目は優しさに満ちて
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今、校舎の中は不安でいっぱいになっている。とびきり大きな狼が出てきたらしい。非常事態だ。私も参戦しようとしたら、お母さんに止められた。今頃、優希さんたちは狼と戦いを繰り広げているのだろうか。不安だ……。
「凛、話を聞いてちょうだい」
私は今、お母さんと話をしている。私に不倫がバレたお母さんは、何とか私を説得してお母さん側につけようとしているようだ。そんな場合じゃないけど、私も話さないといけないと思っていた。
「私はね、凛、響ちゃんのお父さんにいっぱい助けられたの。地震が起きた時も、わざわざ家まで訪ねてきてくれたわ。お母さんとっても安心できたの」
そんなことどうでもいい。私はもうお母さんの頭の中は全て把握済みだ。お父さんがなかなか帰ってこなくて寂しいところで、頼りになる響のお父さんに助けてもらって好きになった、と懇切丁寧に説明するつもりみたいだ。
「ね?お父さんもひどいと思わない?」
お母さんの頭の中を覗いて、もう一つ分かったことがある。お父さんも浮気をしていたらしい。海外のことも調査してくれる探偵さんにお願いして判明したらしい。だから自分も浮気をしたのだと言っている。
好きって、なんなんだろう。私がおかしいのかな……。
「だから、きっと凛も楽しいわよっ。響ちゃんも喜ぶと思うわ」
優希さん大丈夫かな……。優希さん強いけど、力は弱いから……ちゃんと見ててあげないといけないのに。
「……響のお父さんのこともいつか捨てるの?」
「な、え?何、言ってるの?どういうこと?」
「響のお父さんよりもっと素敵な人がいたら、響のお父さんも捨てるの?お父さんを捨てたみたいに」
だってそういうことだ。私だったら考えられない。でも、私とお母さんは違う。お母さんの素敵な人はいっぱいいるんだろう。
「そんなわけないでしょ!何言ってるの!凛、いつからそんな酷いこと言うようになったの!?」
お母さんは大声を張り上げた。こんなお母さん初めて見た……。
「本当?私は優希さんのことが好き。どんな人に出会っても、もう変わらない」
もう一度私の想いを伝える。でも……理解はしてくれないだろうな。
「また……もう……。そんなの……その時になってみないと分からないわよ……。ね、ねえ、凛、ごめんなさい。喧嘩をしたいわけじゃないのよ。私はただ、ずっと凛とも一緒にいたいだけで……」
お母さんは離婚した後の話をしている。お母さんかお父さん、どちらかを選ばないといけないらしい。でも、お父さんも素敵な人ではないということがよく分かってしまった。
……なぜ、お母さんはすぐに諦めてしまったのだろう。自分のことを好きではなくなったと思ってしまったから?
少しくらいお父さんのことを理解する努力をして欲しかった。相手のことを想うことが好きってことじゃないの?
結局、私はどちらも醜く思えてしまって……嫌だった。
「私、お母さんも、お父さんも……嫌いだから」
「っ!…………」
言った瞬間、お母さんは……凄く、凄く悲しんでいた。お母さんの心を覗いていた私の心もひどく締め付けられるくらいに。お母さんの目には涙が滲んでいた。少しだけ、言ってしまったことを後悔した。
──────カ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ
その時、とてつもなく大きな狼の遠吠えを聞いた。なに、この大きさ……。優希さんっ!
私は優希さんの元へ駆けつけようと走り出した。
「り、凛!」
私は振り返り、お母さんを見る。狼の声で腰を抜かしたのか、尻餅をついていた。涙目で私のことを見ているが、言葉は続かなかった。
私は…………何も言わず、優希さんの元へ向かった。
私は、大きな狼の思考を読み取り、愕然とした。その狼は人間を弄んで愉しんでいた。後ろには何千頭もの狼が待機していて、人間に勝ったと思わせてから、次の群れを送りつけてその絶望する様を見て喜んでいるのだ。
なんて、醜悪な……でも、絶対に勝てない……。
私は優希さんにそのことを伝えた。逃げてほしいとも。でも優希さんは……。
(凛!響と協力して、何とかみんなを逃がしてくれ!急げ!)
ダメだ……それでは優希さんは……。
(これを処理したら、逃げる!こっちで時間を稼いでいる間に……頼む!)
(優希さん、お願い逃げてよ!優希さんがいなくなったら私……この先どうしたらいいの!ダメだよ……逃げて!)
