第28話 象徴の終わり
王国から、正式な発表はなかった。
勇者レオンの失踪について、
処罰とも、辞任とも、殉職とも書かれていない。
――ただ、名前が消えただけだ。
「……象徴を失った国は、脆い」
グランツの執務室で、クラウスが呟く。
「英雄がいなくなれば、次は聖女だ」
「ええ」
アレンは、淡々と答えた。
「“祈れば救われる”という物語も、もう維持できません」
その頃、王国中央聖堂。
聖女セリアは、祭壇の前に立っていた。
白い衣装。
だが、その姿にかつての畏敬はない。
「……祈祷会を再開します」
司祭の言葉に、民は集まった。
だが、期待は薄い。
――どうせ、奇跡は起きない。
セリアは、深く息を吸い、祈る。
光は、降りなかった。
ざわめきは起きない。
怒号も、失望の声もない。
ただ、静かな理解が広がる。
「……もう、終わったんだな」
「奇跡の時代は」
それは、崩壊ではなかった。
終わりだった。
その夜、セリアは聖堂を出た。
誰にも止められず、
誰にも追われず。
翌日、王国は発表する。
――聖女制度の停止。
――宗教行事の縮小。
信仰は、制度として整理され始めた。
一方、グランツ。
セリアは、城門前で立ち止まった。
「……戻ってきました」
「おかえりなさい」
迎えたのは、アレンだった。
「私は、もう聖女ではありません」
「ええ」
「それでも……」
「居場所は、あります」
セリアは、静かに頭を下げた。
「……お願いします」
その日、リーゼは正式に発表した。
「今後、グランツ王国は、
宗教的奇跡を政策に組み込みません」
ざわめき。
「祈りは否定しません。
ですが、責任は人が引き受けます」
その言葉は、重かった。
民は、すぐには拍手しない。
だが、背を向ける者もいなかった。
夜。
アレンとセリアは、城の回廊を歩いていた。
「……私、怖いです」
「ええ」
「もう、祈っても救えない」
「それでも、人のそばに立てます」
「……私に、できますか」
「できます」
アレンは、迷いなく言った。
「あなたは、“できないこと”を知りました」
「それが……?」
「責任を引き受ける、最初の条件です」
セリアは、ゆっくりと頷いた。
机の上には、新たな文書が置かれていた。
――戦後復興管理機構(仮)。
個人ではない。
英雄でもない。
役割としての、責任。
アレンが、その表紙に指をかけた、そのときだった。
扉が、乱暴に開いた。
「アレン様」
エレナだった。息を切らし、顔から血の気が引いている。
「王国が……崩れ始めました」
部屋の空気が、一瞬で張り詰める。
「英雄も聖女も失った王国は、もう“持ちこたえている国”を演じる余裕すらありません。武装したまま解散させられた旧兵が略奪を始め、行き場をなくした難民が南へ――グランツの国境へ、雪崩れ込んでいます」
「数は」
「……数えきれません」
クラウスが、低く唸った。
「戦争で滅びなかった国が、戦後で滅ぶか」
「ええ」
アレンは、窓辺に立った。
灯りの増えたグランツの街。その向こう、北の空が、かすかに赤い。
火だ。
王国が、燃えている。
予想はしていた。だが――早い。
戦後処理官は知っている。
戦後は、勝利では終わらない。
誰かが引き受けるまで、終わらない。
そして、もう一つ。
机の端には、各国から届き始めた要請の束が積まれていた。
アレンは、その一枚に目を落とす。
“戦後処理官を、派遣してほしい”
“あの男を、寄越してほしい”
“奇跡でなくていい。ただ、彼に来てほしい”
名前のないはずの役割に、いつのまにか名前が貼られ始めている。
アレン・クロウ、という名が。
英雄を終わらせた男が、次の英雄に祭り上げられようとしていた。
「……皮肉ですね」
セリアが、小さく言う。
「あなたは、すがる相手を奪ったのに。人は、すがる相手を、また探す」
「ええ」
アレンは、北の赤い空を見つめたまま、答えた。
「象徴は、壊しても、また生まれます。人は、相手を変えただけで、同じことを繰り返す」
だから、と彼は続けた。
「次に処理すべき“戦後”は――この、英雄を求める世界そのものかもしれません」
燃える王国の火が、国境の雪を、ほのかに赤く染めていく。
その夜から、グランツの本当の戦後処理が、始まろうとしていた。




