覚悟
数時間、微動だにせずに過ごした。西陽が窓から差し込んで、教室を赤く染めていた。いつのまにか外からは物音ひとつ聞こえなくなっていて、世界は静寂に包まれている。
幸いなことに、狼どもはこの教室に入ってくることはなかった。一度ドアに体当たりをかまされたが、バリケードが仕事をしてくれて破られずに済んだようだ。外にある餌で満足したのか、他の餌を見つけたのか分からないが……ひとまず安心していいのか?
……生き残りはどれくらいいるのだろうか。俺と同じようにどこかに隠れてやり過ごせている人は居るだろうか?同じ階から悲鳴が聞こえていないからなんとか隠れきってくれたと信じたい。
そういえば……不可解なことがあったのを思い出した。俺の火事場の馬鹿力についてだ。人は危機に瀕するとすごい力が出せるというが、こんなにか?バリケードを作る時にも感じたが、筋力が凄まじいことになってる気がする。それは危機が去った今もだ。隣に置いてある椅子の足を掴んで捻ってみる。ぐにゃりと曲げることが出来た。
「さすがにおかしいよな」
俺の体はどうしてしまったのだろうか。人体実験された覚えも、変な蜘蛛に噛まれた覚えもない。わけがわからなかった。夢みたいなことばかりが起きて……夢?そうか夢だ。さすがにおかしいと思ってた。生まれて初めて夢を自覚できた。こんな感覚なのか。でもどうせならこんな悪夢じゃなくて、なんかこうエロい夢とかにしてくんないかなぁ。
「んぅ……。あれ、優希、さん?」
夢だろうか、現実だろうか、まだ自分の中で決めかねていると、隣から声が聞こえる。
「黒宮さん、目が覚めたか。大丈夫?体の具合はどう?」
「……はい、大丈夫、だと思います。あの、ここは?」
取り敢えず目覚めてくれてよかった。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思っていた。
「ここは、教室だよ。何が起きたか覚えてる?」
「えと、はい。たしか……また地震が起きたんですよね。それで、頭痛がして……私はまた気を失っていたんですか?」
「うん、そうだけど、また、って?」
「私、最初の地震の時も気を失っていたんです。いえ、私というより、学校の生徒全員が気を失ってたみたいなんですけど。」
「そうなのか……」
驚きだが、だから何がわかるというわけでもない。このデカい地震についても、空が変色した理由も、あの狼どもについても、わからないことだらけだ。
狼か……。
「黒宮さん。伝えておかなければならないことがある。」
「?、はい、なんですか?」
俺は、黒宮さんが気絶してからのことを、出来るだけゆっくりと話した。
話し終えても、半信半疑といったところだ。そりゃそうだ。とうてい現代日本で起きたことだとは思えない。俺が同じように説明されても、簡単には信じないだろう。
だが、真実だ。ここで俺も覚悟が決まった。夢じゃない、現実だ。これを踏まえて、前を向く努力をしなくては。
「黒宮さん、立てる?」
「はい」
現実を見なければならない。夢ではないと、突きつけなければ、突きつけられなければならない。そう感じた。
俺は黒宮さんの手をとってゆっくり窓際へ向かう。
そして ──────
「……っ!?」
現実を見た。俺も初めて見る、凄惨な殺戮現場。
一目でわかる死体の数々。内臓を撒き散らし、四肢はちぎれ、首が裂け、頭が半分抉り取られている。そんな死体。
辺りは血に染まり、夕日の赤と相まって、まるで地獄の釜の様な、そんな妄想の産物に例えても遜色ないだろう光景が広がっていた。
チラと黒宮さんを見やる。口を手で押さえ、目を見開いて震えている。
涙が滲んできているところを見て、座るように促す。嗚咽混じりの悲鳴を聞きながら、背中をさすった。
まだ高校生の女の子にこんなものを見せることが本当に正解だったかは正直わからない。だけど、現実の認識を切り替えるなら早い方がいいだろう。酷い惨状を実際経験したからか、隣にもっとショックを受けている人がいるからか分からないが、不思議と冷静になれている気がする。
しばらくして、落ち着いて来ただろうか、黒宮さんがこちらに向き直る。
「すみません、ありがとうございました」
「いや、こちらこそごめん。よく、頑張ったね」
本当に、頑張った。できればこれきりにしてあげたい経験だ。
「あの、響はどこにいるか分かりますか?」
「いや。すまない、あれから見かけてないんだ」
そうだ、響はどうしただろうか。走り込みに行ったということは学校の敷地外に行ったのだろう。外でも同じように狼が出たのか?他の子らと同じように気絶していたら逃げようもない。探しに行かなければ。どうか、無事でいてくれ。
しかし気絶か……。思い返してみれば意識を失っていたのは全員ここの生徒ではないだろうか。大人やもう少し若い子でも気絶まではしていなかった気がする。なにか、条件があるのだろうか?年齢か、あるいはこの学校が特殊なのか?
