第81話 財政再建、着手
与えられた執務室は、埃をかぶったままだった。棚には古い書類が乱雑に積まれ、机の上には、誰かが使いかけたまま置き去りにしたインク壺が乾いている。
台帳は、三年分が未整理のまま積まれていた。
トマスが恐縮した様子で説明する。
「前任の財務官が、半年前に逃げ出しました。以来、誰も手をつけていません」
「引き継ぎは」
「ありませんでした」
アレンは頷きもせず、山積みの帳簿に手を伸ばした。
その夜、明かりを落とさずに、机に向かい続けた。ページをめくる音だけが、静かな部屋に響いていた。
アレンはその山を一晩でざっと読み解き、翌朝には三枚の紙にまとめていた。歳入の実数、歳出の実数、そして両者の差――赤字の正体。
「……一晩で、これを」
若い財務官が、紙を受け取ったまま固まっている。
「概算です。誤差はありますが、方向性を決めるには十分かと」
「方向性、というと」
「まず、意味のない支出を止めます。次に、意味のある支出の優先順位をつけます。両方同時にはできません」
アレンは机の上に地図を広げた。北方三州、南部の穀倉地帯、そして王都そのものに、赤い印をつけていく。
「王都の備蓄を最優先にします。次に穀倉地帯の治安維持。北方三州は……当面、切り捨てます」
部屋にいた官吏の何人かが、息を呑んだ。
「切り捨てる、とは」
「今の戦力と資金では、三州すべてを同時に立て直せません。優先順位が低い地域から、順に手を離すということです」
「その地域には、まだ人が住んでいます」
「存じています」
アレンは表情を変えなかった。
「ですが、全員を救おうとして全員を失うより、救える人数を確実に救うほうがいい。これは、私がこの国でずっと否定されてきた考え方です」
その一言に、部屋が静まった。
誰も、それ以上は反論しなかった。
扉が開いたのは、その直後だった。
「――財政の全権を握ったと聞いた」
若い女性が、供も連れずに立っていた。装いは質素だが、背筋の伸ばし方に、育ちの良さが残っている。
「リアーヌです。今は……この国を預かる立場にあります」
「アレン・クロウです」
名乗ると、リアーヌの目が一瞬、鋭くなった。
「知っています。あなたの名前は、この国では誰でも知っている」
皮肉なのか、単なる事実なのか、判断がつかない口調だった。
リアーヌは部屋の中を見回した。埃を払われた形跡もない棚、片づけかけの帳簿の山。それから、もう一度アレンを見た。
「本当に、一晩でこの国の財政を読んだのですか」
「概算です」
「それでも、前任の誰よりも早い」
その言葉には、わずかな驚きが混じっていた。
「北方三州を切り捨てる、と聞きました」
「はい」
「私の民です」
「はい」
アレンは目をそらさなかった。
「切り捨てるのが、私の判断です。反対されるなら、代案を伺います。ただし――希望的観測は代案とは呼びません」
リアーヌはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……代案は、今はありません」
「なら、この方針で進めます」
「ですが」
彼女は初めてアレンの目をまっすぐに見た。
「切り捨てた地域を、後で必ず取り戻すと約束してください。忘れられたままでは困ります」
その要求に、アレンはわずかに目を細めた。
「約束します」
短く答えた。
戦後処理官は知っている。
救えなかった場所を「忘れない」と誓う人間がいる限り、選別は非情にはならないということを。
新しい女王リアーヌ、登場です。




