第15話 月夜の儀式、甘やかなる窒息
消灯三十分前。
寄宿舎は深い水底のような静寂に包まれていた。
デスクライトの琥珀色の光が、私たち二人の世界を守る聖域のようだ。
予習を終えてデバイスを閉じると、自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえる。
ふと、隣のベッドに座る柚月さんに目を向けた。
彼女はパジャマの裾をいじり、何かを言い淀むように喉を震わせている。
「……南藻さん。少しだけ、お話ししてもいいですか?」
触れたら壊れそうな、繊細な声だった。
「どうしたの? 顔色が良くないけれど」
「実は、寮で流行っている『秘め事』の話を聞いてしまったんです」
それは、過酷な学園生活で精神を保つための「儀式」だという。
一日の終わりの挨拶として、互いの頬にキスをする。
ただそれだけの、けれど切実な行為。
孤独を埋め、明日という戦場へ向かうためのエネルギー補充。
それは、本能的な魂の舐め合いのようだった。
「それを交わすと、明日も清く正しくいられるそうです。……私たちも、試してみませんか?」
柚月さんの頬は、熟れた果実のように赤く染まっていた。
彼女はどこまでも純粋だ。だからこそ、この歪な風習も「正しい友愛」として信じようとしている。
正直、心臓が跳ねるほど恥ずかしい。
けれど、不安に震える彼女を放っておけなかった。
先日、聖羅さまに部屋を蹂躙された時、私たち二人は甘い背徳を分かち合った仲だ。――躊躇など、あろうはずがない。
「いいわ。柚月さんと絆を深められるなら、嬉しい」
私はベッドを降り、彼女のそばへ歩み寄った。
部屋には、彼女が愛用するミルク石鹸の清潔な香りが漂っている。
暴力的な薔薇の香水とは違う、私たちの日常の匂いだ。
「柚月さん。……じっとしてて」
私はそっと、つま先立ちになった。
身長一五三センチの私と、一五八センチの彼女。
たった五センチの差を埋めるために、ふくらはぎが微かに震える。
柚月さんは観念したように目を閉じ、少しだけ身を低くした。
月光に透ける白磁のような肌。重なる鼓動。
私は独占欲という不純な熱を理性で抑え込み、彼女の頬に唇を寄せた。
――熱い。
触れた感触は、驚くほど生々しく温かかった。
体温が自分の中へ流れ込み、一秒が永遠のように引き延ばされる。
「……おやすみなさい、柚月さん」
耳元で囁き、かかとを下ろす。
柚月さんは熱に浮かされた瞳で私を見つめ、自分の頬を両手で包み込んだ。
「……南藻さんの唇、とても柔らかかったです」
うわ言のように呟き、今度は彼女が私の肩を掴み返した。
逃がさない、というような強い力。
返されたキスは、頬に火傷のような熱を残した。
背筋を駆け抜ける痺れに、足元が崩れそうになる。
◇
儀式を終えた私たちは、逃げるようにそれぞれの布団へ潜り込んだ。
明かりを消した暗闇の中に、濃密な湿度が満ちている。
「南藻さん……安心しました。なんだか、一人じゃないんだって思えて」
暗闇から届く声が、私の心に深く染み渡る。
月華さまの支配、聖羅さまの毒。
この学園は残酷な檻だけれど、ここには体温を分け合える相手がいる。
「私もよ。……貴女がいてくれて、本当によかった」
鼻腔に残るミルク石鹸の香り。
それはどんな宝石よりも価値のある、私のための鎮静剤。
明日になれば、また冷徹な「一組の生徒」を演じなければならない。
それでも、この唇に残る熱があれば。
私は私を見失わずにいられる。
心地よい充足感と、かすかな背徳感。
私はそれに包まれながら、静かに意識を手放した。




