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過去

 そうして、イヴァンが眠っている隣の部屋へ辺境伯様と共に部屋を移した。

 ニーナが淹れてくれた紅茶を飲むと、少し心が落ち着く気がした。

 辺境伯様も紅茶を飲んでから、「何処から話せば良いか」と口を開いた。


「君に話しておきたいことというのはね、イヴァンの過去の話だ」

「それは、私が聞いてもよろしい話なのでしょうか?」


 本人からの同意がないと、詮索しているようで悪いのではないかと思った私がそう口にすれば、辺境伯様は困ったように笑い言った。


「いや、イヴァンから君に話すとは思えないからね。

 私としては、君に知っておいて欲しいことなんだ。

 だから、イヴァンにもし何か言われたら私のせいにして良い。 それでも、君の耳には入れておいて欲しいことだから」

「分かりました」


 辺境伯様がそう仰っているくらいなのだから、大事な話なのだろう。

 私はその言葉に頷けば、辺境伯様も頷き口を開いた。


「イヴァンが一人になりたがる子になってしまったのには、あの子の過去が……、いや、私達がそうさせてしまったようなものなんだ」

「私達……?」

「私とあの子の母親のことだ」

「!」


 母親、という言葉を聞いて反応してしまう。


(ずっと疑問に思っていた。 このお邸にいるはずの辺境伯夫人がいないこと。

 それから、イヴァンの口から一度もお母様の名前が出たことがないことも……)