その後、優希さんにどれだけテレパシーを送っても返事が返ってくることはなかった。優希さんは、この避難所のみんなを守ることに決めたようだ。
私の願いは優希さんに生きていてもらうことなのに、優希さんの願いは、みんなに生きていてもらうことだ。
私はどうすれば…………私は…………。
お母さんとの会話を思い出す。
「私は…………」
私は…………優希さんの願いを……叶えよう。
好きな人の願いを……。
そうだ。私は、優希さんを理解する努力をしよう。きっとそれが優希さんにとって大切なことなんだ。私は、そんな優希さんに、ちゃんと寄り添いたい。
優希さんを理解しようとせず…………お母さんと同じになってしまうのは嫌だった。
私は、先導役の先生と、班ごとのリーダーの人に今の状況を伝えた。あの狼の醜悪な思考と一緒に。
「え?な、何これ……」
それぞれパニックになったが、説明をし続ける。今逃げないと、大変なことになる。
しばらくして、ようやく理解してくれる人が出て、行動を開始した。それに釣られるように続々と、班を率いて避難所からの脱出を始めた。
(響!みんなを連れて外に出て!先頭でモンスターの処理をお願い!)
私は計画を響に伝える。
(わ、わかった!けど……優希さんは!?)
(私は……優希さんの願いを叶えることにした)
響には伝わってくれるだろうか。この想いが。
(……うん……分かった。早く避難を終わらせて、優希さんのところに行こう!)
(うん!)
良かった……伝わってくれた……!響だって優希さんのことが心配なのは分かっている。それでも、私と同じように優希さんの願いを叶える方を選んでくれた。
とても嬉しかった。
どんどん外へ脱出していく。外では響と一緒に戦える人達で、狼を倒しながら進んでいる。どうやら、あの大きい狼の遠吠えで、他の狼が集まってきているようだ。逆に狼以外のモンスターとは遭遇していないので、逃げたのかもしれない。
「凛ちゃん!俺たちも早く脱出しないと!」
響のお父さんだ。
お母さんも一緒にいる。目の周りは赤く腫れていた。
「……はい」
もうほとんどの班は既に脱出が完了している。私も最後の一団と一緒に外へ出よう。
(優希さん……どうか、無事で……危なくなったら絶対に逃げてください!)
(大丈夫だ)
私は最後に優希さんにテレパシーを送った。優希さんはただ一言だけ返してくれた。良かったちゃんと逃げるつもりでいる。
じゃあ、私のやることはみんなをできるだけ遠くに移動させることだ。優希さんが安心して逃げられるように。
「はぁ……はぁ……」
避難したみんなは今、住宅街を駆け回っていた。叫び声がそこら中から聞こえてくる。
二度目の大きな遠吠えが聞こえ、足を早めていたのだが、狼の大群に追いつかれてしまったのだ。優希さんは小学校を放棄して、逃げたということだろう。少数の戦闘員だけでは対処しきれなくなり、各自が身を守る戦いになっている。
周辺からは能力だろうか地響きが起きたり、ごりごりと何かを削る音が聞こえたりした。小学生達が戦っているのだろうか。
「り、凛まずいよ。ここも破られそう」
「響、動いちゃダメ、私が……私がなんとかするから」
響は足を怪我していた。狼の歯形でドクドクと血が流れている。
響を守るため、私たち家族を含めて何人かは一つの家に立てこもっている。大きな窓があるのに気づいたのはこの家に入ってからだ。そこから狼がワラワラと入ってくる。
今のところ、私と数人の大人の人とでなんとか対処できては、いる。響のお父さんも一緒だ。他の場所からも続々と入り込もうとして来ていて、そこを担当する人たちもいる。だけど……今はなんとかなっているけど、タイムリミットが近づいてきているのを感じた。
かと言ってここを放棄して外に出ることも、もう不可能だ。私一人だったら走って逃げ切れるけど、何人も殺されることになる。
ここで踏ん張らないと……。
私は飛びかかって来た狼の顔を避けてすれ違いざまに喉元に槍を突き入れる。素早く槍を抜いて、邪魔な死体を外へ投げ捨てた。もう何度も繰り返している。私の体力も限界だった……。
「やああぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!!いたい゛ぃ゛っ!!」
朦朧とした意識の中、狼を処理し続けていたら後ろから悲鳴が聞こえた。聞き慣れた声だ。……鈴音!!
私は振り返り、妹を探す。すぐに見つかった。近くでは響が狼の首に槍を突き刺して座り込んでいた。
そして床に蹲っている鈴音には…………妹には、左腕がなかった。血が吹き出している箇所を押さえて泣き叫んでいる。
「鈴音っ!!!」
私は近くに駆け寄り、しゃがみ込む。すごい血の量だ。止血……止血しないと!
