表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と追放された〈戦後処理官〉、英雄たちの失敗を全部押し付けられていただけでした 〜だが、唯一の”後始末役”を失った国は、英雄ごと自滅していった〜  作者: 風牙シオン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
103/107

第103話 数だけが残る

 物置は、実務班が入った日のうちに作業室になっていた。壊れた椅子と割れた油壺は外へ出し、床に板を渡して長机にした。窓が一つしかないので、昼でも灯りを点けている。紙束の埃は、拭くたびに指が黒くなった。


 受領簿は、四十二冊あった。配給を受け取った者が、月ごとに印を押す簿冊で、名前が刷ってあり、その横に印の欄が十二個並んでいる。


 アレンは、その一冊を開いたまま、長いこと見ていた。印が、途中で止まっている行がある。三月まで押されて、四月から空白。次の年度の簿冊には、その名前がない。


 死んだのか、村を出たのか。簿冊には書いていない。だが、簿冊は「その人がいつまでいたか」を確実に知っている。


「トマスさん。分け方を変えます」


 アレンは、白い紙を新しく広げた。


「印が途中で止まった行を、全部抜き出してください。次に、転出の記録と突き合わせます。転出していれば消えます。残ったものが――」


「残ったものが、この村で最後まで受け取っていた人ですね」


「はい」


 二日かかった。作業六日目の夜、机の上に一枚の表ができた。印が途中で止まり、転出記録のない者、百九十四人。そのうち、埋葬記録で名前が確認できた者、百六十四人。差は、三十人。


 トマスが、もう一枚を重ねた。


「役所の死亡集計は、二年で二百三十一です。こちらの受領簿から出るのは百九十四。まだ三十七、足りません」


「受領簿に、はじめから名前が載っていない人がいます」


「……載っていない?」


 アレンは、簿冊の表紙を指した。〈第四十年度・第二区分・受給世帯受領簿〉。


「これは、受給世帯の簿冊です。受給していない世帯は、はじめから載りません」


「受給していない世帯というのは」


「区分から外れた世帯です」


 トマスの手が、止まった。


 アレンは、昼間に役場から借りてきた別の冊子を開いた。〈区分更新実績〉。簡略方式の中核をなす帳簿だ。


「この方式では、区分は毎年、機械的に更新されます。前年の就労状況をもとに、こちらから申請せずとも自動で区分が付け替えられる」


「効率的です」


「はい。効率的です。ただし――」


 アレンは、頁をめくった。


「就労状況は、前年の徴税記録から引いています。前の年に働いていた人は、今年も働けると見なされる」


「怪我をしたら」


「申請してください、と掲示板に書いてあります」


「……去年の申請は」


「四件です」


 灯りが、風で一度揺れた。トマスは、しばらく何も言わなかった。


「四件しか、申請されなかった理由は」


「掲示板が、汚れていませんでした」


 アレンは、静かに言った。


「誰も触っていない紙でした。触る必要のない人ばかりだった、という説明もできます。触り方が分からなかった、という説明もできます。どちらが正しいかは、紙では分かりません」


 彼は、区分更新の帳簿を閉じた。


「規程どおりです。誰も、間違えていません」


「間違えていないのに、死んでいます」


「はい」


 その夜、アレンは机に向かったまま、朝まで動かなかった。


 数字は、すべて整合していた。役所の集計、二百三十一。受領簿から追える者、百九十四。埋葬記録で名前が確認できた者、百六十四。どこにも矛盾がない。どの数字も、正しい手続きで作られている。だから、誰も気づけなかった。


 アウストリアは、隠していない。ヴェルナーは、隠していない。ロートという男も、たぶん隠していない。この地区で起きたことは、二年間ずっと、公式の帳簿の上に書いてあった。書いてあったのに、読める形で残っていなかった。それだけだ。


 夜明け前に、エレナが入ってきた。


「本部へ送る速報を、下書きしました」


「読んでください」


「――ヴァイセン地区における二年間の死亡者は二百三十一名。うち氏名の特定に至った者、百六十四名。残余六十七名については」


 エレナが、そこで止まった。


「続けてください」


「……残余六十七名については、氏名不詳」


 アレンは、その言葉を聞いた。氏名不詳。書式としては正しい語だ。彼自身、何十回も書いてきた。


「エレナさん」


「はい」


「その六十七人には、名前があります」


「はい」


「分からないのは、こちらです」


 アレンは立ち上がり、窓の板戸を開けた。外は、まだ暗かった。東の空だけが、わずかに白い。畑の杭に、番号が焼き印されていた。あれは消えない。木が朽ちるまで、番号は残る。


「氏名不詳、と書けば、この件は終わります」


 彼は、板戸に手をかけたまま言った。


「終わったものは、二年後に廃棄されます」


 エレナは、何も言わなかった。


「――トマスさんを起こしてください。実務班全員も」


「作業の続きですか」


「いいえ。紙を離れます」


 アレンは、振り返った。


「聞きに行きます。この村の人に、一人ずつ」


「六十七人ぶんを、ですか」


「六十七人ぶんをです」


 エレナは、一拍だけ置いた。


「日数が足りません」


「足りません」


「総会は」


「総会が待たないなら、私は総会に、六十七の空欄を持っていきます」


 空は、少しずつ明るくなっていた。


 戦後処理官は知っている。


 制度は、悪意がなくても人を殺せるということを。


 そして、悪意がなかったぶんだけ、誰も気づかないまま、数だけが残るということを。

規程どおりで、誰も間違えていませんでした。それでも六十七人の名前が消えていました。

次回、村を回ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