秘密
「うさぎリンゴはね、私の得意な切り方なの」
スルスルと林檎の皮を剥きながらそう口を開けば、イヴァンは興味深げに私の手元に視線を落としながら言った。
「看病をしてもらったあの日、机に置かれている林檎を見て感心したんだ。
今まで、林檎に切り方があるとは知らなかった。
その上料理人に帰ってから聞いてみたら、そんな切り方は知らないと言われたんだが、リディアはどこでその切り方を教わったんだ?」
「! ……」
「リディア?」
思いがけない質問に、私は一瞬言葉を失う。
不思議そうに首を傾げるイヴァンに向かって、私は震える声で意を決して口にした。
「……イヴァンが過去の話をしてくれたから、私もイヴァンには話しても良いかな」
「え?」
「私にも、今まで誰にも言っていないことがあるの。 家族にも……、言ったら変だと思われてしまうと思って、怖くて言えなかった」
私はぐっと拳を握ると、彼の顔を直視することなく視線を手元に落とし言った。
「私、リディアとして生きるより前の人生……、つまり、前世の記憶があるの」
「! 前世……?」
イヴァンの言葉に小さく頷き、ポツリポツリと言葉を続けた。
「私も、実は思い出したのがつい最近……、この腕の傷が出来た衝撃でなんだけどね。
前世の私はこの国からずっと遠い、多分違う世界で生きていた。
家族構成も今と少し似ていて、出来る妹がいたの。
だけど、私は生まれつき体が弱かった。 病院……、お医者様にいつも診てもらわなくてはいけなくて、人生の半分以上は多分、ベッドの上で過ごしていたと思う」
「……」
イヴァンが今どんな顔をしているのか分からない。
そちらを見ることが出来ないまま、話を続けた。
「完全に、前の人生でも私はお荷物だった。
健康的な妹と病弱な自分とを比べて、自己嫌悪に陥って……、それでも、ようやく仕事を見つけられて、自分の力で生きていこうと決めた矢先、突然病気が発症して、そのまま亡くなった」
私はそこでようやく顔を上げ、イヴァンを見る。
私を見つめるその金の瞳に向かって、私は笑った。
「イヴァンはいつも、どうしてそこまで人のために尽くせるんだと尋ねるよね。
答えは簡単。
私は前世で、誰かのために何かをすることが出来なかった。
前世だけではない、今世でも私は皆の足を引っ張る存在だと思っていた。
だから、せめて今生きているこの世界で、私に出来ることなら何でもしたいと、そう思うようになったの」
私の話はこれでおしまい、と閉めたが、イヴァンは何も返事をしない。
困っているのかもと思った私は、信じられないよねと口を開こうとしたが、その言葉は遮られた。
「なるほどな」
「え?」
イヴァンの言葉にパッと顔を上げれば、彼は腕組みをして考え込むような仕草をして言った。
「前世の記憶なんてそんな非現実的なことがあるのか、前の俺では信じられなかっただろうが……、君がどんな生命も軽んじずに、俺でも鳥でも何でも必死に看病しようとする姿を見ていたら、その話は本当だと思う」
「信じて、くれるの……?」
「君がそんなに上手く嘘をつけるとも思えないしな。
それに、君こそが……、リディアが俺の命を救ってくれたんだ」
そう言って、イヴァンは私の手からナイフと林檎を取り机に置くと、そっと私の目元を拭ってくれた。
いつの間にか涙を流していたらしい。
イヴァンは私の目を覗き込みながら、微笑みを浮かべて言った。
「……昨日一昨日とずっと、俺が目覚めるたびに君が“大丈夫”と言ってくれて思い出した。
俺のことを助けてくれた時、名前も知らない少女の金色の髪が、暖炉の光に揺れてこちらを見ていた。
その髪から覗く瞳は、エメラルド……、君の瞳だった」
「!」
「俺は今思えば、その時に一瞬で、恋に落ちていたんだ」
「……っ」
そう言って、私の頭を大きくて温かな手が撫でる。
彼は苦笑いをしながら言った。
「その結果、強引に婚約を申し出て、挙げ句の果てには君とレイラ嬢とを勘違いして……、随分遠回りをしてしまったが、今こうして、恩人である君が俺の隣を選んでくれたことを、本当に嬉しく思う。
……一応一つだけ聞いておくが、前世では君は恋仲になった相手はいたのか?」
「!?」
彼の言葉が予想外で、私は思わず左右にぶんぶんと首を振れば、イヴァンは私の反応がおかしかったのだろうか、ふはっと吹き出したように笑う。
そして笑った後、私の肩に顔を埋めてポツリと呟いた。
「良かった」
「!」
告げられた言葉の意味を理解し、顔に熱が集中するのが自分でも分かった。
イヴァンはそんな私を見て、くすっともう一度笑うと、そっと私の髪を取り口付けを落として言った。
「前世の君も、こうして今の君が生きる原動力になっているんだ。
その記憶も大切にして、俺の隣で生きて欲しい」
「……!」
(どうして貴方は、そんなに優しい言葉を……、私が一番欲しかった言葉を言ってくれるの?)
イヴァンは「それから」と私の瞳を真っ直ぐと見て、ふわりと笑って言った。
「前世の分も含めて、俺が君を幸せにすることを約束しよう。
必ず生き延びて、リディアと共に最期の時まで生きる。
それが俺の願いだ」
「……!」
その言葉に、心が震える。
とめどなく涙が溢れてしまい、イヴァンは困ったように笑って拭う。
「リディアの涙も、流すたびに俺が何度でも拭おう。
……その前に、悲しさで泣かせないように努力しなければ」
「っ、ふふ、今のは嬉し泣きだから安心して」
「! ……そうだな」
イヴァンがそっと私の唇に顔をよせる。
重なった唇が、徐々に深さを増していくのが分かり……、私は身も心も彼に預け、彼から伝わる確かな熱に酔いしれたのだった。




