第17話 あざとい少女、桃瀬百乃の襲来
昨夜、旧校舎の闇で分かち合った熱。
それはただの体温ではなく、孤独を溶かし合う濃密な契約のようだった。
今朝も、肌の裏側には甘い重みが残っている。
シーツから漂う柚月さんのミルク石鹸の香り。
この学園で、私だけが彼女の熱を独占している。
胸の奥に灯ったのは、罪悪感にも似た、歪な優越感だった。
◇
放課後。
私は重い鞄を手に、学園中央の図書館へ向かった。
西日に照らされた石造りの建物は、まるで沈黙が形になったような威容だ。
巨大なガラス窓は、学園の知性を監視する瞳のように光を反射している。
そこで私は、視界の端に「桃色」の影を捉えた。
上級生に囲まれ、完璧な角度で首を傾げる少女。
一年生、桃瀬百乃。
「妹コンテスト」で三位に食い込んだ、あざとさのプロだ。
彼女は家柄も美貌も平凡。
なのに、政治家のような営業努力で上級生に顔と名前を売り、コンテスト上位入賞を掴み取った。
今も絶妙な力加減で先輩の袖を掴み、計算され尽くした笑顔を振りまいている。
努力家、そして狩人。
私はその様子を、横目に足を速めた。
(苦手なタイプだわ。――逃げましょう)
◇
彼女は上級生を見送ると、私を追うように図書館へ入ってきた。
(どうして、追いかけてくるのよ?)
私は追い詰められてしまった。
高い天井が声を拒む、ひんやりとした静寂の空間。
ページをめくる音だけが響く中、百乃さんは音もなく隣に立った。
傍目には仲の良い友人の内緒話。
けれど、耳元に寄せられた彼女の吐息は氷のように冷たかった。
「……見つけたわ。貴女が、小井縫南藻ね?」
至近距離で見る彼女の顔は、一分の隙もなく作り込まれている。
可憐な形に固定された唇。
その完成度が、逆におぞましい。
「誤魔化さなくていいわ。貴女が月華さまや聖羅さまに特別視されているのは調査済みよ。……取引をしましょう?」
微笑みは甘いのに、言葉は鋭い刃物だった。
「私、貴女には負けないわ。寝る前のパックも表情練習も欠かしたことはない。貴女みたいな『よく分からない幸運』に甘えた偽物とは、格が違うのよ」
百乃さんの指先が、私のブレザーの袖に触れる。
それは柚月さんの依存とは違う、獲物を値踏みするような冷たい感触。
「私に相応しい上級生を紹介しなさい。チャンスさえあれば、貴女なんてすぐに追い越せるんだから」
彼女の瞳には、可愛さを武器に成り上がろうとする渇望が宿っていた。
私は、寒気にも似た同情を覚える。
彼女は自分から猛獣の檻に入り、玩具にされる未来を望んでいる。
あの月華さまを、ただの「攻略対象」だと思っているのだ。
「……桃瀬さん。あの方々は、貴女が思うような単純なお姉さまじゃないわ」
私がトーンを落として告げると、彼女は一瞬だけ眉を寄せた。
けれど、すぐにまた完璧な仮面を貼り付ける。
「ふーん、断るんだ。いいわよ、でも覚えておきなさい。……フローラリアの隣にふさわしいのは、私よ」
彼女は野心を隠そうともせず、淑やかな足取りで去っていった。
◇
残された静寂。
私は図書室の冷気を深く吸い込んだ。
百乃さんの登場で、思い知らされる。
私がいる場所は、誰もが欲しがる「特権」の舞台であり、一歩踏み外せば呑み込まれる薄氷の上なのだ。
優越も、独占も、すべては危ういバランスで成り立っている。
――この舞台は、奪い合いだ。
甘いだけでは、生き残れない。
胸に芽生えた昏い予感を振り払うように、私は重い本の匂いの中、もう一度深く息を吐いた。




