第72話 スムのアーロとの思い出
一週間ほど魔王城を留守にして久しぶりに魔王城へ戻った時、いつもクッカと二人で使っているダイニングに何も考えずに入ってしまった。
私は完全に油断していた。その部屋の様子を見て、息が詰まって立ちすくんでしまった。
魔王城を発つ前までは寝ているだけだったはずの人間の男がたった一週間でクッカと並んで座り笑いあっていたからだ。
いつもだったら、クッカと自分しか使わない食卓の椅子にクッカと人間の男が座っている。そもそも、この部屋だってクッカと自分だけのために作ったのに、他の者が我が物顔でいることが許せなかった。
人間の男は、クッカのカップが空になっているのを見て、何も言わずにお茶のおかわりを入れている。クッカもすっかりその男に慣れたのか、されるがままだ。
人間の男の顔やしぐさには明らかにクッカへの好意の色が滲んでいた。その様には何とも言えない不快感を覚えた。
ミミは何をしているんだと思い探してみると、ミミはアーロの膝の上で丸くなっている。どうやら完全に懐いてしまっているらしい。
呆然と立ち尽くしていると、私に気が付いたクッカは、いつものように私の帰宅を歓迎した。
「あ、お帰りなさい、スム。待ってたよ」
「ただいま……」
「見て、スム。アーロがすごく元気になったんだよ!」
以前怪我をしていたミミをクッカが拾って帰ってきた時も、クッカはミミが回復した時は飛んで喜んでいたことを思い出した。クッカの報告の様子はその時と全く一緒で無邪気だ。
しかし、そんなことでは私の胸のもやもやは消えなかった。
クッカと同じく私が戻ってきたことに気が付いたアーロは立ち上がり、私に向かって頭を下げた。
「はじめまして、アーロと言います。クッカから、あなたの事はいつもよく話に聞いています」
「……」
クッカがこの人間にどういう風に私を紹介しているのかは分からなかったが、ひとまずいい気はしない。
アーロが握手をしようと手を差し出してきたので無視してやった。
アーロは行き場を無くした手を苦笑いしながら戻し、頭を掻く。
(ミミが当てにならない以上、自分の目で判断しないといけないようだな……)
私はクッカと一緒に行こうと考えていた用事をクッカに任せることにした。
「クッカ、北部で吸血鬼たちと巨人族が揉めているから、ちょっと行ってきてくれないか? 私だけでは話にならなかった」
「おお、了解! 久しぶりに大暴れできそうだね」
クッカはぴょんと立ち上がり、肩をぐるぐると回してストレッチする。
「ほどほどにな。大人しくなればそれでいいんだから」
「うん! 二度と立ち上がれないようにしてくるね」
「人の話聞いてるか?」
クッカはおそらく私の話を理解せずに、さっさと転移魔法で消えた。
心の中で吸血鬼たちと巨人族の無事でも祈っておこう。
いなくなるクッカにアーロは手を振ってから、私の顔を見て椅子を引いた。さっき、握手を無視したことは水に流すことにしたらしい。
「スムさん、良かったら座ってください。さっきクッカと一緒にアップルパイを作ったんですよ」
「クッカが料理!? 大丈夫だったか?」
私はクッカに料理をさせないことにしていた。クッカは魔法や戦闘に関しては一流だが、他のことに関しては致命的に不器用だったからだ。調理器具を持たせると必ずどこか怪我をする。
「あぁ…… まぁほとんど俺が作りました」
アーロは察したのか、本当のことを言った。
「そうか…… なら、いいんだ」
クッカが怪我していないことと、これから出てくるアップルパイがまともそうなことを知り、安心して息が漏れた。
アーロはキッチンから切ったアップルパイと紅茶のポットを私が待つテーブルまで運んできた。
「スムさんのお口に合うと良いのですが」と言いながら、アーロは私のカップに紅茶を注ぐ。
いつも私が使っているカップを何も言っていないのに出してきたことにすらイライラした。
そんな風に私が考えているとは全く感じていないようで、アーロは笑顔を崩さない。
「どうぞ!」
「…………ありがとう」
アーロの入れた紅茶を一口飲む。アーロは私の感想が聞きたいのか、ニコニコしながら向かいの席に座った。
紅茶がおいしかったので、アーロを睨んだままアップルパイも食べた。
「うまい……」
「よかった!」
悔しいことにアップルパイはすごく良くできていた。たまにクッカにせがまれて私も作ったことはあるが、こんなにうまく作れたことは一度もない。
このアーロとかいう人間の男は人の懐に入るのが特技のようだ。人懐っこい笑顔で簡単に他人の警戒心を薄めてくる。
その社交性の高さは、まるで私とは対極の存在のようにさえ思えた。
「スムさんはクッカと幼馴染と聞きました」
「そうだ」
「いつから一緒に住んでいるんですか?」
「ここに城を立てたのが七百年前だから、その時から」
「すごい! もはや家族ですね!」
しかも、聞き上手ときた。これはクッカやミミが懐柔されてしまうのも頷ける。太鼓持ちの才能もありそうだ。クッカと「家族」と言われ、まんざらでもない気になってしまった。
「お前こそ、一週間で随分とクッカと仲良くなったみたいじゃないか」
「クッカが親切なんですよ。偶然流れ着いただけのよそ者なのに、よくしてもらってます」
「クッカのことが好きなのか?」
唐突にそんな質問を投げてみると、アーロは飲んでいたお茶を吹き出した。
「なんで分かったんですか!? そういうスキル持ちですか!?」
「……そんなスキルは持っていないが、お前の顔にはそう書いてある。クッカを見ている時、顔が緩みっぱなしだったぞ」
こっちが不快に思う位にな。
「えぇ……なんか恥ずかしいなぁ」
アーロは気恥しそうに頭を掻いた。ここは一つ釘でも刺しておこうか。
「クッカはこの国から出せないからな。嫁にはやれないぞ」
「あ、大丈夫です。クッカから事情は聞きました。魔王をしているから、魔国から離れられないんですよね?」
クッカはどれだけこの男のことを信用しているんだ? そんなに簡単になんでも教えて悪い奴だったらどうするつもりなのだろう…… まぁ、クッカの事だから、たぶんそこまで考えてないんだろうな。
「もし、クッカが俺を受け入れてくれるなら、こっちに永住してもいいと思ってます」
今度は私が驚いて、持っていたカップを落としかけた。
「そんなことまで考えてるのか!?」
クッカと出会って一週間の男がそこまで考えているとは、完全に想定外だった。
「はい。クッカに海で助けられた時に思ったんです。『あ、この人と結婚する』って。よく言うじゃないですか、運命の人と出会うと頭の中で鐘の鳴る音がするって。一目ぼれって言うんですかね」
アーロはまた照れ臭そうにしていた。
反対すべきだとは思ったが、喉の奥に言葉がつっかえて、何も言えなかった。
魔国の平和とクッカの幸せを天秤にかけた時、どうするべきなのか。自分の胸から晴れない靄は何なのか。考えが頭の中をぐるぐると回ってその時は答えが出なかった。




