第110話 記録だけが違う
――では、我々の違いは何です。
アレンはすぐには答えなかった。書庫の灯りが二つとも同じ高さで燃えている。棚の紙は音を立てない。
彼は、この問いを二十日間、別の形で聞き続けてきた。カタリーナが「何を守るのですか」と言い、ロートが「埋めてどうされますか」と言い、トマスが「何と答えたか考えていました」と言った。どれにも答えられなかった。だが今夜、答えの形が見えていた。ゲルツ谷と、アウストリア東部の千二百人が、同じ卓の上に並んだからだ。
「クライスト殿」
「はい」
「あなたは、名簿を判断の場から外しました」
「はい」
「私も、外しました」
「そのようです」
「そこまでは、同じです」
アレンは机の上に指で線を一本引いた。何も書いていない机に、見えない線を引いた。
「違いは、その先です」
ヴェルナーがその線を目で追った。
「あなたは、判断の場から外した名簿を、捨てました」
「保管に費用がかかりますので」
「私は、外した名簿を、別の場所に置きました」
「別の場所」
「判断の卓ではないところです」
アレンは指をもう一本、離れた場所に引いた。
「名前は、判断の入力にしてはいけません。それは、あなたが正しい。入力にすれば、陳情になります。私の場合は、情になりました。どちらも同じ壊れ方をします」
「では、何に使うのですか」
「出力です」
ヴェルナーが、はじめて姿勢を変えた。
「――出力」
「判断は、基準で行います。名前は見ません。ですが、判断が終わったあと、その結果として誰が外れたのかを、名前で書き出します」
アレンは二本の線の間を指で示した。
「入力ではなく、結果として。前ではなく、後で」
「意味がありますか。判断はもう終わっています」
「その判断が間違っていたかどうかは、その名前でしか分かりません」
彼はそう言った。
「基準が正しかったかどうかは、基準を見ても分かりません。基準は、いつも自分では正しく見えます。分かるのは、その基準で外した人がどうなったかを、後から並べたときだけです」
ヴェルナーは黙っていた。
「ヴァイセンでは、死者の数は正しく集計されていました。区分の更新も規程どおりでした。どこにも誤りがない。ですから、二年間、誰も気づきませんでした」
アレンは続けた。
「気づけなかったのは、〈外れた人〉と〈死んだ人〉を突き合わせる紙が、どこにも残っていなかったからです。両方とも数字で残っていました。数字は、突き合わせられません」
「名前なら、突き合わせられる」
「はい」
ヴェルナーの指が机の上で一度だけ動いた。
「――続けてください」
「あなたが東部でやったことは、判断の歪みを直しました。それは成功しています。私はそれを認めます」
「ですが」
「歪みが直ったかどうかを、あなたは確かめられません」
灯りが、音もなく揺れた。
「均等になったと言われました。以前のどの年よりも均等だったと。その根拠は、配分の数字ですね」
「そうです」
「配分が均等でも、届いていなければ意味がありません。届かなかった人は、配分表には出てきません」
ヴェルナーは、動かなかった。
「あなたの方式は、間違いを起こしにくい方式です。ですが、起こしたときに、それを発見できません。二年で捨てるということは、二年より長い時間をかけて現れる間違いを、制度が構造的に発見できないということです」
アレンはそこで一度だけ息を置いた。
「私が守りたいのは、名前ではありません」
「では」
「――間違えたと、後から分かる状態です」
棚の紙が音を立てなかった。二十日ぶりに、彼は自分の言葉でそれを言えた。カタリーナに答えられなかった問いに、今、答えが出ていた。
ヴェルナーはしばらく何も言わず、それから、外套の前を一度直した。寒いからではなかった。何かを整えるときの、彼の癖だった。
「アレン殿」
「はい」
「あなたの言い分には、費用の裏づけがありません」
「ありません」
「後から分かる状態を保つために、加盟国は年に幾ら払うのですか」
「まだ計算していません」
「では、私の案は通ります」
「通るでしょうね」
アレンは否定しなかった。
「総会は明後日です。今から代案は出せません」
「はい」
「にもかかわらず、あなたは反対を取り下げない」
「取り下げません」
「勝算はありますか」
「ありません」
ヴェルナーはそこで少しだけ黙り、そして、この夜はじめて、椅子から身を乗り出した。
「――興味深い」
その一言は、褒め言葉ではなかった。感嘆でもなかった。彼が本当に何かを面白いと思ったときにだけ出す、事実の報告だった。
「二年で捨てるのは記録ではない、とあなたは言われた。あのときは、感傷の言い換えだと思っていました」
「今は」
「設計の話だと分かりました」
ヴェルナーは立ち上がり、扉のところで一度止まった。
「一つ、申し上げておきます」
「はい」
「私は、明後日、この案を通します。加盟国の四割は既に賛成を約束しています。あなたが四十七の紙を読み上げても、票は動きません」
「承知しています」
「そのうえで」
彼は振り返らずに言った。
「四十七行の紙は、写しを一部、私にください」
アレンはその背中を見た。
「読まれますか」
「読みます」
「なぜです」
「――さあ」
扉が閉まった。
その頃、南のアウステルでは、財務総監府の一室に灯りが点いていた。ディーター・ロートは、机の上に二つの書類を並べている。一つは、ヴァイセン地区の調査に関する自分の報告。もう一つは、機構総会に向けたアウストリアの想定問答集だった。
想定問答集の第七問に、彼は細い字で書き足した。〈東部地区の死亡者に関する機構側の指摘があった場合〉。答えの欄には、こう書いた。――本件は、簡略方式の設計上の欠陥ではなく、承認手続きにおける確認不足に起因する。
彼はその一行を二度読み返した。承認したのはヴェルナー・クライストである。
ロートは羽根ペンを置き、灯りを消した。
戦後処理官は知っている。
同じ失敗から出発した二人が、正反対の場所に立つことがあるということを。
そして、その距離を測れるのは、たいてい記録だけだということを。
南では、別の紙が用意されはじめました。
次回、総会です。