……分からないが、嫌な予感がして来た。気は進まないが……確かめなければならない。
「うし。ちょっと外の様子を見てくるよ。他に生きている人がいるかもしれないしね」
「大丈夫なんですか?まだ狼がいるんじゃ……」
「そんときはそん時だ。ここにずっといていいのかも分からないし、どのみち周辺の状況の確認は必要だろう」
「そう、ですよね……」
立ち上がり、軽く準備をする。辺りはすっかり暗くなっている。懐中電灯を持っていこう。バリケードは崩さない方がいいだろうし、窓から隣の教室まで移動するか。
「気をつけてくださいね」
軽く返事をして外の溝に足をかけ、凹凸を利用して隣の教室へ移る。やはり身体能力が上がっている感じがする。自分の体じゃないみたいだ。思っていたよりも楽に到達することが出来た。窓を開け、中に入り懐中電灯をつける。
……中に入った時の臭いで何となく察してはいたが、ここも酷い有様だった。ここの生徒だったであろう子たちがグロテスクに食い荒らされている。間近で見るとその有様が細部まで確認できてしまい、感情を激しく揺さぶられ、胃液が上ってくるのが分かった。
同じ階から叫び声やらが聞こえてこなかったのは、抵抗なく殺戮されたからだろう。生存者に期待する心が折れてしまいそうになる。
意識がないまま、恐怖を感じぬまま逝けたのなら、ある意味幸せだったのかもしれないな。そう自分に言い聞かせて、俺は死体を並べて毛布をかけ、その教室を後にした。
他の教室も似たようなものだった。生存者はなく、ただ物言わぬ肉塊が放置されていた。
苦しい。この避難所生活、一週間もあれば顔見知りくらいできる。みんなで協力してきたんだ。生徒たちと仲良くなったりもする。死体の中にももちろん見知った顔があった。
「うぅっ……」
我慢できなくなり隅に胃液を吐き出した。涙も出て来た。何でこんなことになったんだろうか。ただの地震じゃないのか。
他の人たちは何をやってる?政府は?自衛隊は?仕事してんのか?ここはこんな酷いことになって、未来ある子供たちが、訳わからん獣どもに食い散らかされてるってのに、黙って見てるのか?
…………はぁ、さっき覚悟を決めたと思ってたのに、まるで感情のジェットコースターだな。
しっかりしろ。夢じゃないぞ、現実だ。分かってる。支援が来ないのは他もヤバい状況だからだろう。この地震がここでしか起きていないと考える方がおかしい。
じゃぁどうするか。自分で、俺たちだけで生き残る術を見つけないといけない。
「うし、やるぞ。大丈夫」
最上階とその下の2階を見て回った俺は、屋上から周囲の状況を確認してから教室に戻った。生存者は見当たらなかった。
窓から戻ると、すでに起きていた生徒たちに不審者を見るような目で驚かれたりしたが。張り詰めていた緊張の糸が緩んだ感じがして、なんだか少し安心できた。
「無事でよかった……お帰りなさい」
「うん、ただいま」
俺は目を覚ました生徒全員に見て来たもを、包み隠さず話した。黒宮さん以外の子達は黒宮さんからすでに何が起こっているかを聞いていたのだろう。
外はもう暗い。幸か不幸か校庭の様子の確認も出来ていない。俺の話を聞いているが、信じてくれているかは分からない。しかし現時点での、この静けさ、誰も会いに来ない異常さ。違和感は感じているんだろう。
「大丈夫か?」
「………」
一人、床の一点を見つめて動かない子がいたので声をかけた。まぁ、大丈夫なわけがないよな。避難所にいた自分たち以外がほとんど死んでるなんて言われて。親御さんが避難所に来ている子もいるだろう。残念だが、生存は絶望的だ。今の話を聞いてそこまで理解出来ているのだろうか。
声をかけたことがきっかけとなったのか、嗚咽混じりに泣き出してしまった。俺は隣に座り背中をさすってやる。不安が伝播したのか、暗い空気だ。
「今日はもう寝よう。大丈夫、何とかなるさ。みんなで頑張ろう」
なんの慰めにもならない言葉を吐くことしかできなかった。
先ほどの探索で手に入れて来た食糧などをみんなで分けて、寝る準備を進める。まだ伝えなければならないことがあるが、この空気ではどうも言い出せない。明日の朝、伝えることにしよう。
朝、目が覚める。通勤の時間に間に合うかスマホの時計を見ようと腕を回しながら、思い出してくる。
最悪の目覚めだ。全部思い出してしまった。苦しい。
横向きで寝ていた体を起こすと背中が妙に温かかったことに気づいた。そちらを見ると黒宮さんが、背中をこちらに向けて寝ていた。どうやら背中合わせで寝る形になっていたようだ。しっかり距離を離して寝ていたはずだが……。毛布にもしっかりくるまっているし、移動して来たのだろう。
やっぱり不安だろうな。死人が出ていて恐怖を感じない方がおかしい。しっかりしている子だけど、それでも高校生だ。少しでも安心させられるように頑張らないと。
──────ガシャン!
急な物音に体がこわばる。どこからだ?同じ階からではないことは分かる。外か?
音の出所を考えていると、黒宮さんがムクリと起き出した。
「あ、あの、優希さんおはようございます。……あの、すみません……」
起きるなりなぜか謝り出した黒宮さんに静かにするようジェスチャーをする。今の音で何人かが起きたようなので同じように静かにするように言う。
「優希さん?何かあったのですか?」
「分からない、物音がしたんだ。外からだと思う」
話しているとまた、ガシャン、と音がする。と、同時に女の子の叫び声も聞こえたような気がする。
生存者の可能性を考えて全身に血がまわって頭が覚醒していくのを感じた。立ち上がると窓際に走る。
「みんなはここで待機して。物音を立てないように」
「優希さん!?」
「様子をみてくる。もしかしたら襲われてるかもしれない。」
そう言って外に出た。襲われてたからと言って何ができるわけでもない気がするが、何かできることがあるかもしれない。ただ、昨日あれだけ死体を見て、何もせずにいるのは嫌だった。




