第104話 名簿を作り直す
聞き取りは、想像していたよりずっと遅かった。一軒に半刻。長ければ、一刻。
名前を尋ねるだけの作業ではなかった。ほとんどの家では、まずこちらが何者なのかを説明しなければならず、次に、なぜ今さらそんなことを聞くのかを説明しなければならなかった。そして、たいていの家がこう答えた。――役所に聞けば分かるでしょう。
三日目の午後、トマスが村の外れで立ち止まった。
「アレンさん」
この若者は、いつからか肩書きで呼ばなくなっていた。
「聞き方が、間違っている気がします」
「どのように」
「〈亡くなった方の名前を教えてください〉と聞いています。皆さん、思い出そうとして、思い出せなくて、申し訳なさそうな顔をされます」
トマスは、手の中の紙を見た。
「そのあと、必ず黙るんです。私たちが、責めに来たみたいになっている」
アレンは、しばらく考えた。
「聞き方を変えましょう」
「どう変えますか」
「〈去年の冬、この家に来なくなった人はいますか〉」
トマスが、顔を上げた。
「死んだかどうかは、こちらで突き合わせます。村の人に確定させる必要はありません。私たちが欲しいのは、名前と、いなくなった時期です」
「……はい」
「それと、もう一つ」
アレンは、紙の束をトマスに渡した。
「思い出せなかったときに、謝らせないでください」
四日目から、少しずつ進みはじめた。来なくなった人。買いに来なくなった人。井戸に見なくなった人。畑の境を挟んで隣にいた人。名前は、断片で出てきた。姓だけ、名だけ、あだ名だけ。三つの資料と突き合わせて、一致すれば確定した。
六日目に六人、七日目に四人、八日目に二人。増え方は、日ごとに鈍っていった。
ミリアム・タウベの家に行ったのは、十日目だった。村の北の端、石垣の内側にある古い家だった。老女は、戸口の前で豆を選っていた。手が止まらないまま、こちらを見た。
「役所の人ではないね」
「機構の者です」
「機構」
「戦後の処理をしています」
「戦後」
老女は、豆を一粒はじいた。
「戦なんぞ、ここじゃとっくに終わってるよ」
「はい」
「終わったあとが長いんだ」
アレンは、そこで一度、口を閉じた。
「――そのとおりです」
彼女は、家に入れてくれた。土間に椅子が二つ。壁に、木の匙が七本かかっている。
トマスが手順どおりに尋ねた。去年の冬、この家に来なくなった人はいますか。
ミリアムは、天井を見た。
「フリッツ」
最初の一つは、すぐに出た。
「フリッツ・アーベル。西の三軒目。冬の前に足をやってね。仕事に出られなくなって、そのあと、来なくなった」
「いつごろ、来なくなりましたか」
「雪の降る前だよ」
トマスが書き取る。
「それから、ハンナ。それから、ハンナの上の子。名前は……」
彼女は、そこで止まった。
「ハンナの上の子は」
「……いつも一緒に来ていたんだけどね」
ミリアムは、豆の入った器を膝に置いた。
「あの子は、うちの匙で粥を食べていったんだ。そこにかかってる、右から三本目の。それは覚えてるのに」
彼女はしばらく黙り、トマスも書く手を止めた。誰も、何も言わなかった。やがて老女は、器を持ち直して、豆を選りはじめた。
「すまないね」
「あなたが謝ることではありません」
アレンは、そう答えた。
その日、確定したのは三人だった。保留が二人。壁の匙は、七本のままだった。
十二日目の朝、村の入口に馬車が着いた。黒塗りの、飾りのない二頭立て。降りてきたのは、灰色の外套を着た男だった。年齢は四十前後。細い眼鏡をかけ、髪をきちんと分けている。
彼は、真っすぐ作業室へ来た。
「財務総監府のディーター・ロートです」
名乗り方に、余分な語が一つもなかった。
「クライスト閣下の代理で、進捗の確認に参りました」
「アレン・クロウです」
「存じております」
ロートは、長机の上を見た。白い紙。四つの資料の束。まだ埋まらない欄。彼は、それを一分ほど眺めた。顔色は、まったく変わらなかった。
「よろしいですか」
「どうぞ」
「非効率です」
彼はそう言った。声に、棘がなかった。批判ですらない。机が斜めですね、と指摘するのと同じ調子だった。
「機構の要員六名と、あなたご自身の時間を十二日。この地区の全記録を再構築しても、行政上の意思決定は一つも変わりません。区分の更新方式は既に決まっており、次年度の予算も確定しています」
「そうでしょうね」
「にもかかわらず続けられるのは、何のためですか」
アレンは、白い紙の右端を指した。空欄の列。
「ここを埋めるためです」
「埋めて、どうされますか」
「総会に出します」
「氏名の一覧を、ですか」
「はい」
ロートは、はじめてわずかに首を傾けた。
「その一覧は、我々の試算のどの数値も動かしません」
「動かしません」
「では、議論にならない」
「議論のために作っているのではありません」
アレンは、彼を見た。
「名前が消えたということを、消えないところに書くために作っています」
ロートはしばらく黙っていた。それから、外套の裾を直して、扉のほうへ歩いた。
「ご報告いたします」
「お願いします」
「――ちなみに」
彼は、扉の前で振り返った。
「今の時点で、いくつ空いていますか」
アレンは、答えた。
「四十七です」
戦後処理官は知っている。
人は、死んだ数を忘れないということを。
忘れるのは名前のほうで、忘れたことにすら、たいていは気づかないということを。
壁の匙は七本、名前は出てきませんでした。
次回、その四十七を数えます。




