第一王子の策略
「リディア、喉は渇いていないか?」
「え、えぇと……、頂くわ」
イヴァンはワインの入ったグラスを私に差し出すと、彼もグラスを煽った。
私も受け取ったワインを少し口に含んでみたは良いものの、全く味がしない。
(だって、やはりこの状況は緊張するもの……!)
夜会が始まってから一時間が経過しようとしている。
その間、私達に話しかけてきた人は、イヴァンのお仕事の関係者のごく僅かで、しかもその方々にさえもイヴァンの塩対応ぶりは凄まじい。
その上、いつにも増して物凄い近付くなオーラを放っているのは気の所為ではないだろう。
(というより、不機嫌に見える)
深く眉間に皺が寄ってしまっている。
あまりにもムスッとしているものだから、怒っているのかと尋ねれば、怒ってなどいないとそっけない返事が返って来るだけだから、実際私からしても何に対してイヴァンが苛立っているのかは分からない。
(そのお陰で人が寄って来ないというか遠巻きに見られているというか……、話しかけられないのは良いことだけれど、これはこれで居心地が悪いような)
「リディア。 特訓したワルツを踊ったら即帰るぞ」
不機嫌さ全開でボソッとそう言うものだから、私は思わず聞き返してしまう。
「え、それだけで参加したことになるの?
私は良いけれど……、あ、でもクラウス殿下に御挨拶しなければいけないわ。
後レイラにも出来たら会いたいし」
「なるほど、先程から挙動不審なのはレイラ嬢を探しているからなのか」
「え、えぇ。 会場が広いしずっとここにいるからレイラと会えていなくて……、って、私そんなに挙動不審だったかしら?」
「あぁ。 落ち着きがないと思っていた」
「……」
(だって、レイラが心配なんだもの)
レイラとはあれから会えていないため、手紙でのやりとりをしていた。
夜会への招待もレイラに届いたということで話をしていたのだけれど、レイラは文面で綴っていたのだ。
“私にもクラウス殿下から招待状が届いたのだけれど、エスコートは他の男性にお願いするようにと書かれていたの。 私はどうすれば良いのかしら”。
レイラはクラウス殿下のことをお慕いしている。
だから、そう殿下から書かれていたことを複雑に思っているようだった。
(他の男性と、とわざわざ書かれているということは、何か裏があるのではないかと思うのだけれど……、考えすぎかしら)
結局、レイラは他の男性をお相手にとは考えられず、お父様にお願いすると言っていた。
だから今日も、お父様とこの場へ訪れているはずなんだけれど……。
「ねえ、イヴァン。 やはりレイラが心配だわ。
探しに行っても良いかしら?」
「駄目だ。 レイラ嬢がいくら心配といえど、君を一人にはさせておけない」
「そう、よね」
私もこの場……、会場の端から動くのは得策ではないと思っている。
(また良からぬ噂が立ってイヴァンに迷惑をかけるわけにはいかないもの。
いらぬ争いの火種を生むつもりもないし、今日は大人しくしていた方が良いわ)
ただでさえ、女性からの視線が痛い。
イヴァンは次期辺境伯様となる人で、その上容姿端麗だ。 彼自信が放つ近付き難いオーラさえなければ、皆がお近付きになりたいと願っている。
今まで浮いた噂一つ流さなかった彼に、突然婚約者が出来た、それも悪女と噂の私となれば、言いたい放題は目に見えている。
(これ以上有名人になるのも避けたい……、それは無理だろうけど。
でも、せめて自分から火種を撒くような真似だけはしないでおこう)
今日は大人しく極力壁と同化しよう。
レイラは心配だけれど、また手紙を出すなり会いに行くなりすれば大丈夫、と自分に言い聞かせたその時、目の前に颯爽と現れたのは。
