五話
坂を下り、潮騒が間近に聞こえてくるあたりで、後ろから自転車のブレーキを鳴らす音がした。
「よお。見ない顔だけど、旅行?」
声をかけてきたのは、日焼けした肌に地元の高校のジャージを着た、同年代の少年だった。自転車のハンドルには使い古された野球のグローブがぶら下がっている。
結城は、反射的に「ああ、まあ」と曖昧な返事をした。都会で同世代に声をかけられる時は、たいてい値踏みされるか、冷やかしのどちらかだったからだ。
しかし、その少年は自転車を止めると、屈託のない笑みを浮かべて結城の隣に並んだ。
「その制服、都会の方だろ? すげえな、こんな端っこの町まで一人で来たのか。俺はタケル。ここの高校の二年生」
「……結城です。二年生。同じだ」
「マジか! 敬語抜きでいいよ。結城、お前めちゃくちゃ顔整ってるから、女子たちが騒ぎ出しそうだわ。でも、なんか……ちょっと疲れた顔してんな」
タケルは結城の返事を待たず、自分の自転車の荷台をポンポンと叩いた。
「よかったら乗るか? 海まで。この先、砂利道で歩くと結構疲れるんだよ」
「いや、悪いよ。歩けるし」
「いいって。客人はもてなせって、ばあちゃんに教わってんだよ。ほら、乗れよ。この町、歩くには意外と広いんだぜ」
あまりにも真っ直ぐな好意。拒絶する隙を与えないその明るさに、結城は困惑しながらも、言われるがまま荷台に跨った。
タケルが力強くペダルを漕ぎ出す。
「なあ、結城。ここ、何もないだろ?」
「……そうだね。でも、静かだし、いいところだと思う」
「はは、そう言ってもらえると嬉しいよ。でもさ、俺らは早くここを出て都会に行きたいって思ってる。お前はその逆なんだな。面白いよな、人間って」
タケルの背中越しに流れていく景色。
放置子だった結城が、誰かの背中をこんなに近くに感じたことはなかった。親に背負われた記憶も、誰かの肩を借りた記憶も、彼の中には存在しない。
自転車が風を切るたびに、タケルが発する熱っぽい生命力が結城に伝わってくる。
「なあ、もし時間があるなら、後で俺らの溜まり場にも来いよ。みんなにお前を紹介してやりたい。……お前、一人で抱え込みそうな顔してるからさ。一人でいたいなら邪魔しないけど、誰かといたいなら、この町にはいくらでも場所があるぞ」
タケルの言葉は、鋭く結城の核心を突いた。
「手のかからない子」として放置され、誰にも頼らずに生きてきた結城にとって、その「場所があるぞ」という言葉は、何よりも求めていた救いだった。
「……ありがとう」
「おう。あ、着いたぞ。ここがこの町で一番綺麗な砂浜。俺は部活あるからここまでだけど、ゆっくりしてけよ!」
タケルは手を振りながら、来た道を軽快に引き返していった。
一人残された砂浜で、結城はタケルの熱が残る自分の指先をじっと見つめた。
この町の人々は、誰もが誰かの隣に居場所を作ろうとする。
それは、結城が今まで知っていた「家族」という概念よりも、ずっと確かで温かい繋がりだった。
結城は、寄せては返す波の音に誘われるように、真っ白な砂浜へと一歩を踏み出した。
そこで、ようやく。
一人の少女と、視線が交差することになる。




