第83話 燻る火種
財政再建が軌道に乗り始めた矢先、北からの報告が増え始めた。
最初は、些細な噂だった。国境沿いの村で見慣れない旅人が増えた、夜に馬の群れが移動する音がした――そんな断片が、報告書に一行ずつ積み重なっていく。
その日、北の国境沿いの村から、また一人、行商人が逃げ帰ってきた。顔は青白く、手にはまだ震えが残っている。
「旗を掲げていました。古い、勇者団の紋章です」
村人は震える声で語った。
「若い連中が、武器を持って集まっています。“英雄の遺志を継ぐ”と……」
アレンはその報告を淡々と記録した。
「指導者の名前は」
「分かりません。ただ、噂では……」
行商人は言い淀んだ。
「レオン様が、生きて戻られたという噂も」
その名前に、部屋の空気が一瞬止まった。
クラウスが同行させた護衛の一人が、思わず聞き返す。
「レオン? 失踪した勇者の?」
「噂です。噂に過ぎません。ですが、そう信じている者が、北にはいるようです」
アレンはそれ以上その話題を深追いしなかった。
「事実確認はします。ですが、今は名前より、動きに注目します」
行商人が帰ったあと、リアーヌが静かに言った。
「もし本当にレオン様が戻ってきていたら、どうするのですか」
「本人であれば、それはそれで一つの事実として扱います。噂であれば、噂として扱います。どちらにせよ、対応は変わりません」
「変わらない、とは」
「武装した集団が、統治を脅かしているという事実だけを、処理します」
アレンの声に、揺れはなかった。だが、内心では、その噂が完全に無関係だとも思っていなかった。
レオンは、失踪した。逃亡とも、処刑とも、誰も確かなことを知らない。
あの日――丘の向こうへ消えていった後ろ姿を、覚えている者は多い。だが、その先を知る者は、誰もいなかった。
その空白に、誰かが名前を書き込もうとしている。それだけのことかもしれない。
あるいは。
クラウスが腕を組んだまま呟いた。
「英雄ってのは、消えたあとのほうが厄介だな。生きてる英雄より、噂の中の英雄のほうが、都合よく育つ」
「……そうかもしれません」
アレンはそれ以上を語らなかった。
夜、机に向かうアレンのもとへ、若い戦後処理官が息を切らして駆け込んできた。
「大変です。南の輸送路が、襲撃されました」
「被害は」
「荷は奪われましたが、人的被害はまだ確認中です」
アレンは静かに立ち上がった。
燻っていた火種が、ようやく形を持ち始めていた。
戦後処理官は知っている。
噂は、真偽より先に、人の行動を変え始めるということを。
残党の影が、いよいよ具体的な形を取り始めます。




