第76話 番外編 後始末を、お願いします
本編完結後の後日譚です。
あの日、玉座の前で判決を読み上げた男の、その後の話を。
王国の宰相執務室は、かつて世界の中心だった。
金の装飾。分厚い絨毯。窓から見下ろせば、戦勝旗のはためく王都が広がっていた。あの頃は。
ベルナール・ド・ロアは、その同じ部屋で、震える手の報告書を読んでいた。
――北方三州、統治不能。
――王都備蓄、残り十一日。
――旧勇者派、武装解除に応じず。各地で略奪。
数字は、嘘をつかない。
いつか、誰かがそう言っていた。灰色の官服を着た、名も思い出せない男が。あの男は、いつも数字の裏側を見ていた。橋がいつ落ちるか。村がいつ飢えるか。条約がいつ破れるか。誰も見たがらないものを、たった一人で。
ベルナールは、報告書を置いた。
戦争には、勝った。魔王は討たれ、英雄は称えられ、王国は歓声に包まれた。あの日、すべてが解決したと、誰もが信じた。
なのに。
勝利から一年。王国は、戦争では一兵も失わなかった土地から、静かに崩れ落ちていった。難民が溢れ、財政が破綻し、英雄たちは責任の取り方を知らないまま消えていった。
誰も、後始末をしなかったからだ。
いや――違う。
後始末をできる人間を、自分たちの手で、追い出したからだ。
「……宰相閣下」
扉の向こうから、若い文官が顔を出した。青ざめている。
「南の、グランツより。返書が、届きました」
ベルナールの喉が鳴った。
半月前、彼は生まれて初めて、頭を下げる文書を書いた。宛先は、かつて格下と見ていた小国。文面はたった一行で済んだ。
――貴国の「戦後復興管理機構」に、我が国の戦後処理を、依頼したい。
切り捨てた役職の名を、今度は自分から、請いに行ったのだ。
「読み上げよ」
文官は、震える声で封を切った。
「“ご依頼を受理いたしました。つきましては、担当の戦後処理官を一名、派遣いたします”」
ベルナールは、目を閉じた。
来るのか。あの男が。今さら、どんな顔をして。罵倒か。嘲笑か。それとも――かつて自分が玉座の前で言い渡したのと同じ、形式的な慈悲を含んだ声で、こちらを裁くのか。
「……それで。派遣されるのは、誰だ」
「それが」
文官は、文面を二度見直してから、答えた。
「名は、記されておりません」
「は?」
「役職名だけです。“戦後処理官”、と。……個人名は、どこにも」
ベルナールは、しばらく言葉を失った。
やがて、乾いた笑いが、喉の奥から漏れた。
そうか。
あの男は、来ない。来る必要が、ないのだ。
かつて、たった一人の人間に押し付け、たった一人を追い出せば消えると思っていた“後始末”は、もう、一人の英雄の仕事ではなくなっていた。名前のない役割になり、仕組みになり、誰がやっても回るものになっていた。
英雄を一人潰せば崩れる国と、英雄がいなくても回る仕組み。
その差が、勝者と敗者を分けたのだ。剣ではなく。
数日後。
一台の地味な馬車が、王都に着いた。降りてきたのは、若い役人だった。灰色の上着に、革鞄を一つ。中身は、剣ではなく、書類だ。
ベルナールは、その姿に、いつかの誰かを重ねずにはいられなかった。
「……戦後処理官、か」
「はい」
若者は、淡々と頭を下げた。
「これより、貴国の戦後処理に着手します。救える地域と、救えない地域を、選別させていただきます。嫌われ役です。覚悟の上で来ました」
その口調に、恨みはなかった。同情も、勝ち誇りもない。
ただ、目の前の瓦礫を、片づけに来た者の目だった。
「一つ、聞いてもよいか」
ベルナールは、老いた声で問うた。
「お前たちの長は……アレン・クロウは、私を恨んでいるか」
若者は、少し考えてから、答えた。
「さあ。長は、もう個人の恨みで仕事を選ばない人ですので」
そして、付け加えた。
「ただ、一度だけ、こう言っていました。――あの国も、戦後だ。誰かが、引き受けねばならない、と」
ベルナールは、天を仰いだ。
恨み言の一つもあれば、まだ救われた。だが、あの男は、自分を裁いた国さえ、ただの“処理すべき戦後”として扱っていた。
それは、復讐よりも、ずっと重い赦しだった。
窓の外。崩れかけた王都に、はじめて、片づけの槌音が響き始める。
戦後処理官は知っている。
戦争は、勝っても負けても、いつか終わる。
だが、その後始末を引き受ける者がいるかどうかで――国の生き死には、決まる。
そして、引き受ける者は、もう、一人の英雄ではない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本編は静かに幕を閉じましたが、「追放した側のその後」を、一度きちんと書きたく思っておりました。
派手な復讐ではなく、仕組みが王国を上回るという形での決着。それが、この物語らしい後始末かと思います。
もし「こちらの視点も読みたい」というキャラクターがいれば、感想欄で教えていただけると嬉しいです。番外編、もう少し続けるかもしれません。




