第11話 救われない場所
地図の端に、赤い印が打たれていた。
執務室の机いっぱいに広げられた地図。その一角、グランツ王国の領境からわずかに外れた位置に、小さな村落群がある。名前はあっても、記録は乏しい。戦時中、何度も戦線が行き来し、今ではどの国の支配も曖昧な場所だ。
「……支援要請が、三件」
エレナが淡々と告げる。
「いずれも、食料と治安。難民が溢れ、略奪が始まっています」
「距離は?」
「最短でも、三日」
アレンは、指で地図をなぞった。
頭の中で、補給線と在庫、移動速度を計算する。
――届かない。
正確には、届かせられない。
「現状、グランツの備蓄は?」
「余裕はありません。想定内ではありますが」
「炭鉱と公共事業を止めれば?」
「失業者が出ます。治安が悪化します」
リーゼは、黙ってそのやり取りを聞いていた。
やがて、静かに口を開く。
「……行かないのですね」
「はい」
その答えは、即答だった。
リーゼの表情が、わずかに曇る。
「理由を、聞いても?」
「救えないからです」
冷たい言葉だった。
だが、アレンの声には、迷いがなかった。
「今、あそこに支援を出せば、こちらが崩れます。グランツが崩れれば、結果的に救われる人数は減る」
「それでも……」
「それでも、です」
アレンは、地図から目を離さず言った。
「戦後処理とは、“救える範囲を見極める仕事”です」
沈黙が落ちる。
リーゼは唇を噛み、窓の外を見た。
城下町では、人々が働き、食べ、眠っている。守られている日常だ。
「……分かっています。理屈は」
「それで十分です」
その日の午後、公式な決定が下された。
――領外地域への支援は、現時点では行わない。
理由は簡潔で、正しい。
だが、結果は残酷だった。
数日後、別の報告が届く。
「村の一つが、放棄されました」
「住民は?」
「散り散りです。生存者もいますが……」
言葉が続かない。
夜。
アレンは一人、執務室に残っていた。
机の上には、支援要請書の写し。
震える文字で書かれた、短い文章。
『助けてください』
アレンは、それを畳み、引き出しにしまった。
扉がノックされる。
「……入って」
マルクだった。
「聞いた」
「でしょうね」
「外じゃ、あんたを冷酷だって言ってる奴もいる」
アレンは、何も否定しなかった。
「正しい判断だと、俺も思う」
「ありがとうございます」
「でもな」
マルクは、少し言いにくそうに続ける。
「それで、何も感じないなら……人間じゃねぇ」
アレンは、ゆっくりと顔を上げた。
「感じています」
「なら――」
「だからこそ、決断しました」
マルクは、それ以上何も言わなかった。
同じ夜、国境近くの村。
灯りは少なく、焚き火の周りに人が集まっていた。
食料は尽きかけ、見張りもいない。
「……グランツは、助けてくれなかった」
「仕事があるって聞いたのに」
「結局、俺たちは――」
言葉は、風に消えた。
そして噂が生まれる。
――グランツは、選ぶ国だ。
――救う者と、切り捨てる者を。
その噂は、ゆっくりと、しかし確実に広がっていく。
翌朝、リーゼはアレンに言った。
「……あなたは、敵を増やしました」
「はい」
「後悔は?」
「ありません」
一拍置いて、アレンは続けた。
「ただ――覚えています」
救わなかった場所を。
救えなかった名前を。
戦後処理官は知っている。
国を守るとは、線を引くことだ。
そして、その線の外で起きた悲劇は、
決して消えない。
(第11話 了)




