第111話 修正案
書庫を出たのは、夜半だった。アレンは自室に戻らず、まっすぐ検証部会の部屋へ行った。灯りが点いていた。エリオット・ハーグは、まだ卓についていた。
「まだおられましたか」
「明後日が総会ですので」
「一つ、お願いがあります」
エリオットは、書類から目を上げた。
「内容によります」
「計算をしていただきたい」
「何の」
「記録の保存方式を、三つに分けた場合の費用です」
アレンは、卓の上に紙を一枚置いた。走り書きだった。
――集計と要約。永年。
――審査の過程と監査所見。五年。
――受給者の氏名台帳、および基準により受給から外れた者の氏名台帳。永年。ただし、氏名・区分・年月のみの一行形式とする。
エリオットはその三行を読んで、しばらく黙っていた。
「三つ目が、要ですね」
「はい」
「現行の個別台帳は、審査の経緯まで含んでいます。これを一行にすれば、嵩は十分の一以下になります」
「十五分の一だと見ています」
「近い数字です」
彼は、算盤を引き寄せた。
「もう一点、伺います。〈外れた者の台帳〉というのは、現行制度に存在しません」
「作ります」
「なぜ」
「基準で外した人が、その後どうなったかを照合するためです。それができなければ、基準を直せません」
エリオットの手が、一度止まった。
「――増える台帳を作って、費用を下げる案ですか」
「そうなります」
「無茶です」
「無茶かどうかを、あなたに計算していただきたいのです」
エリオットは、算盤の珠を、指先で一度弾いた。
「アレンさん」
「はい」
「私は、これが良い案かどうかは判断しません」
「存じています」
「幾らかかるかだけを出します。高ければ、高いと言います」
「それで結構です」
彼は、灯りを一つ増やした。
夜明け前に、クラウスとエレナが来た。朝になって、カタリーナが来た。三行の紙を見て、彼女は最初に一つだけ質問した。
「この氏名台帳は、誰が見られるのですか」
「見られません」
アレンは、そう答えた。
「判断をする者は、閲覧できません。区分の審査、配給の割当、監査の実施――そのいずれの場にも、この台帳は出しません」
「では、誰が」
「検証をする者だけです。判断が終わり、一定の期間が過ぎたあとに、結果を照合する目的でのみ開きます」
カタリーナは、その意味を測るように、少し黙った。
「――クライスト殿の原則を、そのまま入れたのですね」
「入れました」
「あの方の主張は、名簿が判断を歪めるということでした」
「歪めます。私はそれで四百人を死なせました」
カタリーナは、そこで何かを言いかけたが、やめた。
「ですから、判断からは外します。外したうえで、捨てません。あの方と私の違いは、そこだけでした」
昼過ぎに、エリオットが数字を持ってきた。紙は一枚だった。
「一・四です」
誰も、すぐには声を出さなかった。
「現行が二・一。アウストリア案が一・二。本案が一・四」
エリオットは、内訳を並べた。
「影響予測監査の停止で、まずアウストリア案と同じだけ下がります。そこから、氏名台帳の作成と保管で〇・二戻ります。審査記録を十年から五年に縮めることで、その半分弱を打ち返せます」
「差は〇・二」
「加盟二十か国の平均で、年に〇・二です」
「五年以内に払えなくなる三か国は」
「一・四なら、払えます」
エリオットは、はっきりとそう言った。
「十年で耐えられなくなる六か国のうち、四か国も残ります。残る二か国は、いずれにせよ別の支援が要ります」
「――ありがとうございます」
「まだ終わっていません」
エリオットは紙をもう一枚出し、それを卓の中央に置いた。
「もう一つ、申し上げます。私の名前で保証できる範囲の話です。氏名台帳を持つ制度は、持たない制度より、五年目以降の基準修正の回数が多くなります。過去の運用実績から、そう見込めます」
「修正が多いのは、良いことですか」
「分かりません」
エリオットは、そう答えた。
「良し悪しは、私の担当ではありません。ただ、事実として、直せる制度は直されます」
カタリーナが、はじめて小さく息を吐いた。
「エリオットさん」
「はい」
「それは、ずいぶん踏み込んだ一行ですね」
「数字です」
彼は、表情を変えなかった。だが、そのまま部屋を出ていく背中に、クラウスが小さく口笛を吹いた。
修正案の起草に、残り半日を使った。条文は五つ。アウストリア案の第一条をそのまま引き写し、第二条を差し替え、第三条に台帳の閲覧制限を置き、第四条に施行の年限、第五条に五年後の再検証を入れた。文体は、機構の書式どおりにした。飾りは一つも入れなかった。
最後に、アレンは前文を書いた。一行だけだった。
――本案は、アウストリア提出案を否定するものではない。その骨格を採用し、一点のみを差し替えるものである。
「殊勝だな」
クラウスが、後ろから覗き込んで言った。
「事実です」
「事実だが、こう書かれると向こうは反対しにくい。分かってて書いてるだろ」
「書いています」
「あんた、たまに怖いよ」
夕方、写しが二十部刷り上がった。そのうちの一部を、アレンは自分でアウストリアの宿泊室へ届けた。取り次ぎの者に渡し、名乗って、それだけで帰った。届けたのは、四十七行の紙の写しと一緒だった。
総会は、翌朝十時。
戦後処理官は知っている。
最も強い反論は、相手の設計を丸ごと受け取ったうえで、一点だけを差し替えるものだということを。
一・四倍。修正案ができました。
次回、総会です。