 詮索してはいけないと思い、聞くことはなかったが、まさかここで出てくるとは思わなくて。

 私の反応に辺境伯様も気が付き、「イヴァンから話を聞いたことは?」と尋ねられる。

 その言葉に首を横に振れば、辺境伯様はやっぱりと言ったふうに息を吐き、言葉を続けた。


「イヴァンは母親のことを話したがらないのには理由があるんだ。

 それはね、イヴァンの母親……、彼女がイヴァンのことを捨てたも同然のことをしてしまったからなんだよ」

「! 捨てた……?」


 辺境伯様から告げられた衝撃の言葉に、私は思わず言葉を失くす。

 辺境伯様はその言葉に頷き、言った。


「色々と理由があるんだけれど、結果的にそうなってしまったんだ。

 イヴァンにも彼女にとっても、不幸な事件が起きてしまったからなんだけどね」

「事件?」

「今から丁度十年前、あの子が十歳の時。

 それまで私達は幸せな日々を送っていた。 彼女もイヴァンも、笑顔が絶えない温かな家族だった。

 そんなある日のことだった」


 その日、イヴァンの部屋から窓ガラスが割れる音がした。

 その音に驚いた辺境伯様と夫人は、イヴァンの部屋へ向かった。

 すると、そこで目にしたのは。


「そこには、血塗れで倒れている見知らぬ男と、血で汚れた剣を片手に、呆然と立ち尽くしているイヴァンの姿があったんだ」

「……! そんな……」

「その男は、皮肉にも私が始末したはずの一派の逃げのびた者の一人だった。

 その男が、私への敵討ちに邸に忍び込み、イヴァンを人質に捉えようとしたらしい。

 しかし、イヴァンの剣の腕前は既に私が仕込んでいた。

 だから、イヴァンは咄嗟に剣を取ったのだろう。

 だが、イヴァンはそれまで公務……所謂人殺しをしたことなど一度もなかった。

 そのために、彼は初めて自分の手で殺めたことに対し、呆然と立ち尽くしていたんだ」

「そ、んな……」


 僅か十歳で、人に向かって剣を振るうことになるなんて。

 ショックで声を出せない私に、辺境伯様は続けた。


「驚いたのはイヴァンだけではない。

 母親も突然のことで驚いたのだろう。

 まさか、邸の警備をかいくぐって忍びこまれ、その男を僅か十歳の息子が一撃で倒すとは思いも寄らないのだから」

「……それで、どうなったんですか」


 私の言葉に、辺境伯様は悲しげに眉根を寄せて言った。


「彼女は血塗れの中に佇む息子を見て、何も言えずその場から動くことが出来なかった。

 それにショックを受けたのは、イヴァンも同じだった。

 ……イヴァンは彼女を本当に愛していたから、言葉を失う母親の姿を見て何と声を掛ければ良いのか分からなくなったらしい。

 それからイヴァンも母親も、互いに距離を取るようになって……、彼女の方が気に病んで、此処を出て行ったんだ」

「っ、そんな……」

「だからイヴァンは、一人でいることを好むんだ。

 一人でいれば傷付かずに済むと思っているんだろう。

 ……だが、私はそんな彼が心配だった。

 一人でなりふり構わず何でもこなそうとする彼が。

 そこに現れたのが、君だった」

「! 私……?」


 不意に振られた言葉に私が驚けば、辺境伯様は頷き言葉を続けた。


「君は、イヴァンと向き合ってくれた。

 あの子が自ら選んで側に居させることなんて……、ましてや、女性である君を、どんな理由であれ手放さないなんてことは初めてだったから驚いたんだ。

 そうして様子を見ていたら、君がイヴァンと真っ直ぐ向き合ってくれたお陰で、イヴァンは見たこともないほど君に気を許していくのが分かって、私は嬉しかったんだ」

「うれしかった?」

「イヴァンは母親と別れてから、自分の心を他人に見せることなどしなかった。

 それは、クラウス殿下にさえそうだった。

 ……だけどイヴァンは、君にだけは素の表情も見せるようになっていったんだ」

「!」


 それは、私でも感じていることだった。

 レイラと偽って話をした、最初の時よりずっと、今は気を許してくれているのが分かってきたのだから。


「君は、あの子のことが怖いと思うかい?」

「! ……怖くない、と言えば嘘になるかもしれません」


 私はギュッと拳を握った。


(イヴァンの傷の跡を見て、彼がどれだけ犠牲を払ってきたのか、私の想像以上であることは間違いない。 だけど)


「それよりももっと怖いのは、彼がずっと、たった一人でそれを背負い込もうとしていることです」

「……」


 辺境伯様は何も言わず、じっと私の言葉を待っている。

 私も今思っていることを、素直に口にした。


「イヴァンが優しい人であることを、私は知っています。

 だから、例え人に向かって剣を振るうことがお仕事の一貫なのだとしても、彼が剣を振るうのには理由があるはずです。

 誰かを守ろうとして、自分の犠牲も厭わないような……、そんな信念を感じるんです」


 だから、怖くなる。

 昨夜みたいに、全てを自分だけ背負い込もうとして、私をわざと突き放すような真似をすることが。

 それも今までずっと、暗い部屋の中で閉じこもって一人きりで……。


「私は許されるのなら、これからもずっと、そんな彼の隣にいたいんです」


 ポタ、と涙がこぼれ落ち、スカートの裾に染みを作る。

 それでも涙は止まらなくて、思いをぶつけるように言葉を続けた。


「あんなに悲しそうな瞳をするイヴァンを、一人にしたくないんです……っ」


 せめて、イヴァンが一緒にいて幸せを感じられるような、他の誰かを見つけられるその時まで、私は彼の側にいたい。

 私がいなくなっても、彼が心から笑えるようでなければ、私は……。


「イヴァンが心から笑ってくれていれば、それで良いんです。

 それが私の、願いなんです……っ」


 何としても、イヴァンが心から安らげる場所を見つけてあげたい。

 それが私の、今一番の願いなんだ。


 泣きじゃくる私に対し、辺境伯様が何か言葉を口にしようとした、その時。

 ドタドタと部屋の外が騒がしくなったと思ったら、バンッと乱暴に扉が開かれた。

 ハッとして振り返れば、そこには必死の形相をしたイヴァンの姿があって。

 思わず固まってしまう私に対し、イヴァンも私を見て驚いたように目を見開くと、次の瞬間辺境伯様を睨みつけた。


「父上、これはどういうことですか」

「リディア嬢がお前を心配していたから、少し話をしていただけだ」

「……まさか、あの人の話をしたというのですか!?」


 イヴァンの激昂した様子に、私は慌てて涙を拭い立ち上がって頭を下げた。


「ごめんなさい、イヴァン。

 私が頼んだの。 辺境伯様は悪くないわ」


 私は今度は辺境伯様に向かって頭を下げた。


「お話を聞かせて下さってありがとうございました」

「……こちらこそ、聞いてくれてありがとう」


 辺境伯様の言葉に頷くと、イヴァンが再度抗議しようと声を上げかけたが、私が「行こう?」と諭すと、黙って部屋を後にしたのだった。


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