私は着ていた運動着の裾を破き、食いちぎられた鈴音の腕にぐるぐると巻いた。……ダメだ、ぼたぼたと血が溢れてくる。何か、もっと押さえるもの……縛るもの!腕を縛って血を止めるんだ!なにか ──────
「凛っ!!」
響の声。
切羽詰まったその声に私は、今、私達が置かれている状況を思い出す。戦闘中だ。狼が窓からどんどん入ってくるから、私はそれを止めないといけないんだ。
私は急いで振り返る。
…………けど、想像していた光景は私の目には映らなかった。
「お母さん……?」
お母さんが私の前に座り込み、こちらを見つめている。
何してるの……?邪魔なんだけど……。お母さんの体で窓の方の状況が確認できない。
響がこちらに槍を持って倒れ込んでくる。いや、お母さんの後ろだ。響は、槍の刺さった狼と共に床に転がった。
……何が起きているか、状況が把握できていない。分からないことが多くて…………。
ふと、お母さんの口から何かが溢れて出ていることに気づいた。……血?
まだ混乱している私を、お母さんは抱きしめた。余計に周りが見えなくなる。……血、そうだ血が……、お母さんもどこかに怪我をっ!!
私はもがいてお母さんの肩から顔を出した。ようやく後ろの状況を確認できる。何人かで協力して狼を処理しているのが見えた。
響は泣きながら、狼に跨って何度も槍を突き刺している。
そして…………お母さんの背中は血で染まっていた。
無数の爪痕が走り、肉が抉れ、そこから血が吹き出している。床にはお母さんの血が広がり、天井を映し出していた。
「お、お母さん……血が……け、怪我してるよ……」
私はお母さんに問いかける。しかし返事はなく、ただいっそう強く抱きしめられるだけだった。
周りの状況が確認できても、分からないことだらけだ。何が起きていて、何をするべきなのか……。お母さんの怪我はどうすれば治せるのか。止血……しないと…………。
私はお母さんの肩を抱いて床に横向きに寝かせようとした。
「……り、……りん゛…………ごべ、……ごべんね゛…………」
必死に何かを喋っているお母さん。話すたびに口から血が吹き出している。
「お母さん!喋っちゃダメだよ!血がっ!」
「あ゛…………ぁい゛じ、て……」
静止も聞かず、血を吐きながら喋り続ける。私はテレパシーをお母さんに繋げた。
(お母さん、喋っちゃダメだよ……止血するから!)
(…………凛?凛なの?)
私はこの能力の情報と、お母さんの体の状態を伝えた。安静にしていて欲しいとも。
(そう……凄いわね、凛)
否が応でもお母さんの考えていることが私に流れ込んでくる。お母さんは、もう生きようと思ってはいなかった。
(ダメだよお母さん……!だめ!死んじゃイヤだよ!)
(凛……さっきはごめんね。私、自分のことばっかりで凛のことよく考えてあげられてなくて)
私の目を光の無い目でじっと見つめている。
(ごめんなさい!私も……私が、自分のことばっかりだった!)
本当は分かっていた。お母さんはずっと私のことを考えてくれていた。私の幸せを。自分のことだけを考えていたわけでも、私に意地悪していたわけでもない。
そんなこと分かっていたのに。
(凛、あなたはすごく強い子よ。……大丈夫。私なんかがいなくても……やって、いけるわ。…………鈴音のことよろしくね)
(いやだ!お母さんとずっと一緒がいい!これからもずっと一緒にいてよ!)
涙が溢れてくる。段々とお母さんの考えていることが、取り留めのないものになっていった。意識が途切れ途切れになっているのを感じる。
(凛……自由に、生きて…………、大丈夫……大丈夫よ…………りん………………あい、してる…………あいして………………りん…………)
そして…………お母さんの心は聞こえなくなった。
(お、おか、お母さん……?お母さん……!お母さん!)
いくら呼びかけても返事はない。お母さんの心は真っ暗で、静まり返っている。
……お母さんが……死んでしまった…………?
いつのまにか握られていた手からは力が抜け、呼吸によって苦しそうに動いていた胸は、今はもう動いていない。
ただ……変わらず私の目を見つめているお母さんの目は、優しさに満ちていた。
それからのことはあまり覚えていない。
結果として私たちは生き残った。無我夢中で狼の首に槍を刺していたら、狼が出てこなくなった。
「ユニオンでリーダーを任されているものだ。よろしく頼む」
何事か自己紹介をされた気がするが、記憶には残っていない。どうやら助けに来てくれたようだ……遅すぎる。
大勢の人と一緒に歩いていた。荷台に乗せられたお母さんを見つめながら歩いている私の手を、響がずっと握ってくれていたのは覚えている。私は泣いていないのに、隣でわんわん泣いていたのも。
鈴音は気を失っているが、生きている。今は知らない人の背中におぶられて一緒に移動している。
優希さんはどこだろうか……まだ合流できていない。私たちが進んでいる方向は分かるだろうか?
自己防衛なのか、その時私は優希さんが逃げ切れたという仮定の上でしか物事を考えられなくなっていたんだ。
ガタガタと荷台が出す音を聞きながらひたすら歩く。
私は都合のいい妄想で頭を埋め尽くした。




