新たな世界
避難所に来て一週間が経過した。初日にここに来る人が一番多く、その後はパラパラと集まってきたが、キャパシティを超えると言うことは今のところなく、問題なく生活出来ている。
食料などは、最初の備蓄はほとんど無くなったが、地元のデパートやスーパーから厚意での寄付があったり、助け合いながらなんとかやってきている。
当初の想像通り国からの支援はなく、そもそも通信インフラが回復する様子もないので、この地域以外の状況が未だ把握できていない状況だ。インフラが全てなくなるとこんなことになるのかと、驚愕する。徒歩で情報を取りに行く方法もあるが、現実的じゃないだろう。誰もやりたがらないし。
思っていた以上に被害が出ている範囲が広いということは、想像に難くない。きっと全国、各自治体がそれぞれの避難所に集まって、耐え忍んでいるのだろう。
「優希さん、お水はまだありますか?」
「ああ、問題ないよ。少なくなってきたらまた言ってくれ、汲みに行くの手伝うよ」
初日以来、黒宮さんと響とはよく会って話をするようになった。施設の修理や配給の手伝いなんかを一緒にやることもしばしば。
「響はまた走りに?」
「はい、そうみたいです。やっぱり体を動かしてないと落ち着かないみたいで」
響は陸上部で400mをやっているらしい。常に全速力で400mも走り続けないといけない競技だ、考えただけでもキツい。俺より運動神経も体力も上だろうな。
ちなみに響、と名前で呼び捨てなのは、本人にそうしろと言われたからだ。当初は苗字で呼ぼうとしていたが、響も距離感バグってるというか、人の懐に入るのが上手いやつで、気さくに呼べる間柄になってしまった。
「体力すごいな。黒宮さんは体動かしたい、みたいなのはないの?」
「私だってたまにはそういうこともありますよ。でも今はみなさんのお手伝いだけでへとへとです」
苦笑いの黒宮さん。こんな笑顔でも可愛いとは、さすが美少女。
そういえばこの美少女っぷりは確かなもののようで、男子生徒に呼び出されているところを目撃してしまっていた。必死に勇気を振り絞って黒宮さんに声をかけている男子をみて、思わず応援してしまったものだが、その後どうなったのだろうか。一緒にいるところを見ないということは、撃沈してしまったのだろうか。うーむ、南無。君の勇気を讃える一人の男として心の中で弔いを。
「そっか、まぁ俺も似たようなもんかな。手伝いと言っても意外と疲れるよね、黒宮さんは偉いよ」
「いやそんな、当然のことをしてるだけですよ」
今日は天気が崩れそうだな、なんて思いながら黒宮さんと雑談をしていた時だ。
──────何か、妙な感覚を覚えた。
体の毛穴という毛穴から液体を流し込まれたような、むしろ肌が何かを吸っている感覚。
二人して黙り込む。いや、周りの人たちも動きを止めて周囲を見回している。
「……まただ」
黒宮さんが呟いた。
また?なんのことだか少し混乱しながら、違和感の正体を考えていると。周囲のものがカタカタと音を立てていることに気がついた。
マズい、地震だ。余震だろうが、それでもかなり大きい感じがする。
「黒宮さん、広いところに移動しよう……黒宮さん?」
「優希さん、あれ……」
彼女は空をじっと見つめていた。俺も気づいた。空が紫色に変わってきている。どこからともなくドス黒い雲が渦を巻くように集まる。
思い出した。たしか、初日もこんな光景を見た気がする。現実ではありえないような光景だったはずだが、今の今まで頭から消えていた。自分の身の周りの対応でいっぱいいっぱいだったからだろうか。
思い出したからと言ってこの現象の正体が分かるわけでもない。が、同じことが起こるならこの後は……。
「っ!黒宮さん!大丈夫?」
横を見ると黒宮さんは蹲っていた。うぅ、と苦しそうな唸り声が聞こえる。どうしたものかと戸惑うが、とりあえずここはものが多くて危ない。彼女を抱えて、建物から離れるように走り出す。軽い。同年代と比べても少し小柄な方だが、それでも想像していた重みではなかったので、少し戸惑う。そんな場違いなことを考えながら走っていると、大きな揺れが来た。
──────ズドン。
思わず転びそうになるのを耐え、ある程度離れたところで彼女を下ろす。一緒に姿勢を低くして耐える体勢に入る。
すごい揺れだ。初回の地震と遜色無いんじゃないだろうか。せっかく落ち着いて体制も整ってきたと言うのに、また色々と破壊されるのかと思うと、ぶつけようのない怒りが湧き上がってくる。
耐えていると頭痛と耳鳴りに襲われ始める。そうだ、まただ、これも思い出した。痛みと手足の痺れから蹲り、亀のような体勢になる。
