人命救助
それからの私は、心なしか気が晴れたような気持ちで穏やかな毎日を過ごせた。
屋敷内の噂は相変わらずのようだけど、あまり好きではない夜会には怪我を口実に行かなくて良いし、私から避けていた妹と今では親しく話すようになった。
他愛もない話から時世の話まで、彼女は何でも話してくれた。
(前世でも、妹がこうして話しかけてくれていたなぁ)
と、しみじみと思い出しながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
それに、日が経つにつれてレイラは綺麗になっていった。
どうしてだろうかと疑問に思っていたが、その答えはすぐに分かった。
その日彼女は、何処か浮かない顔をしていた。
「どうしたの、レイラ。 そんな顔をして」
私は不思議に思ってそう尋ねれば、レイラは何でもないと首を横に振りかけたが、やがて小さく呟いた。
「リディアお姉様には、隠し事をしたくないわ」
「え?」
私は彼女の言葉に驚き目を見開く。
レイラは空色の瞳をこちらに向け、意を決したように口を開いた。
「あのね、お姉様。 今まで誰にも秘密にしていたのだけれど……、聞いてくれる?」
「え、えぇ、貴女が良いのなら」
(ついに私を信用してくれるようになったのね……!)
と内心感激しながらも、表には出さずに微笑みを浮かべてそう返せば、彼女は「その、」とギュッとドレスの裾を握り言葉を続けた。
「私、お慕いしている方がいるの」
「!?」
彼女から飛び出した発言に、私は驚き目を見開くが、すぐに口にした。
「す、素敵ね。 驚いたけれど……、お父様達は知っているの?」
「そ、そのことなんだけれど……、お、お父様達には黙っていてほしいの!」
「!」
ずいっと身を乗り出し、お願いと必死に訴える彼女に、私は「もしかして」と口を開いた。
「貴女、身分違いの恋をしたの?」
「……えぇ」
レイラはそう小さく頷いた。
その言葉に、私は迷う。
(どうしよう。 レイラの恋を応援したいのは山々だけれど、相手が誰かも分からない方なのであれば話は別だわ。
レイラ自身、結婚なんてよりどりみどりだと思っていたけれど……、それは違うのかもしれない)
私達の両親はきっと家の繁栄を願っている。
だから、レイラにも本来であれば私も政略結婚を望んでいるはずだ。
(そのレイラが身分違いの言えない恋をしているなんて耳に入ったら、両親は当然反対するに決まっている)
私は少し考えた後、「そうね」と口を開いた。
「このことは、私とレイラだけの秘密にしましょう。 まだ結婚相手を決めるまでには時間があるから、もう少しその方がどんな方なのかを見極めた上で、貴女が幸せにれると言うのなら私は応援するわ」
そう答えれば、レイラは少し暗い表情をしたものの、黙って頷いたのだった。
「……とは言っても、身分違いの恋を応援するなんてあって良いものなのかしら……」
気晴らしにと屋敷を出て外を散歩してみることにしたのは良いものの、爽やかな天気とは裏腹に心は悶々としていた。
(レイラの望みは、勿論応援してあげたい。
ただまさか、あのレイラが両親にも言えないような恋をするなんて思ってもみなかったわ……)
出来ることなら、秘密裏にレイラがお慕いしているという相手に会ってみたいが、そこまでする姉をレイラはどう思うか。
きっとうざいと思うに違いない。
(だからって、見たこともない相手の元にレイラを駆け落ちさせるというのは危ないし……)
うーん、と迷っている間に、いつの間にか領地から少し離れた場所にある森の中に入っていたらしい。
「あ、あれ!? 私こんなところにまで来てしまったわ!」
少し散歩をしてくると言ったのに、ここまで来てしまったらレイラや侍従が探すかもしれない、と慌てて引き返そうと踵を返したその時、視界の端で何かを捉える。
「ん?」
何だろうと思い振り返れば、誰かが横たわっていた。
「!?」
大変!と私は慌てて走り出し、その人の元に駆け寄り呼びかけた。
「し、しっかりして! 目を覚まして!!」
だが、その人はピクリとも動かない。
足を踏ん張り、何とか体を起こしてみれば、長い前髪が頬にさらりと落ちる。
(こ、この方は誰なの!? 男性にしては綺麗な顔をしているし……、ってそんなことはどうでもよくて! どうしよう、息はしているけれど凄い熱……)
シャツ一枚に黒いズボン姿という、どう見ても軽装な服の所々が破れており、血が滲んでいる。
よく見たら、切り傷のような傷もあって。
(……森の中を抜けてきただけで、こんな切り傷が出来るかしら)
私はどうしようか思案した後、ハッと思いつく。
(そうだ、この近くに!)
