舎とは正反対の情緒を醸し出している。
私たちは懐中電灯を手に、軋む扉を押し開けた。
◇
一歩踏み出した瞬間、外界の気配が消えた。
古いワックスの臭いと湿った埃。
月光に照らされた埃が、廊下に死人の指のような影を落としている。
先頭は意気揚々とした怜奈さん、二番目に腰が引けた千里さん。
三番目の私の後ろに柚月さんが続くはずだった。
……けれど、その隊列はすぐに崩れる。
「……南藻さん。離れないでください……っ」
柚月さんが私の袖を白くなるほど握りしめ、背中にぴたりと身を寄せた。
一五八センチの彼女が、今は私よりずっと小さく、儚く感じる。
背中越しに伝わる体温。
速すぎる鼓動。
うなじにかかる彼女の吐息に、私は別の意味で喉が熱くなるのを自覚した。
守る者としての、奇妙な昂揚感。
床板が軋むたびに千里さんが悲鳴を上げ、柚月さんは抱擁に近い形で私にしがみついてくる。
二の腕に押し付けられる彼女の柔らかい感触。
「大丈夫よ、柚月さん。ただの風の音だから」
震える彼女の手を包み込む。
月華さまたちの前では許されない、「守る者」としての特権。
彼女を独占している悦びが、じわりと恐怖を塗りつぶしていった。
◇
二階の音楽室に差し掛かった時。
無人の室内から、不協和音のピアノが流れ出した。
「ひっ、出たぁぁっ!」
怜奈さんの絶叫。
千里さんは腰を抜かして崩れ落ちる。
柚月さんは私の首筋に顔を埋め、全身を痙攣させるように震わせた。
熱い呼吸が直接肌に触れ、意識が白く飛びそうになる。
そこへ、闇から人影が現れた。
「あら。肝試しを盛り上げようと思って……つい、悪戯心が騒いでしまったわ」
正体は、茶目っ気たっぷりの音楽教師だった。
安堵の空気が広がる。
けれど、柚月さんだけは私の腕を離さず、顔を上げようとしない。
私は子供をあやすように、何度も彼女の背中を撫で続けた。
◇
寮の自室に戻り、照明を落とした後。
柚月さんが枕を抱えて私のベッドの横に立った。
「南藻さん……一人のベッドが怖くて……。ご一緒してもいいですか?」
月光に透けるパジャマ姿。
潤んだ瞳。
断る理由なんて、どこにもない。
布団をめくると、彼女は滑り込むように入ってきた。
シングルサイズのベッドは、二人で横たわるにはあまりに狭い。
必然的に、私たちは溶け合うように密着した。
「南藻さん……ありがとうございます。やっと、落ち着いてきました……」
彼女は私の胸元に顔を埋め、パジャマをぎゅっと掴む。
心臓の音を直接聞かれていることに、妙な気恥しさを感じる。
正直、重いし息苦しい。
けれど、精神は甘い充足感で満たされていた。
学園の支配から離れ、彼女の熱を独り占めにする。
これこそが、私たちの真実の絆だ。
私は柚月さんの髪を優しく撫でた。
やがて、彼女の寝息が規則正しくなり始める。
「……おやすみなさい、柚月さん」
狭いベッドの中で、私たちは一つの生き物のように重なり合い、深い眠りへと落ちていった。




