第80話 処理すべき戦後
大扉が開いたとき、内側の空気が、外よりも重く感じられた。
玉座の間は、記憶よりも狭かった。
天井の高さは変わらないはずなのに、そう感じた。金の装飾は色を失い、分厚かった絨毯は端がすり切れている。かつてここで、大勢の貴族と将軍たちに囲まれ、官位剥奪と追放を言い渡された。
あの日の光景が、一瞬だけ重なった。
居並ぶ貴族たちの視線。玉座の上から降ってくる、感情のない声。「対象者――王国戦後処理官、アレン・クロウ」。呼ばれた自分の名前だけが、やけに冷たく響いていた。
あの日、玉座に座っていたのは国王だった。今、そこに人の姿はない。
代わりに、玉座のそばに置かれた粗末な机の前で、一人の老人が立ち上がった。
「……来たか」
ベルナール・ド・ロアは、記憶の中の姿より、ずっと小さかった。
金の装飾に負けない威厳を纏っていた宰相は、今は染みの浮いた官服に身を包み、震える手を隠そうともしない。白かった髪は、さらに白く、薄くなっていた。あの日、朗々と判決文を読み上げた声は、今はかすれ、一言ごとに息継ぎを挟んでいる。
権力の象徴だった男が、今はただの、老いた一人の人間に見えた。
「アレン・クロウ。……いや」
言い直そうとして、言葉に詰まる。
「なんと呼べばいい。あの日、私はお前から名前ごと取り上げたつもりだった」
「アレン・クロウのままです」
静かに答えた。
「名前は、あなたが取り上げられるものではありませんでした」
その一言に、ベルナールの喉が動いた。反論も、謝罪の言葉も出てこなかった。
「派遣書は、拝見しました」
アレンは机の上に書類を置いた。
「北方三州の統治権限、および財政の全権を、機構に委任していただきます。期間と条件は、こちらで定めます」
「……随分と、簡単に言う」
「簡単ではありません。ですが、迷っている時間はもうないはずです」
ベルナールは震える手で机の端をつかんだ。
「訊いてもいいか」
「なんでしょう」
「お前は、私を恨んでいるか」
部屋の空気が、一段冷えた気がした。
護衛も、若い戦後処理官も、息を潜めている。
アレンはしばらく黙っていた。恨みがないと言えば嘘になる。あの日の判決文は、今でも一言一句思い出せる。官位を剥奪し、財産を没収。国境より追放とする――あの声の震えまで。
「恨んでいます」
静かに、そう認めた。
ベルナールがわずかに目を見開く。
「ですが、それとこれとは別の話です」
アレンは机の上の書類に、指を置いた。
「あなたを恨む気持ちで、この国の民を見捨てるつもりはありません。そして、あなたを赦す気持ちで、この国の失策を大目に見るつもりもありません」
「では、何のために来た」
「処理するためです」
短く、それだけを言った。
「これは、あなた個人への復讐でも、赦しでもありません。ただの――処理すべき戦後です」
沈黙が落ちた。
やがて、ベルナールは崩れるように椅子に腰を下ろした。老いた顔に浮かんだのは、失望でも、屈辱でもなかった。
安堵に、近いものだった。
「……そうか」
それだけ呟いて、書類に手を伸ばす。震える指先が、ようやく力を取り戻していく。
「では、頼む。処理してくれ」
窓の外、傾きかけた陽が、荒れた王都を赤く染めていた。
部屋の隅で、トマスが小さく息を吐くのが聞こえた。何日も張り詰めていた緊張が、ようやく緩んだのだろう。
アレンは書類をもう一度確認し、机に置いたままの印章を取り上げた。
これで、正式に始まる。
戦後処理官は知っている。
復讐でも赦しでもない態度が、時に、そのどちらよりも重く相手に届くということを。
アレンとベルナール、初めての再会でした。次話から本格的な復興作業に入ります。