再度、彼が息をしていることを確認した私は、今度こそありったけの力を込めて彼を支えると、大きな彼の体を引きずるようにその場から歩き出す。
川の近くの森を少し入った場所に、私とレイラが以前幼い頃に遊んでいた、秘密基地のような小屋が一軒、ポツンと立っている。
そこは今は使われていないが、レイラが秘密基地が欲しいと昔親に頼み、与えられた場所だった。
「本当はレイラの持ち物だけれど……、ごめんねレイラ。 人命救助のために少しお借りします……っ」
ガチャッと扉を開き、思わず咳き込む。
「ほ、ほこりだらけ……」
それもそのはず、レイラも私も忙しい毎日を送っているため、この場所を訪れることはなかったから。
まずは掃除からしないといけないのか、と泣きたい衝動をこらえながら、ベッドに積もっているほこりを片手で払い、そっと彼を横たわらせた。
一瞬眉間に皺が寄ったような気がしたものの、彼は目を覚さない。
(ほ、ほこりくさいものね、無理もないわ)
内心ごめんなさいと謝りつつ、畳まれていた掛け布団を外に出てからバサバサとほこりを落とし、彼の体にかける。
そして、小屋からまた外に出て、今度はポケットに入っているハンカチを取り出し、湧水にさらすと、ギュッと絞った。
そして、また小屋に戻ると濡らしたハンカチを彼の額にそっと置いた。
(大丈夫、熱を出しているだけのようだから、安静にさせておけば次期に目を覚ますわよね)
うん、と頷くと、私は指折り今出来ることを数え出す。
「えーっと、まずはお水を汲んで傷の手当てをするでしょ、それから少しお水を飲ませて……」
傷の手当てには自信がある。
レイラが昔は怪我をする度、私が応急処置をしていたから。
薬もこの小屋には常備しているし、包帯もある。
……包帯は、あまり上手く巻く自信がないけれど。
「……よし、取り敢えずこれで良い、かな」
案の定包帯を巻くのに手間取ったものの、何とか結いた。
(それにしても)
本当に綺麗な人だな、と改めて思う。
見たことのない輝くばかりの銀色の長い髪。
体も大きくそれでいて引き締まっているのが、男性という認識を強くさせる。
(……って何を考えているの、私!)
ぶんぶんと首を横に振り、そんな現を抜かす自分の頬をパチンと叩くと、今度はカップに水を入れ、彼の上半身をそっと起こすと、口元にカップを近づけた。
それで飲んでもらおうと試みたのだが、眠っている人に水を飲んでもらうということがどれだけ難しいことかを改めて実感する。
(駄目だ、口から溢れちゃう……)
何度繰り返しても、水は口から溢れて彼のシャツの襟元を濡らしてしまうばかりで。
もし彼がこのまま水を飲まなければ死んでしまうかもしれない。
そう思った私は、ある決断をする。
(やるしかない)
こんなこと、一度だってやったことはないが、これはあくまで人命救助のためである。
(ぜ、前世でだってないけれど……!)
人命救助、人命救助と呪文のように繰り返し、緊張から震える手で何とか残りの水を煽る。
そして、そっと彼の端正な顔に顔を近付けると……、唇を重ねた。
心臓の音がこれ以上ないほど耳に響くが、邪心を振り払い、口に含んだ水を少しずつ彼の口に流し込む。
(……! 飲んでる!)
首が僅かに上下しているのを手で感じながら、私はそのまま残りの水を流した。
全て流し終え、そっと唇を離した私はハッとする。
「……!!」
「……っ」
それは、今まで固く閉じられていた彼の瞼が僅かに見開き……、初めて見る金色のその瞳と、視線が交わったからで。
(な、何てタイミング……っ!)
口移し直後で動揺する私だったが、彼はまだ意識が朦朧としているようで、その瞼は完全には開かれなかった。
ただ彼は、何かを訴えるように私に目を向けていたから、私はそんな彼を安心させるため、微笑みを浮かべ口にした。
「大丈夫、ここは安全だから安心して眠って」
そう口にしたが、彼はまだ警戒しているようで、私に向かって手を伸ばす。 そして口パクで問われた。
『誰だ』と。
「わ、私の名前は」
リディア、そう口にしようとしてハッとした。
(あれ、見ず知らずの方に名前を名乗って良いのだっけ?)
よくよく考えれば、彼の名前は疎か、何処からきたのかさえ分からない。
体に残っている無数の傷は、間違いなく人為的なもの。
あれ私、助けてしまって良かったのかな!?
とあれこれ考えているうちに彼は力尽きたのか、開かれていた瞼は閉じられ、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。
それを見て、私の足から力が抜ける。
(び、びっくりした……っ)
初めて彼と交わった視線に、バクバクと心臓が高鳴る。
(……それに)
そっと唇に手をやれば、まだ感触が残っているような気がして。
(って、違う違う違う!!)
あくまで人命救助! そう、人命救助よ!!
(なんて、ファーストキスだったけれど……)
そんな複雑な思いを抱え、はぁっと息をついた後ハッとする。
「っ、待って、私どれくらい此処にいたかしら!? 一旦お家に帰らないと……っ!」
この人を連れて帰るわけにはいかないから、寝かせておいて大丈夫……よね?
そっと彼を見れば、先程よりだいぶ顔色が良くなっている。
それに安堵し、私はそっと小屋から出ると屋敷に向かって走る。
案の定、屋敷内では私がいないと大騒ぎになっており、私はたっぷりお説教を受けた。
……侍従達にはまた噂されることだろう。
それから少し時間が経ち、あっという間に夜になった。
ベッドに横になったが、なかなか寝付けない。
それもそのはず、あの人のことが心配なのだ。
(あそこ、寒いのではないかしら)
此処一帯の気候は年中通して温かいが、あそこは森の中に位置しているから、もしかしたら夜は冷えるかもしれない。
「〜〜〜あぁ、もうっ!」
どうにでもなれ!と言わんばかりに私は、窓を開け、近くにあった木に飛び移ったのだった。