「やあ、ごきげんよう、リディア・ラングレー嬢」
「!」
その声の主に、私は弾かれたように顔をあげれば、視界に飛び込んできたのは紺青の瞳を細め爽やかに笑う男性の姿……、この国の王子であり招待状の差出人である本人であった。
「ご無沙汰しております、クラウス・アーセント殿下」
「クラウス、リディアに話しかけるのは俺に通してからにしろ」
「!? イ、イヴァン!」
イヴァンはクラウス殿下の登場に、不機嫌さを一層増させ、あろうことか殿下に命令口調で言った。
これには私は驚き、慌てて名前を呼べば、クラウス殿下は「あぁ、ごめんごめん」と軽く笑って受け流し言った。
「今日は来てくれてありがとう、イヴァン。
ごめんね、君の婚約者殿にも名指しで招待してしまって。
こうでもしなければ、君達に夜会に来てもらえないと思ったから」
「一体何を企んでいる」
「嫌だなあ、怖い顔をしないでよ。 私と君との仲じゃないか」
柔和な殿下に対し、イヴァンのピリピリとした空気が漂う様を、私は声をかけられず困って見ていると、クラウス殿下はイヴァンに何かを耳打ちした。
そのおかげか、イヴァンは一瞬私を見た後、チッと舌打ちをし、幾らか空気が軟化した。
(何だか話がついたみたい……?)
良かったとホッとしていると、殿下は私の方を見て笑って言った。
「君がイヴァンの婚約者で本当に良かったと思っているよ。
ありがとう」
「で、殿下!?」
殿下は先程と比べてかなり大きな声でそう口にしたものだから、私は慌ててしまう。
その声に、周りにいた方々も一斉にこちらを見た。
(殿下は本当に何を考えていらっしゃるの……!?)
私がパニックになっていると、隣にいたイヴァンまでもが頷き声を上げた。
「あぁ。 彼女は俺の最高の婚約者だ」
「!?」
イヴァンまでどうしちゃったの!?
と驚く間もなく、クラウス殿下は私に向かってにこりと笑みを浮かべる。
「これからも私の大切な友人であるイヴァンを宜しく頼むよ、リディア嬢」
「は、はい、殿下」
訳もわからず、とりあえず返事をすれば、クラウス殿下は微笑み、そしてイヴァンを見て頷いた後、再度私に向き直って言った。
「是非君達には、最後までこの会を見届けてほしい。
……特にリディア嬢には、私のすることに賛同してくれたら嬉しい」
「?」
私はその言葉に首を傾げれば、クラウス殿下は意味ありげに笑って「パーティーを楽しんでね」と口にすると、踵を返し行ってしまった。
私はその言動に疑問を覚え、イヴァンに尋ねた。
「ねえ、イヴァン? 今のはどういう意味かしら?」
「さあ、あいつの考えることだからな。
見ていればその内分かるだろう」
イヴァンの言葉に黙って頷けば、遠くで楽団の演奏が始まる。
その演奏を聴いて、男女がゾロゾロと会場の中央に移動していく。
「そろそろダンスの時間が始まるな。 行くぞ」
「え、えぇ」
私はとりあえず今は目の前のことを、と言い聞かせ、差し伸べられたイヴァンの手を取り、会場の中央にあるダンスホールへ移動する。
曲が始まる前に、イヴァンと向き合ってそれぞれ礼を取ると歩み寄って構える。
(うぅ、何度やってもこの距離感には慣れない……!)
「リディア、俺を見ろ」
イヴァンにそう言われ、恐る恐る上を見上げれば、彼は柔らかな笑みを讃えていた。
その笑みを見て、私も自然と笑みが溢れる。
(イヴァンのおかげで、緊張が解れた気がする。
イヴァンとこうして踊ることが、楽しいと感じるもの)
この時間がずっと続いたら、願わくば、彼の言った通り、これから先もダンスを踊る相手はイヴァン一人だったら良いのになと、願わずにはいられないまま、夢のような時間は刻々と過ぎて行ったのだった。




