第77話 王国からの続報
お待たせしました、続編の第1話です。
本編完結・番外編から少し時間が経った、機構本部での話から始まります。
ベルクの朝は、静かに明けた。
機構本部の窓から見下ろせば、石畳の広場を役人たちが行き交い、露店の主が声を張っている。戦争も、飢えも、暴動も、今日この街にはない。もう何年も、ここにはない。
その平穏の中に、一枚の報告書が届いた。
報告書は、いつもより薄かった。
枚数のことではない。中身が薄い。数字が足りない。書くべきことを、書ききれていない。
アレン・クロウはその一枚を、机の上で二度読んだ。三度目は、行間を読むためだった。
――北方三州、統治困難な状態が継続。
――旧勇者派、武装解除に依然応じず。小規模な略奪、断続的に発生。
――王都備蓄、算出不能(管理体制の崩壊による)。
「算出不能、というのは」
顔を上げずに問うと、対面に立つエレナが淡々と答えた。
「文字どおりです。台帳をつける人間が、もういないということかと」
エレナは、手元の控えを繰りながら続けた。
「配給記録も、税収記録も、更新が三週間前で止まっています。北方三州にいたっては、行政官の生死すら把握できていません」
「派遣した戦後処理官からの報告は」
「これが、その報告です」
半年前、あの国へ送り込んだのは、名も持たない若い戦後処理官だった。腕は悪くない。判断も速い。実務の型は、アレン自身が教え込んだものだ。だが、報告書の薄さが、彼の限界をそのまま映していた。
一人で背負える戦後には、限りがある。
クラウスが扉にもたれて言う。
「制度が回らない国ってのは、報告書まで痩せていくもんだな」
「……ええ」
アレンは報告書を閉じた。
王国は、崩れる速度を緩めていない。むしろ加速している。旧勇者派――かつての英雄たちの残照にすがる者たちが、統治の空白を埋めるように武装したまま居座り、まともな行政官はとうに逃げ出しているという。噂では、離反した貴族の私兵までもが、名目だけの秩序を騙って徴税まがいの略奪を働いているらしい。
「これは、通常の派遣で処理できる案件ではありません」
エレナが、静かに付け加えた。誰もが分かっていたことを、言葉にしただけだった。
「増員するか」
クラウスが軽く言う。だが、アレンは首を振った。
「人数の問題じゃありません。あの国で必要なのは、実務ではなく――判断です。誰かを切り捨てる判断を、誰かが政治的な責任ごと引き受ける必要がある」
扉が開き、セリアが顔を出した。定例報告を聞きつけたのだろう。
「王国の件、ですか」
誰も答えなかったが、それが答えだった。セリアは、机の上の報告書を手に取り、目を通していく。指先が、一行ごとに少しずつ強張っていった。
「北方三州が、統治不能……備蓄も分からない……」
かつて自分が祈りを捧げていた国だ。祈りが届かなくなったあの日から、もう長い時間が経つ。それでも、故郷という言葉の重さは、簡単には消えない。
「……ひどい」
「ひどい、で済ませられる段階は、もう過ぎています」
アレンの声は変わらず平坦だった。だが、その平坦さの下にあるものを、この部屋にいる誰もが知っている。
王国は、彼を切り捨てた国だ。切り捨てられた男が、今もっとも詳しい戦後処理の対象が、他ならぬその国だという事実は、皮肉というにはあまりに出来すぎていた。
「なら、誰を」
問われて、アレンは初めて顔を上げた。
窓の外には、ベルクの穏やかな夕景が広がっている。会議も、暴動も、飢えも、今日この街にはない。
ここに座っていれば、安全だった。
「私が行きます」
短い沈黙が落ちた。
エレナが目を細める。クラウスは、それ以上何も言わなかった。二人とも、その一言の重さを正確に量っていた。アレンにとってあの国は、ただの派遣先ではない。
「個人的な感情ではありません」
誰にともなく、アレンは付け加えた。
「あの国の統治構造も、旧勇者派の人間関係も、私が最も詳しい。それだけです」
嘘ではなかった。だが、それだけでもなかった。
机の上の報告書に、もう一度目を落とす。薄い紙の向こうに、かつて自分を裁いた玉座と、震える手で判決文を読み上げた宰相の顔が浮かんだ。
あの日から、何も清算していない。
清算するために行くのではない。それでも――行けば、清算せざるを得ない何かがある。
「今度は、私が行きます」
もう一度、同じ言葉を口にした。今度は、自分に向けて。
戦後処理官は知っている。
現場に一番詳しい者を送るのが、最も合理的な判断だということを。
そして、それが同時に――最も個人的な判断でもあり得るということを。
続編スタートです。本編完結から間を置いての「王国、再び」編、少しずつ進めていきます。
どうぞよろしくお願いします。




