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イヴァン・ノワール

 とんでもない人を助けてしまった。

 思わずそう思ってしまうほど、イヴァン様はまるで射殺さんばかりの鋭い眼差しで私を見下ろす。

 ぐっと掴まれていない方の手を握りしめ、私は静かに言葉を紡いだ。


「私の妹に、レイラに時間を頂きたかったのです。

 彼女はまだ18になったばかりで、交友関係も広い。 一週間前に貴方から突然求婚されたら、その方々とは離れ離れになってしまうし、気持ちの整理だって追いつかないでしょう」


 それは、私が心から思ったことだった。

 たった一週間で家族とも友人とも離れ、遠く離れたこの地に嫁ぐと言うことが、彼女にとってどんなに負担になっているか。

 きっと、目の前にいる男性は分かっていない。


「だから、一ヶ月。 一ヶ月だけ彼女に時間を下さい」

「何だと? そんな一ヶ月ごときで何が出来るというんだ」

「あの子の気持ちの整理です。 大丈夫、レイラは約束はきちんと守る子です。

 一ヶ月経てば必ず、ここへ来るでしょう」

「そんな戯言を誰が信じろというんだ?」


(駄目だ、信じてもらえない……)


 そもそも、この人はどうしてここまでレイラに執着しているのだろう。

 勿論、レイラは素敵な女性だ。 容姿端麗であり、天才肌で何でも出来る彼女は確かに結婚にはもってこいの子だろう。

 だけど、それはこの目の前にいる方だって同じ。 というより、同じ条件だったとしたらもっと上の身分の方と結婚した方が、彼にとってのメリットは多いのではないか、と純粋に疑問に思ったのだ。


「……では、一つだけ質問に答えて下さい。

 どうして、結婚相手にレイラを選ばれたのですか」

「! ……それは」


 彼は不意に黙ってしまう。

 どうしてそこで黙ってしまうんだろう、と怪訝な顔で彼を見つめてしまっていると、横にいた先程の案内役の男性が慌てて口にした。


「だ、旦那様は、半年前にレイラ様に助けられたそうなんですよ」

「……まさか」


(半年前に助けられたって……、もしかしてそれって)


「私のこと?」

「「!?」」


 その言葉で、全てが繋がった。

 彼は、約束を果たそうとしているんだ。

 “ありがとう。この御恩は、必ず”というメモに残した約束を。

 それが結婚というとんでもない果たし方だけれど、多分それで私ではなくレイラだと勘違いして、求婚したに違いない。


「……っ、はははは」

「!?」


 そんなことを考えている内に、急に笑い出した目の前の男性に呆気に取られていれば、彼はクシャッと整えていた前髪を握って言った。


「さすが、噂に聞いていたように絵に描いた悪女だな」

「は?」

「妹の手柄を横取りしようなんて、流石は考えていることが違うな」


 クツクツと笑う彼に、私の頭はついていけない。


(ちょっと待って、手柄を横取り? 悪女って)


「まさか、私の噂をご存知なのですか」


 その言葉に、ピタッと笑いが止まる。

 そして、彼の纏う空気がスッと温度が下がる。


(っ、怖い……)


 逃げたくなるような何とも言えない威圧感に、たじろいだ私を逃さないとばかりに彼は言った。


「あぁ、知っているとも。 君が妹に今迄どんな仕打ちをしてきたか。

 まさか、妹の結婚にまで口を出し、挙げ句の果てには自分がその結婚を横取りするために嘘をつきに来たとは思わなかったがな」

「っ、違います!  妹の代わりに私がなろうだなんて思っていません!

 それに、貴方を助けて看病したのは、本当に私なんです」


(まさかこんなことになるなんて思わなかったけれど!)


 そもそも、この求婚は私が蒔いた種で、レイラを巻き込んでしまうなんて……。


(しかも、この地にまで私が悪女だという噂が流れているのね……)


 思わず遠い目になりかけたところで、彼は「その言葉が本当というのなら」と言うと、案内役だった方にペンと紙を持ってくるよう促した。

 どうしてだろう、と疑問に思っている私の目に、ペンと紙が差し出される。

 驚く私に、イヴァン様は指を指していった。


「そのメモに自分の名前を書いてみろ」

「??」


 何故そんなことをする必要があるのか。

 疑問に思ったが、言われた通り自分の名前を書く。


(う、机がないと書きにくい)


 何とか名前を書き彼に差し出せば、胸のポケットから何かを取り出して見比べ始めた。

 それもまた、一枚のメモのようで。

 そして、また含んだ笑いを浮かべる。


「やはり、お前は嘘つきだ」

「どうして……」


 彼はポケットにしまっていた方のメモを私に見せる。

 それには、“食べて下さい”とシンプルな字でそう書いてあった。

 それにハッとする。


(まさかこれって、林檎を差し入れてとお願いした時の……!)


 れ、レイラぁぁぁぁ!


(貴女のそう言う親切なところも大好きだけど!!)


 今はそんなことを言っている場合ではない。 

 今この状況をどうにかしなければ……。


(あ、そうだ! それなら……!)


「ナイフと林檎! それがあれば、貴方に差し入れた林檎のうさぎを切れます!」

「〜〜〜これでもまだ諦めないのか!」

「!?」


 ぐっと、再度剣を喉元に突きつけられる。


(何よ)


 私はぐっと唇を噛み締めると、キッと彼の瞳を睨みつけた。

 初めて彼の金の瞳が動揺したように揺らめいたが、私はそれには構わずに口を開いた。


「どうして一ヶ月待ってとレイラから頼んでいるというのに聞いてくれないの?」

「悪女のお前の言うことを誰が信じろと?

