十三話
翌朝、岬に立つ彼女の姿を見つけたとき、結城は自分でも驚くほど激しく安堵した。
「……昨日も一昨日も、いなかったから」
駆け寄った結城に、栞はいたずらっぽく、けれどどこか儚い微笑みを向けた。
「ごめんなさい。少し、準備をしていたの」
「準備?」
栞は海から視線を外し、結城の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、夏の終わりの空を閉じ込めたように深く、澄んでいる。
「明日、あの森の家でパーティーをするの。結城くん、あなたに来てほしいわ」
「パーティー……?」
結城は、昨日訪れたあの静かな、時間が止まったような邸宅を思い浮かべた。あそこには誰も住んでいないはずだし、電気も通っているようには見えなかった。何より、栞が「誰か」と集まって賑やかに過ごす姿が、どうしても想像できなかった。
「ええ。とても大切で、特別な夜になるわ。美味しいお菓子と、素敵な音楽を用意して待っているから。……来てくれる?」
栞が差し出した手は、陽光に透けてしまいそうなほど白く、細い。
都会の常識や、昨日見たあの古い写真の違和感が頭の隅をよぎる。けれど、それ以上に、彼女の「待っている」という言葉が、結城の心を強く捉えて離さなかった。
放置されてきた自分にとって、誰かが自分のために「準備」をして「待っている」と言ってくれることは、奇跡に近い出来事だったからだ。
「……わかった。行くよ。何時に行けばいい?」
「日が沈んで、一番星が見えたら。森の入り口まで迎えに行くわ」
栞は満足そうに微笑むと、ふわりと風に乗るように結城から一歩遠ざかった。
「楽しみね。あなたに紹介したい人たちも、たくさんいるの」
紹介したい人たち。
その言葉に、結城は再び微かな違和感を覚えた。この町の人たちのことだろうか、それとも――。
けれど、彼女の喜びが伝染したのか、結城の胸は期待で高鳴っていた。
「ああ。楽しみにしてる」
約束を交わすと、栞は一度だけ深く頷き、そのまま岬の影へと消えていった。
その日の午後、町を歩く結城の目には、いつもの風景が少しだけ違って見えた。八百屋のおばちゃんが振ってくれる手も、タケルが遠くから鳴らす自転車のベルも、すべてが明日のパーティーへの序曲のように感じられた。
宿に戻ると、女将さんが結城の顔を見て「いい顔だね、何かいいことでもあったかい?」と尋ねてきた。
結城は、明日パーティーに行くんだ、と口に出しかけて、なぜかそれを飲み込んだ。
それは自分と彼女だけの、あるいはあの森の家だけが知っている、秘密の出来事のような気がしたからだ。
一番星が見えたら。
結城は部屋の窓から、刻一刻と表情を変える空を見つめながら、その時が来るのを静かに待ち続けた。




