第30話 次の戦場
調印は、驚くほど静かに行われた。
大広間ではない。
観衆もいない。
拍手も、喝采もない。
ただ、机と椅子。
積み上げられた書類。
そして、疲れた顔をした数人の代表者。
「……これで、成立だな」
中立都市ベルクの代表が、羽根ペンを置いた。
「戦後復興管理機構。
国境を越えた暫定組織。
責任の所在は、ここに集約される」
その言葉に、誰も喜ばなかった。
だが、誰も反対もしなかった。
リーゼが、静かに署名する。
「グランツ王国は、この機構を支持します」
「人的協力も?」
「ええ。最初の実務責任者として――」
視線が、アレンに向く。
「アレン・――」
「名前は不要です」
アレンは、穏やかに言った。
「役職だけで十分です」
「……本気か」
「はい」
クラウスが、苦笑しながら署名する。
「まったく。
英雄でも聖女でもなく、
名前すら残さないとはな」
「だから、長く続きます」
最後の署名が終わり、文書が閉じられる。
それが、世界を変える一歩だとは、
誰も実感していなかった。
その日の夕方。
アレンは、城壁の上に立っていた。
城下町の喧騒が、少し遠い。
「……行くのですね」
リーゼが、隣に立つ。
「ええ。最初の派遣要請が来ています」
「どこへ」
「内戦が終わったばかりの都市国家です」
「危険?」
「はい」
リーゼは、小さく笑った。
「あなたらしい」
「殿下も、変わりました」
「ええ」
彼女は、空を見上げる。
「英雄に頼らない国を、作らなければなりませんから」
少し離れた場所で、セリアが立っていた。
聖女の衣装ではない。
だが、以前よりもずっと強い表情だ。
「……私も、同行します」
「いいのですか」
「癒せません。でも――」
セリアは、はっきりと言った。
「苦しんでいる人のそばには、立てます」
クラウスが、肩をすくめる。
「結局、君の周りには厄介な人間ばかり集まるな」
「類は友を呼ぶ、というやつですね」
「最悪だ」
三人は、わずかに笑った。
翌朝。
馬車は、城門を出る。
見送りは、最小限だった。
旗も、音楽もない。
ただ、仕事が始まるだけだ。
馬車の中で、エレナが書類を差し出す。
「……次の案件です」
「読ませてください」
ページをめくるアレンの目は、静かだった。
「……難民五万。
財政破綻。
旧英雄派と現実派の対立」
彼は、ゆっくりと息を吐く。
「次の戦場ですね」
「戦場?」
「剣は、使いません」
アレンは、窓の外を見た。
広がる道。
終わった戦争の、その先。
「それでも――」
彼は、はっきりと言う。
「ここで判断を誤れば、
また人が死にます」
馬車は、進む。
英雄も、奇跡もない世界へ。
だが、責任を引き受ける者がいる限り、
世界は、かろうじて前に進める。
戦後処理官は知っている。
次の戦場は、いつも同じだ。
――人が、現実から目を逸らした場所。
そして彼は、今日もそこへ向かう。
(第30話 了)
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