第82話 新体制トップとの距離
着任から十日ほどが経った朝、王都の空気が、わずかに変わっていた。
怒鳴り声の絶えなかった配給所の周りが、静かになっている。整列の仕方一つにも、以前とは違う秩序が生まれていた。
配給所の列が、初めて半分に減った。
王都備蓄を最優先に回した効果が、数字ではなく、目に見える形で表れ始めていた。それでも、リアーヌの表情は晴れない。
彼女は毎朝、執務室に顔を出すようになっていた。最初は監視のつもりだったのかもしれない。だが今は、単なる習慣に近くなっている。
「北方三州から、また報告が来ました」
彼女は書類をアレンの机に置いた。
「食料が尽きかけている村があります」
「把握しています」
「把握している、で終わらせるのですか」
声に、抑えた苛立ちが滲んでいた。
「終わらせません。順番が来るまで、待っていただきます」
「順番が来る前に、飢え死にする人がいたら」
「そのときは、私の判断ミスです。責任は取ります」
あまりに簡潔な答えに、リアーヌは一瞬、言葉を失った。
「……責任を取る、というのは、具体的には」
「今のところは、記録に残すことしかできません。ですが、記録は残します。誰が、いつ、何を理由に切り捨てられたか。曖昧にはしません」
リアーヌはその言葉をしばらく咀嚼するように黙っていた。
「以前の宰相たちは、都合の悪いことは記録に残しませんでした」
「知っています」
「あなたが追放された理由の一つも、そうやって作られたと聞きました」
アレンは書類から顔を上げた。
「詳しいですね」
「知らなければ、あなたを信用する材料がありませんでしたから」
初めて、リアーヌの声に、皮肉ではない何かが混じった。
「調べました。あなたが処理してきた案件の記録を、追える限り」
「それで」
「まだ、信用したわけではありません」
彼女は素っ気なく言ったが、その口調はどこか、以前より柔らかかった。
「一つ、伺ってもいいですか」
リアーヌが椅子に浅く腰かけたまま言った。
「あなたは、この国を憎んでいないのですか。追い出された国でしょう」
「憎んでいないとは言いません」
アレンは書類を整えながら答えた。
「ですが、憎しみは仕事の理由にはしません。それだけです」
リアーヌはしばらくその答えを見つめるように黙っていた。何かを言おうとして、結局は言葉を選び直したようだった。
扉を叩く音がして、若い戦後処理官が駆け込んできた。
「失礼します。北の国境沿いで、動きがあります」
「動き、とは」
「旧勇者派の残党です。武器を集めているという情報が」
部屋の空気が、一瞬で変わった。
リアーヌの顔から、血の気が引く。
「まさか、あの人たちが」
「まだ確定情報ではありません。ですが、放置はできません」
アレンは地図を広げ直した。北の国境に、新しい印をつける。
戦後処理官は知っている。
信用は、言葉ではなく、次に何が起きても記録を残し続けるという行為の積み重ねでしか、育たないということを。
次話から、旧勇者派の影が本格的に近づいてきます。




