第13話 風を裂く熱量と、弾丸娘
白鳥聖羅さまに部屋を侵食された、その翌日。
日曜の朝になっても、空気中には「青い薔薇」の香りが残っていた。
それが冷たい指先のように、私の肺をなぞってくる。
昨夜感じたのは、蹂躙される喜びへの戸惑いと、圧倒的な力への無力感。
このまま密室にいては、聖羅さまの植え付けた毒に毒されてしまう。
「柚月さん。……サイクリングに行きましょう。私たちには気晴らしが必要だわ」
私の誘いに、柚月さんは静かに微笑んだ。
「そうですね。お外の空気を吸えば、少しは毒が抜けるかもしれません」
◇
寮の自転車で外へ飛び出すと、初夏の光が肌を刺した。
外周コースを漕ぎ出して数十分。私たちは改めて、この学園の「完璧な管理」を思い知らされる。
芝生はミリ単位で揃えられ、数十台のロボットが虫のような音を立てて徘徊している。
頭上ではドローンがレーザーで枝を切り揃え、自然さえも美しく矯正されていた。
「……まるで、巨大な温室に閉じ込められているみたい」
ここにある自然は、野生を奪われ、去勢されている。
自由なんて、許可された範囲の中だけの飾り物だ。
サドルから伝わる振動が、スカートの下の太ももを刺激する。
その感触が、ここが現実だと教えてくれた。
その時、背後から真空を切り裂くような鋭い風の音が迫る。
「えっ――?」
何かが猛烈な速度で横をすり抜けた。
自転車ではない。
一人の少女だ。
巻き起こった突風で、髪が乱れ、スカートが激しく翻る。
制御された静寂をぶち壊す、野性的な熱量。
私はその背中から、目を離せなくなった。
◇
休憩所に辿り着くと、自販機のそばに先ほどの少女がいた。
指定の体操着、汗で額に張り付いた黒髪、日焼けした健康的な肌。
お嬢さまたちの白磁のような静けさとは真逆の、剥き出しの生命力だ。
彼女と目が合うと、少女は人懐っこい笑顔で手を上げた。
「あ、さっきの自転車の二人! 驚かせちゃってごめんね。いい風だったから、ついペース上げちゃって」
竹を割ったような明るい声。
「本当に速かったです……。陸上部の方ですか?」
「正解! 一年六組の佐々木怜奈。外部生だよ。二人は?」
同じ「外部生」だと知った瞬間、肩の力が抜けた。
ベンチに座ると、木面の冷たさが汗ばんだ太ももに心地いい。
「へえ、一組なんだ。すごいなあ、今度テスト前に勉強教えてよ!」
彼女の瞳に映る私は、「月華さまの所有物」でも「聖羅さまの獲物」でもない。
ただの「勉強ができる友達」だ。
その単純さに、救われる。
彼女の放つ体温が、冷え切っていた私の内側をじわりと温めた。
「この学校、ドローンが邪魔なんだよね。ロボットより人間の方が偉いって、いつか教えてやりたいよ」
怜奈の冗談に、私と柚月さんは声を上げて笑った。
聖羅さまへの戸惑いも、月華さまの畏怖も、今はどうでもよく思えた。
◇
連絡先を交換し、怜奈は再び弾丸のような速さで走り去っていく。
「南藻さん。……今日はお誘いありがとうございます。新しいお友達ができるなんて夢みたい」
柚月さんの頬からは聖羅さまの影が消え、健やかな輝きが戻っていた。
この整然とした学園にも、誰にも管理できない熱を宿した光があるのだと気づく。
まだ心の整理は何一つついていない。
月華さまの影も、聖羅さまの視線も、胸の奥に重く沈んだままだ。
それでも。
この新しい繋がりが、確かに私の心を晴れやかにしてくれた。
見渡せば緑豊かな景色。
見上げれば突き抜ける青い空。
初夏の風を切りながら、私はこの光景を強く胸に刻み込んだ。




