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第四十五話『変わり果てた姉妹』

 地下牢の奥、ザンゲリアが片手で鉄格子を押し開けた。冷えた空気が、湿った石壁に沿って流れ込み、足元に薄い霧を漂わせる。蝋燭の明かりがかすかに揺れ、そこに座る二つの影を照らし出した。


「さあ……ご覧あれ」 低く響くザンゲリアの声に導かれ、私は一歩踏み込む。


 長女イザベラは、擦り切れた布を体に巻き付けるようにして肩を震わせていた。あの高慢な笑みは跡形もなく、瞳だけが怯えと虚無を混ぜながら私を追う。


 隣の次女マリーベルは、舌を抜かれた代わりに口に半透明の筒を押し込まれ、言葉を奪われている。筒の奥では黒い細い影がゆっくりと蠢き、時折、乾いた擦過音が耳に触れた。


「……何をしたの?」 

 私の問いに、ザンゲリアは口端を歪め、愉悦を滲ませる。

「ネズミを入れようかとも思いましたがね、あれだとすぐに内側を食い破って死んでしまう。だから、もっと長く楽しめるよう繁殖の早い連中を選んだのですわ」


 彼はゆっくりと、次女の腹部にかかっていた布をめくった。

「へへ、殿下苦労しやした。ゆっくりとやらねぇと中身が飛び出してしまうんでやす……」

 そこには皮膚へ無理やり縫い付けられた半透明の板があり、縁には荒々しい縫合痕が赤黒く浮かんでいる。

 その板越しに、マリーベルの内臓が露わに露出していた。腸からは、光の揺らぎの中で形の定まらない卵から孵化したであろう小さい影が這い回り、内臓を糧としながら何千匹と蠢いてるのが確認できる。その奇妙な蟲たちは正体を掴ませぬまま不気味な存在感を放っていた。


 私は息を詰めた。板の向こうでうごめくそれは、生き物のようでありながら、人工的な悪意を孕んでいるように見えた。


「すげーや……」  

「ですですやす」

 背後でニールがザンゲリアが小声で呟いた。

 好奇心と興奮を隠しきれない様子で、彼は片目を細め、まるで珍しい芸術品でも眺めるかのように視線を這わせる。

 「こういう細工、そうそうお目にかかれませんぜ」


「……これが、あの娘の“今”です」 

 ザンゲリアの声が静寂を破り、蝋燭の炎が揺れて影が壁を這った。私は言葉を失い、ただ目の前の光景を見据えた。

 過去の記憶と、変わり果てた姿が胸の奥で重く絡み合っていく。


 鉄格子の奥、次女の傍らに繋がれたイザベラがいた。口元は布で固く巻かれ、目だけがこちらを見つめている。外見に大きな損壊はないものの、その瞳は恐怖と混乱で濁り、微かに震える肩が彼女の内心を雄弁に物語っていた。湿った空気が肌にまとわりつき、錆びた鉄の匂いが鼻を刺す。遠くで水滴が落ちる音が、重苦しい沈黙の中に響き、そのたびに彼女のまぶたがわずかに震えた。


