七話
二人の間に、不自然なほどの静寂が流れた。
結城はふと、不思議な感覚に囚われた。
岬を吹き抜ける風はこれほど強いのに、彼女の黒い髪は重力に従うように滑らかで、セーラー服の襟だけが、まるで遠い記憶の残響のように揺れている。
「……栞。綺麗な名前だね」
結城がそう呟くと、彼女は眩しそうに目を細めた。
その視線は結城を見ているようでいて、その実、彼を通り越し、遠い過去の残影を追いかけているようにも見えた。
「ありがとう。でも、少し古い名前でしょう? この町では、時間はゆっくり流れるの。時々、止まってしまうこともあるくらいに」
彼女の言葉は、単なる比喩にしてはあまりに実感を伴っていた。
結城がふと彼女の足元に目をやると、サンダルから覗く白い足首は、陽光に透けてしまいそうなほど淡い。そこには、生身の人間が持つはずの、泥臭い生活の気配が一切なかった。
「君は、毎日ここにいるの?」
「ええ。ここで風に吹かれているのが、一番落ち着くのよ。ずっと」
「ずっと」
彼女がさらりと言葉にしたその副詞は、彼女のあどけない少女の姿とは、どこかちぐはぐな響きを持っていた。
けれど、放置子として人の顔色を窺い続けてきた結城の鋭い直感は、それ以上踏み込むことを拒んだ。彼女の周りだけ、空気が不自然に澄み渡り、体温という概念が剥落しているような気がしたからだ。
「結城くん、さっき『帰りたくない』って顔をしてたわね」
栞は一歩、崖の淵へと歩み寄った。
そのあまりに危うい足取りに、結城は思わず手を伸ばしかけ――そして、止めた。
彼女が立っている場所は、生者が踏み越えてはならない、あるいは、すでに踏み越えてしまった後の「境界線」であるかのように感じられたからだ。
「……よくわかるね。まだ会ったばかりなのに」
「わかるわ。だって、私も同じだったから。……あの日、私も同じように、ここから海を見ていたのよ」
彼女は振り返り、その夜の海のような瞳で結城を見つめた。
その瞳の奥には、憎しみも悲しみもなかった。ただ、すべてをやり遂げた後のような、静謐な無が横たわっている。
「でもね、この町は優しいから。一度こぼれ落ちてしまったものも、こうして潮風が掬い上げてくれるの」
栞はふわりと笑い、結城の方へと手を差し出した。
結城はその手を取ろうとして、指先が彼女の肌に触れる直前で、言いようのない「冷たさ」を予感して指を止めた。
「さあ、町に戻りましょう。みんな、あなたが帰ってくるのを待っているわ。……私も、ここでずっと、あなたのことを見守っているから」
彼女の姿が、一瞬、夏の強い陽光に溶けて白く弾けたように見えた。
結城が瞬きをしたとき、そこにはただ、潮風に揺れる松の枝と、どこまでも続く深い藍色の海が広がっているだけだった。
結城は一人、坂道を下り始めた。
背中に感じる視線は、町の人々が向けてくれる温かなそれとは少し違う、もっと深くて、永久に変わることのない慈しみに満ちていた。




