第34話 監督者
アレンが到着してから、七日。
街の表情は、穏やかだった。
配給は延長され、広場には炊き出しの列が整然と並ぶ。
ミラは毎日そこに立ち、言葉を交わし、手を握る。
数字上も、まだ問題は表面化していない。
「……静かですね」
エレナが、報告書から顔を上げる。
「嵐の前です」
「確信が?」
「はい」
アレンは、財政予測の表を指でなぞる。
赤字曲線は、ゆるやかに、しかし確実に上昇している。
そこへ、来訪の報が入った。
「諸国同盟評議会より、特使が到着しました」
リーゼの名を持つ正式文書。
戦後復興管理機構の“監督”として派遣された人物。
応接室に現れた男は、整った身なりに無駄のない所作。
「イサーク・ヴァルディアです」
落ち着いた声。
敵意も、媚びもない。
「評議会の決定により、本都市の復興進行を確認に参りました」
「確認、ですか」
「はい」
彼は穏やかに微笑む。
「戦後処理官の判断が、各国に影響を及ぼすため」
アレンは、わずかに視線を細めた。
――上に立つ者。
「歓迎します」
「こちらこそ」
形式的な挨拶のあと、すぐに本題に入る。
「現在の政策は、無条件延長と聞いています」
「ええ」
「あなたの提案は否決された」
「そうです」
イサークは、手元の書類を閉じた。
「民意を尊重した判断ですね」
「はい」
「正しいと思いますか」
問いは、柔らかい。
「短期的には」
「長期的には?」
「破綻します」
即答だった。
イサークは、ゆっくり頷く。
「ですが、民意を無視することはできません」
「ええ」
「評議会は、安定を最優先とします」
その言葉に、微かな違和感。
「安定、ですか」
「はい。混乱は連鎖します」
彼は、アレンを真っ直ぐ見る。
「あなたの判断は合理的です。
ですが、合理性は“火種”にもなり得る」
――正しさは、秩序を乱すなら排除すべき。
その思想が、透けて見えた。
「では、どうするおつもりですか」
「当面は、現行方針を維持します」
穏やかな決定。
「あなたの案は、保留。
情勢が変われば再検討」
それは、実質的な制限だった。
会談後、クラウスが言う。
「……嫌な男だな」
「有能です」
「だから、嫌なんだ」
その夜。
イサークはミラとも会談していた。
「代表の姿勢は評価されています」
「ありがとうございます」
「ですが、財政の持続性については懸念も」
ミラは、迷わず答える。
「人が立ち直らなければ、財政も戻りません」
「その通りです」
イサークは、微笑む。
「だからこそ、焦らず進めましょう」
言葉は柔らかい。
だが、その裏にあるのは――**時間稼ぎ**。
翌日。
街の市場で、小さな騒ぎが起きた。
商人が言う。
「配給があるなら、値を下げられない」
「売れないなら、店を閉める」
供給は止まり始める。
だが、まだ“危機”ではない。
夜。
アレンは、静かに記録を更新する。
――市場停滞。
――物価硬直。
――徴税不能。
「……遅らされていますね」
エレナが言う。
「ええ」
アレンは、淡々と答えた。
「私ではなく、問題の顕在化が」
イサークは、窓辺に立って街を眺めていた。
「……もう少し、穏やかであれ」
彼の目的は、崩壊の回避ではない。
**混乱の波及阻止**。
戦後処理官は知っている。
敵は、悪意を持たない。
だが――
“正しさを制限する仕組み”こそが、
最も厄介な壁になる。
そして今、
その壁が、静かに築かれ始めていた。
(第34話 了)




