第74話 今生の別れ
柱の陰にうずくまっていると、クッカとアーロの話が聞こえてきた。
「クッカ、結婚してほしい」
「でも、私は国を捨てることはできないよ」
「俺がこっちに住めばいい。クッカと一緒なら、俺はどこででもやっていける。だけど……」
「どうかした?」
「国に両親を残してきているんだ。俺がいつまでも帰ってこないから心配していると思うんだ…… それだけが気がかりで……」
「じゃあ、一回帰ればいいんじゃない? 私、アーロのことを待ってるよ」
「でも、一度この大陸を出て、またたどり着けるかどうか――」
「大丈夫だよ。私は細かい作業が苦手だけど、スムなら転移魔法の巻物を作ることができるから。それがあればいつでもこっちに戻ってこられるよ。私のことは気にしなくていいから、しばらく両親とゆっくり過ごしてくればいいと思う」
「本当か! あぁ、それを聞いて安心したよ!」
心臓の音が耳にまで響いてうるさい。
こみ上げる怒りで今まで感じていた胸の靄の正体に気が付いてしまった。
アーロにクッカを取られたくない。クッカを愛していると。
胸の痛みと涙をこらえてうずくまっていると、悪魔のささやきのような考えが頭をかすめた。
アーロがこっちに帰って来なければいい――と。
一度思いついてしまったその考えは、私の頭の中を支配した。
アーロもこちらで暮らすとなると、クッカを敵視する者たちから命を狙われ続けることになるだろうし、人間の国に帰っても社交的なアーロなら困ることなどないはずだ――そんな、自分に都合のいい言い訳ばかりが頭に浮かぶようになってしまった。
――アーロがクッカに思いを伝えた次の日。
案の定、クッカは何の疑いもなく、私に転移魔法の巻物を作るように頼んできた。
私は笑顔で快く引き受けたが、そんな物を作る気は全くなかった。
私が作ったのは転移魔法の巻物ではなく、記憶を消す巻物だった。アーロがこれを使えば、アーロはクッカのことをきれいさっぱりと忘れることだろう。
クッカには悪いが、これが最善の選択なんだ。
カノコ族が、自分たち以外皆死んでしまった時もクッカは泣かなかった。
私はクッカの心の強さを信じることにした。
自分の部屋に籠り、記憶を消す魔法の魔方陣をゆっくり丁寧に巻物に描いていく。万に一つも失敗は許されない。全神経を集中させて巻物を作った。
――数日後、アーロが故郷へ帰る時が来た。
「じゃあね、アーロ。待ってるからね」とクッカは愛おしそうにアーロ見つめる。
「必ず戻る」
アーロはクッカを強く抱きしめた。
アーロがクッカを放した後に、私のことも見るので私も笑顔で握手をし、例の巻物をアーロの手に握らせた。
「またな。私もアーロの帰りを待ってるよ」
「ありがとう、行ってくる」
アーロはクッカの用意した転移魔法の黒い穴へと入って消えた。
本当に一瞬のことで、あっけない今生の別れだった。
ふと、クッカの方を見ると、アーロとの別れが寂しいのか目を潤ませていた。
「クッカ…… 本当にアーロと結婚するのか?」
クッカが何と言うかは分かっていたが、直接答えを確かめたかった。
「うん。私、アーロ以外考えられないの。種族の違いなんか関係ない」
「分かった。クッカは大事な幼馴染だし、アーロは私にとっても大事な友人だ。反対するやつもいるかもしれないけど応援するよ」
前半は本当のことだが、後半は嘘だった。クッカとアーロを祝福するつもりなんかこれっぽっちもなかった。
自分のしたことが、結果的にはクッカとアーロのためになるんだ――と痛む自分の心に言い聞かせた。
「ありがとう。スムがいてくれて良かった」
なんの疑いもなく私に微笑むクッカを私は真正面から見ることができなかった。
――アーロが居なくなってあっという間に一ヶ月が経った。
アーロが魔王城から居なくなったら、さぞ気分がすっきり晴れるだろうと考えていたが、それは大きな間違いだった。
私の心に残ったのは虚しさとクッカの愛する男を二度と戻らない存在に変えたという罪の意識だけだった。
アーロが居ない隙にクッカを口説き落とせと部下たちはしつこく私に迫ってきたが、とてもじゃないがそんな気持ちにはなれなかった。
ただただ、時間だけが無常に過ぎ去っていった。
クッカはアーロの帰りを待ち続けた。
一ヶ月がたち、一年が過ぎた。
いつも笑顔だったクッカの顔が少しずつ曇っていくのを見るのが辛かった。
クッカは結局五年、アーロを待った。
アーロと笑いながら食べていた赤いリンゴの季節がやってきて、リンゴを眺めながらクッカは唐突につぶやいた。
「アーロは私を捨てたのかな…… どう思う、スム」
「見てこようか…… 自分で会いに行くのは怖いんだろ?」
この時、私の決心は固まっていた。クッカに嘘をつき続けると。
「うん……」
「分かった。私がアーロを見てくる」
私はクッカに転移魔法でアーロの故郷まで送ってもらい、すぐにアーロの生まれた村へと向かった。
アーロの生まれ育った村は小さな漁村だった。今はちょうど漁師たちが、朝の漁から帰ってきて船を砂浜へ引き上げているところだった。
私は村を見下ろせる崖の上から、村の様子を観察した。
漁から戻ってきた漁師たちの中にアーロもいた。無事に記憶がなくなっているようで、笑顔で他の漁師と話をしていた。
「パパ! おかえり! たくさん獲れた?」
アーロに似た小さな男の子が走っていって、アーロの足にまとわりつく。アーロはその子供を抱き上げてぎゅっと抱きしめた。
男の子の後ろから女が一人追いかけてきた。女の腕の中には小さな赤子が一人いた。
「あなた、おかえりなさい」
「ただいま」
アーロはその女を抱きしめて、女の額にキスをした。その女の背格好はどこかクッカに似ている気がした。
私は、そんなアーロの様子を見て心底安心した。
これで、アーロが魔国に戻ってくることは二度とない。
全てがうまくいった――そう思った。
しかし、心の中に達成感のようなものはなく、虚しさだけが心にこびりついて離れなかった。




