第86話 噂の男
ガルドとの対峙から二日後、捕虜が一人、確保できた。
輸送路襲撃の際に足を怪我して逃げ遅れた若い兵だった。診療室のベッドに横たわり、包帯の巻かれた足を庇いながら、震える声で尋問に答えている。まだ十代の後半に見える、あどけなさの残る顔だった。
「ガルド様は……本気です。“英雄の遺志を継ぐ”というのは、口先だけじゃない」
「レオンについて、何か知っていますか」
アレンの問いに、若い兵は視線を泳がせた。
「……分かりません。ただ、ガルド様は時々、誰かに手紙を書いています。宛先は、誰にも見せません」
「その手紙が、レオンに宛てたものだと?」
「噂です。噂に過ぎません。ですが、陣営の中では、みんな信じています。“いつか、レオン様が戻ってきて、俺たちを導いてくれる”と」
信じている、という言葉には、切実さがあった。
絶望の中で、何かを信じずにはいられない者たちの声だった。
「ガルドは、その噂を否定していないのですか」
「否定も、肯定もしません。ただ……時々、遠くを見ている目をします。まるで、誰かを待っているような」
若い兵は、そこで一度言葉を切り、それから続けた。
「俺たちは、ただ……何か信じるものが欲しかっただけなんです。国は崩れて、誰も助けてくれなくて。ガルド様だけが、俺たちを見捨てなかった」
その言葉に、部屋の空気がわずかに重くなった。
アレンはそれ以上深追いしなかった。今、この場で確かめられることではない。
尋問を終えて部屋を出ると、リアーヌが待っていた。
「レオン様が本当に生きているとしたら、どうなるのでしょうか」
「分かりません」
「分からない、で済ませていいのですか」
「今は、済ませるしかありません」
アレンは静かに言った。
「確認できない噂に振り回されれば、目の前の問題から目を逸らすことになります。ガルドの部隊をどうするか。それが、今の優先事項です」
リアーヌは納得したわけではなさそうだったが、それ以上は問わなかった。
夜、一人になったアレンの脳裏に丘の上で揺れたガルドの目が浮かんだ。
あの目は、噓をついている目ではなかった。何かを――誰かを、本気で待っている目だった。
真実がどちらであれ、それは今のところこの国の外側にある問題だ。
いつか答えが向こうから訪れる日が来るのかもしれない。
だが、今日ではない。
戦後処理官は知っている。
答えの出ない問いは、無理に閉じるより、静かに脇へ置いておくほうが時に正しいということを。
レオンの噂、ここでは触れるだけに留めます。




