第12話 聖母の訪問、侵食される安息の地
白鳥聖羅さまとの間に生じた、あの裂けるような緊張感。
私は逃げるようにして寮へ戻った。
自室のベッドに倒れ込み、思考をすべて投げ出したくなる。
けれど、脳裏には太ももをなぞった扇子の感触が、氷の刃のように何度も蘇る。
それを断ち切った月華さまの低い声も、消えることなく私を満たしていた。
屈辱と安堵。
正反対の感情が、澱のように胸に沈んでいく。
ここはルームメイトの柚月さんと私だけの、安息の地。
「おかえりなさい、南藻さん。……今日は少し、お疲れのようですわね」
陽だまりのような柚月さんの声に、張り詰めていた心がほどける。
私は震える声で、今日の出来事を打ち明けた。
理不尽な要求、冷たい扇子、そして月華さまによる「救出劇」。
恐怖もあったけれど、それと同時に――
いびつな喜びもあった。
彼女の憧れである聖羅さまを貶めるような告白に、私は視線を合わせられなかった。
けれど。
「まあ……聖羅さまが直接、南藻さんを? それは驚きましたわ。でも、南藻さんがそれほど目をかけられて、私は……自分のことのように嬉しいです」
その瞳に嫉妬はなかった。
私が「選ばれた」ことを純粋に祝福している。
彼女の中ではすべて「栄誉」に変換されていた。
その夜、私たちは同じ毛布にくるまって語り合った。
私は柚月さんに守られている。
そう確信して、眠りについた。
……けれど、その確信はあまりに脆かった。
◇
異変は翌日の放課後に起きた。
寮の自室へ向かっていた私たちは、廊下に漂う異質な香気に足を止めた。
本来なら石鹸や紅茶の香りがするはずの場所に、傲慢な「青い薔薇」の香りが充満している。
昨日、至近距離で嗅いだあの匂い。
「南藻さん……私たちの部屋から、何か……」
柚月さんも顔を強張らせる。
施錠されているはずのドアノブに手をかけると、抵抗なく、音もなく扉が開いた。
「あら、おかえりなさい。待ちくたびれてしまいましたわ」
窓際の椅子に、まるで自分の玉座のように腰掛けている女性がいた。
白鳥聖羅さまだ。
「ど、どうして聖羅さまがここに……。鍵はかかっていたはずです」
聖羅さまは優雅に小首を傾げる。
「緊急時に居室を確認する権限が、私たちには与えられているのよ。貴女が心配で様子を見に来ただけ。……不法侵入だなんて、人聞きの悪いことはおっしゃらないでね?」
それは「心配」という名の、暴力的な特権の行使だった。
私たちのプライベートは、あっけなく踏みにじられた。
聖羅さまが立ち上がり、距離を詰めてくる。
一七三センチの彼女の影が、私たちの小さな体を完全に飲み込んだ。
サンクチュアリは、もう存在しない。
「昨日の服装検査、まだ終わっていませんわ。それに……東雲柚月さんと言ったかしら。貴女も、なかなか興味をそそられますのね」
聖羅さまの視線が、私から柚月さんへと移る。
憧れの人を前に、柚月さんは呼吸を忘れたように硬直していた。
「さあ二人とも。そこに並びなさい。挨拶代わりの『検査』を行いましょう」
拒否権なんてない。
聖羅さまの白い指が、私の襟元にかかる。
指先が喉元をかすめ、昨日の興奮が背筋を走る。
そして、私は気づいてしまった。
隣で震える柚月さんの荒い吐息。
聖羅さまの手は私のリボンを直すふりをしながら、そのまま柚月さんの肩へと伸びた。
「東雲さん。貴女の内側は、どうなっているのかしら?」
柚月さんの肩が跳ねた。
憧れの人に触れられる喜びと、親友の前で辱められる羞恥。
聖羅さまは扇子の先で、交互に私たちのスカートを撫で上げる。
一人で蹂躙された昨日より、親友と二人で淵に立たされている今、より深い悦びを感じている自分に愕然とする。
「……ふふ、二人とも良い反応ね。貴女たちの可愛らしさは学園の宝だわ」
満足げにティーカップを置いた聖羅さまが、立ち去り際に柚月さんの顎を扇子で持ち上げた。
「月華さんの秘密を探るつもりでしたけれど、思わぬ収穫だわ。東雲さん、貴女の純粋な瞳、もう少し近くで見てみたくなりました」
聖羅さまは艶然と微笑み、部屋を出ていった。
残されたのは、二人の荒い息遣いと、薔薇の残り香だけ。
「……南藻さん。私、どうしたらいいのかしら……」
床に座り込む柚月さんの顔には、得体の知れない「熱」が混ざっていた。
私は彼女の細い肩を抱きしめる。
親友を守らなければという義務感。
それと同時に、柚月さんへ向けられた嗜虐的な視線を思い出し、胸の奥でどす黒いざわめきが広がっていくのを止められなかった。