 時間が欲しいと乞い願うのであれば、レイラ本人を連れてくるのが筋ではないか」

「……」


(確かに、彼の言う通りだ)


 レイラを最初からここに連れて来ればよかった。 一緒に来れば良かったのかもしれない。 私もそこまで頭が回らなかった。

 だけど。


「……もう良い」

「は? ……!?」


 彼はハッとしたように目を見開いた。

 それは、堪忍袋の尾が切れた私がぐっと、自分の喉元に突きつけられていた剣を掌で押し返したからで。


「っ」


 何とか彼と距離をとったものの、掌からは血がこぼれ落ちる。

 痛みを堪え、私は彼を見据えて大きな声で言った。


「もう信じてくれてなくて結構です! 貴方を助けた私が馬鹿みたいだったんですから! 私を殺すなりなんなりお好きにどーぞ!

 そんなことをしたって妹は貴方の手に入らないでしょうけどね!!」

「な……っ」


 たじろぐ彼の表情に、興奮状態の私は言葉は止まらない。


「言っておくけどね! そんなありもしない、実際に見たことのない噂ごときに踊らされるような方、こっちからごめんだわ!!

 妹を望んでいるのなら尚更、貴方なんかに妹は渡さない!!」

「!!」


(本当、馬鹿みたい)


 何故私はこんな人を助けたのだろう。

 一週間、風邪にかかるまで昼夜寝ずの看病をしたあの時間は、何だったんだろう。

 しかもよりにもよって、こんな人にファーストキスを捧げるなんて。


(本当、返してとは言わないからもう関わらないで欲しい)


 所詮、前世と同じ運命を辿る私の人生なんて、こんなものなんだわ。

 それに、ここで終わりだと言うのなら言いたいことを言わせてもらいます。


「ふふ、悪女なんて……、笑っちゃうわ。

 お望み通り演じてあげているけれど、これで満足?」

「!」


 私はそう言ってわざと意地悪く笑ってみせる。

 そして、ふっと息をつくと呟いた。


「人にとやかく言われずとも、どんなに努力したってあの子に敵わないことくらい分かっているわよ。

 ……はは、惨め」


 それは、私の心からの叫びだった。

 ツン、と目頭が熱くなるのを堪え、彼に背を向けると、側に控えていた案内役の人に向かって両手を差し出した。


「はい、これで私は貴方方が望んだ悪女として、次期領主様に逆らった罪で殺されるんでしょう。

 良いわよ、好きにすれば。

 こんな分からずやと話すくらいだったら、喜んで地獄に堕ちてやるわよ」 


 そう冷めた口調で口にした私に対し、周りはシンと静まり返った。

 その空気に反して、一人の笑い声が響き渡った。


「……何がおかしいの」


 私はその笑い声を発した人物……、他でもないイヴァン様に視線を映して問う。

 彼はそれを鼻で笑い、口を開いた。


「お前の命を差し出せとは一言も言っていない。 

 だが、その心意気だけは買ってやろう」


 そう告げた彼は、「そうだ」と呟き、その後すぐに爆弾発言を落とす。


「そんなに言うのであれば此処に住み、それを証明して見せろ」

「は?」

「そこまでお前が俺を助けたと言うのであれば、それを証明して見せろと言っているんだ」

「い、いやそこじゃなくて! 何、此処に住むって」

「一ヶ月」


 彼は憎たらしいほど長い人差し指を立てながら言った。


「お前が言う一ヶ月間、俺の婚約者として此処に住んでもらう」

「こ、婚約者!?」


(そんなの無理!!!)


 私が抗議の声をあげようとすれば、彼は有無を言わさずに続ける。


「逃げようだなんて思うな。

 その時は、お前の妹も無礼を働いたとして牢屋行きだ。 良いな」

「っ、そ、それが命の恩人に対する態度だと言うの!?」

「それとこれとは話が別だ。 何の連絡も無く、求婚した娘とは違う娘を寄越すだけでどうかしているからな」

「っ……」


(酷いけれど、返す言葉が見つからない……)


 でも、本当に馬鹿みたい。

 こんな人だと分かっていたら、私は。


「……ファーストキスを救助のためなんかに捧げなきゃ良かった」

「何?」


 彼の眉がピクリと上がる。

 私は「何でもありません」と言って踵を返そうとした……が、その行動は彼によって阻まれる。


「!?」


 不意に顔に差す影。

 目の前には、先程まで私を見下ろしていた金の瞳。

 そして、唇に感じる温かな感触。

 何が起きたのか分からなかった。

 頭が真っ白になっている私から、温もりは離れ、金の瞳を持つ彼は唇をぺろっと舐めて口にする。


「お前の望み通り、口付けしてやったぞ。

 これで良いんだろう」

「……い」

「は?」


 瞬間。

 バチンッと大きな音が鳴る。

 それは、私が彼の頬を思い切り叩いたからで。


「〜〜〜大っ嫌い!!!」

「!? なっ……」


 自分の身に起こったことに理解が出来なくて、生理的に目からは涙がこぼれ落ちる。

 私は訳が分からないという顔をする彼の顔を睨みつけると、部屋の外に向かって駆け出した。


「レ……、リ、リディア様!」


 制止を求める声が聞こえたが、その声に止まることなく、私は涙を流したまま走り続けたのだった。


(何て最悪な日……!)


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