第93話 機構内の議論
ヴェルナーが去ったその夜のうちに、アレンは緊急便を仕立てた。
ベルクへの道は、通常なら数日を要する。だが、機構の早馬制度を使えば、要点だけを圧縮した報告を、驚くほどの速さで届けることができる。
緊急便で送った報告は、一日でベルクへ届き、一日で返信が戻ってきた。
束になった書類には、二つの異なる筆跡があった。
一枚目は、エリオットの字だった。
――結論から言う。受けろ。関税自主権の一部委譲は、五年後に交渉で取り戻せる余地がある。今、資金がなければ、五年後の交渉権そのものが残らない。感情で判断するな。
簡潔で、迷いのない文面だった。
もう一枚は、カタリーナの筆跡だった。
――反対します。関税自主権は、単なる数字ではありません。北方三州の住民にとって、それは「誰が自分たちの生活を左右するか」という問題です。アウストリアの提案を受ければ、私たちが批判してきた“隔離統治”の構図を、今度は自分たちが作ることになりかねません。
二枚の書類を並べて、アレンはしばらく黙っていた。
どちらも、正しい。
合理は、生き延びるための道を示す。倫理は、生き延びた先に何を守るかを問う。かつて機構の中でエリオットとカタリーナが激しくぶつかり合った構図が、今、この国の問題として目の前に横たわっていた。
最後に、エレナからの一文が添えられていた。
――両論、機構長預かり。現地判断を尊重します。ただし、判断の根拠は、後で必ず言語化してください。
「言語化、か」
アレンはその一文を見て、小さく息を吐いた。
結論を出すことより、なぜその結論を出したかを説明できることのほうが、時に難しい。
執務室に、リアーヌが入ってきた。
「本部からの返信は」
「意見は割れています。決定は、こちらに委ねられました」
「……それは、逃げられないということですね」
「はい」
リアーヌは窓の外を見た。王都の明かりが、以前より少し増えている。復興は、確かに進んでいる。だが、その足元は、まだ何一つ盤石ではない。
「民の間でも、噂が広がり始めています。“アウストリアが助けてくれるらしい”と」
「好意的な噂ですか」
「半々です。喜ぶ声もあれば、警戒する声もあります」
「警戒する側の理由は」
「北方三州の人間です。旧勇者派の残党を出した土地だからこそ、余所の国に権利を渡すことへの拒否感が強い」
アレンはその反応を頭の中に書き留めた。数字だけでは見えない、この国の民の温度だった。
アレンは二枚の書類を重ねて、机の引き出しにしまった。
答えは、まだ出ていない。だが、出さなければならない時が、近づいていた。
戦後処理官は知っている。
正しい答えが二つに割れるとき、選ぶこと自体が、既に一つの意見表明になるということを。
エリオットとカタリーナ、健在です。