5分くらいは揺れていたんじゃないかと思える。長い時間を耐え、頭痛が治った頃、顔を上げる。
酷い有様だった。蹲ったまま動かない人達が何人もいた。校舎は半分ほどが崩れ落ち、泣き叫ぶ声が聞こえる。中にいた子たちは助かるだろうか。校庭には長ばまで亀裂が走り、隙間から草花が見え隠れしている。
「……黒宮さん?」
彼女は蹲ったまま動かない。脈を確認出来たので生きてはいると思うが、危険な状態でないことを祈るしかない。どのみち助けられるだけの知識もないし、助けを乞うことができる状況でもない。
どうしたものか。何もわからない。何が起こったのかも、これから何をすべきなのかも。何も。
絶望して茫然としていると、またしても、それは突然やってきた。
──────ア゛オ゛ォォーーーーー。
なんだ?狼の遠吠えのような……。
ペットショップから脱走した犬か何かか、と思いつつ周りを見やると。
いた。
見つけてしまった。野犬にしてはデカすぎるそれは、群れを成して100mほど先からこちらを見ている。狼だろうか?知識はないがあんなに大きくなるものか?体高だけで俺の胸くらいの高さがある。
いや、そんなことより、なぜこちらを見ている?群れが徐々に広がっている。まるで獲物が逃げないように囲い込もうとでもしているみたいだ。いや、みたい、じゃない。実際そうなのだろう。俺たちは獲物であいつらが狩人。それが覆しようがない事実な気がする。そんな、現実逃避にも似た思考をしていると、ついに始まってしまった。
先頭の狼が姿勢を低くして走り出した。それに続くように他の奴らも走り出す。
体は反射的に動いた。黒宮さんを抱えて立ち上がると崩れた校舎に向かって走り出した。なぜそちらを選んだかと言うと……人が多いからだ。醜いとは思うが、少しでも代わりになってくれる人の多い方向へと走ることが、自分のためになると思ってしまった。
しかし軽いな。さっきも思ったが流石に軽すぎる。これが火事場の馬鹿力ってやつだろうか。心なしか走る速度も……いや絶対に速い。スピードが出過ぎて制御が効かない感覚がある。だが、これだけ速ければ追い付かれないだろうとも思えなかった。後ろから奴らの息づかいが聞こえるような気がする。
とにかく全力で走った。追い越した人もチラホラいて、後ろから叫び声が聞こえた。俺と同じように方々に逃げる人もいた。先ほどの地震で意識がない人達もいるし、恐怖で泣き叫び動けない人もいる。
パニックだ。周りの状況を正しく理解できている人はこの場にいないだろう。俺はただただ自分の命のことだけを考える。恐怖でどうにかなりそうだった。
なんとかたどり着き、窓から校舎に侵入する。そして階段まで走り、最上階まで登り切る。信じられないことに、人一人を担いで下から踊り場まで跳び上がることが出来た。制御が効かず何度も壁に激突したが、階段という競技があったら世界記録だろう。
一つの教室を選び中に入る。中には複数人の意識がない生徒がいた。全員女子生徒だ。おそらく教室ごとに男女で分かれていて、ここは女子生徒の生活空間だったのだろう。申し訳ないが、選り好みしている暇はない。
俺は黒宮さんを下ろすと、ドアを閉めて机と椅子でバリケードを作り始めた。あのデカい狼相手にどれくらい役に立つか分からないが、今はこれしかできることはない。
できるだけ押す力に対して強くなるよう、引っかかりが多く出来るように組み上げる。教室にガムテープがあったのは幸いだった。素人だが、それなりに破りにくいストッパーができたのではないだろうか。あとは狼どもに知能がないことを祈るばかりだ。
一通り見回し落ち着いたところで壁を背に座り込む。いや、落ち着けるわけがない。しかし他よりは安全な場所を作ることが出来たような気がして、少しだけ肩の力が抜けた。
あのデカい狼は何なんだろうか。黒い体毛に毛先の方が赤くなったような色合いだった。見たことも聞いたこともない。間違いなく今までの日本には存在していないだろう。じゃぁいつから現れた?まぁ、確証はないが地震が起きてからじゃないだろうか。今までの地震で生えてきていた植物と同じように、地下世界に生息していた生物が、地震による地殻変動で地上に出て来たのだ。
はぁ……荒唐無稽だな。こんな、俺だけ隠れて良かったのか。……他の人は良くないと言うだろうな。敵わないとわかっていても戦うべきだっただろうか。少しでも戦って、みんなに俺は戦ったぞ、と勇姿を見せて……それで……。ダメだ、全滅する未来しか見えない。無理だ。俺では。無理だったはずだ。
未だに校庭からは、狼の唸り声と、俺が囮にした人達の悲鳴が聞こえてくる。
俺は現実逃避をするように目を瞑った。