「……長女イザベラのことを聞かせてもらおう」


 私の声は低く、冷ややかに響く。美青年の姿をしたニールが長い指で前髪を払い、口元に薄い笑みを浮かべた。


「おや、殿下。ずいぶんと殊勝なお尋ねで。まるで捕らえた獲物の“今後の扱い方”を品定めしているようですね」


 ザンゲリアは足を止め、やや慌てた様子を見せた。


「ええっと……こいつは、まだこれから楽しむつもりでして……とりあえず“穴”の確認だけしてたところでして」


「穴?」


 私が眉をひそめると、ザンゲリアは口の端を歪め、指を折りながらゆっくり数えた。


「口とか、耳とか、へそとか……」


 その先を聞くまでもなく、私は手を上げて遮る。


「……もうよい」


 短く制すると、ザンゲリアは肩をすくめた。


「口の中は歯を数本抜いたぐらいで、耳は右耳の鼓膜を破った程度。話はできますぜ、殿下」


 一瞬、胸の奥に安堵が過る。しかしザンゲリアは唇の端を吊り上げて続けた。


「ただ……猿ぐつわを外すと半狂乱になります。やかましくてかなわん」


「なぜ狂乱している?」


「そりゃ……ずっと次女と遊んでるのを見てましたからね」


 ザンゲリアの愉快そうな笑い声が冷たい空間に響く。ニールは長身をわずかに傾け、青みがかった瞳でこちらを見やり、皮肉を含んだ声で言った。


「……観覧の代金がこの姿か……面白れぇ」


 「……少し、イザベラに聞きたいことがある」


 そう言って私は、横に立つザンゲリアへと視線を向ける。


「口に巻かれた布を外しなさい」


 ザンゲリアは顔をしかめ、肩を竦める。


「……うるさいですよ、あれは」


「静かに話すようにするのがお前の仕事でもあるのよ。


 耳障りなようなら……お前も断首台行きにするわ」


 冗談とも本気とも取れるその声音に、ザンゲリアの顔色が僅かに引きつった。


「……へ、へい。分かりやした……やってみます」


 彼はごくりと唾を飲み込み、腰の短剣を避けながらイザベラの前に膝をつく。布の結び目に指をかけ、ゆっくりと解きはじめた。


 その動きは妙に慎重で、まるでそこに毒針でも仕込まれているかのようだった。


「……もし騒いだら、今すぐ舌を引っこ抜くからな」


 低く唸るような声が牢内に響く。


 イザベラは、瞳を大きく見開いたまま、静かにザンゲリアを見返した。その視線は怯えと諦めが混じり合い、やがて、ほんのわずかに瞬きをして従順の意を示す。


 その合図を確認したザンゲリアは、口元から布を外しきると、背後へと一歩下がった。冷えた空気の中、かすかに湿った布の匂いが漂い、牢の空気はさらに重さを増した。


 布が外されたイザベラは、予想に反して狂乱することも、語気を荒げることもなかった。


 ただ、主人公の顔を見るなり、瞳に涙を溜めて必死に訴えかけてきた。


「なんでも……王女様のお望みのことを言います。だから、私だけでも助けてくださいまし……」


 その声音には、あのかつての高慢な響きは微塵もなかった。よほどザンゲリアが恐ろしいのだろう、震える声と怯えた瞳がそれを物語っていた。


 主人公は静かに口を開く。


「私の質問に正直に答えたら、ここから解放してあげるわ」


 それは真っ赤な嘘だったが、今のイザベラなら真実を話すに違いないと踏んでのことだった。


「……何でしょうか、王女様」


 イザベラは小さく喉を鳴らしながら問い返す。


「以前、あなたたちの侯爵家にいたセリーヌというメイドのことを覚えている? あなたたちがレオンハルトに近づいたといって、水牢で拷問したメイドよ」


 イザベラは眉を寄せ、しばし考え込むように視線を彷徨わせた。


「……そんなメイドもいたかもしれませんが、拷問したメイドはたくさんおりましたので……いちいち覚えておりません」


 その返答に、主人公は微かに笑みを浮かべた。


「ありがとう、イザベラ」


 低く告げると、すぐさまザンゲリアに視線を向ける。


「もう、この女から聞くことはないわ。今すぐ舌を引っこ抜きなさい。ただし、死なせたらダメですよ。この女をあなたと私、それにニールだけで楽しむのはもったいないから」


 ニールは長身をわずかに傾け、愉快そうに唇を歪めた。


「どうするのです、ご主人様?」


「……レオンハルト処刑の前座をしてもらいます」


 主人公はさらにザンゲリアへと向き直る。


「それと、レオンハルト処刑用の仕掛けを作って。……ただギロチンで首を落とすのはもったいないから。それから、イザベラを弄ぶのはほどほどにしなさいね。あなたのモットー、“殺さぬよう生かさぬように”、よ」


 その口元に、意味深な笑みが静かに浮かんだ。





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