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初めての感情 *イヴァン視点

イヴァン視点最終回です。

 

「好きです」


 その言葉に心が震えた。

 ザワザワと、煩いくらいに鼓動が速さを増す。

 信じられなくて冗談かと思わず尋ねれば、彼女は涙を零しながら「私も、冗談だったら良かった」と言うのだ。

 彼女の涙が嘘ではないことを物語っているようで、思わず言葉を無くす俺に対し、リディアは自分の思いを口にしてくれた。

 彼女の口から飛び出る言葉の数々は、俺と似た感情だった。


 一緒にいると、自分でも知らなかった感情が芽生えた。

 楽しくて、彼女を手放したくないと思う自分がいて。

 だけど。


(彼女は俺といると“苦しい”と言った。

 だけど、俺は怖いんだ)


 リディアは優しい人物だ。

 俺のことを、真っ直ぐと見てくれる。

 その澄んだ瞳がこちらを見る度、胸が苦しくなるのはきっと、リディアだからなのだ。

 だけど、それを認めるのが怖い。

 だって俺は、俺には。


 ―――愛することも、愛される資格もないのだから。


 そんな俺に、彼女を引き止める資格はない。

 リディアなら……、心優しい彼女なら、彼女にその気がなかろうとも、他に幾らだって結婚相手は見つかる。

 だが。

 俺はその手を手放したくはなかった。

 ただその一心で彼女の手を引き、腕の中に閉じ込めた。


「どう、して……?」

「分からない」

「分からないって何!」


 彼女には怒られたが、本当に自分がどうしてしまったのか、俺自身も戸惑っていた。

 こんなことは、初めてだから。

 この俺が何かに執着する、それも女性を手放したくないなどという感情は。

 腕の中にすっぽりと収まってしまう、そんな華奢な彼女を抱きしめれば、そんな彼女の顔を見たいという思いも沸き起こる。

 抵抗した彼女だったが少しだけと願えば、恐る恐る彼女はこちらを向いた。


 その瞳や頬は涙で濡れていて。

 それが俺のせいだと罪悪感を覚える反面、何故か嬉しく思ってしまう自分がいて。

 その頬をそっと自らのハンカチで拭い、今の自分の気持ちを素直に口にした。


「先程の、“好き”という君の気持ちは、正直俺には分からない」


 その言葉に彼女が身を強張らせたと思ったら、無理矢理、悲痛にも見える笑みを浮かべて、「そうだよね」と言う彼女に向かってすぐに口を開いた。


「でも。 誰かを……、君を、手放したくないと思ったのは、初めてだ」

「……え?」


 彼女はハッとしたように、ようやく顔を上げたのだが、思いがけず至近距離にあった彼女の顔に驚いて、反射的に顔を背けてしまった。

 気恥ずかしくて咳払いを一つしてから、言葉を続けた。


「君と同じ気持ちかと聞かれても、答えは分からない。

 けれど、君とこれで離れ離れにはなりたくないと思う」

「……それは、つまり」

「もう少しだけ、此処にいてくれないか」

「……!」


 そう口にするだけで、とても勇気が要った。


(彼女は告白してくれたというのに情けない)


 そう思いつつも、彼女がそんな意味の分からない俺の我儘に乗ってくれるのか不安に駆られていると、彼女は恐る恐ると言ったふうに尋ねてきた。


「……此処に、いても良いの?」


 思いがけない彼女の言葉に、俺はよく分からない返答をしたものの、リディアはそれでも言葉を返してくれた。

 その言葉は素直に、嬉しいものだった。

 ……彼女の気持ちに対し、そんな無責任なことは言えないが。

 そんな情けない俺に対し、リディアは「分かった」と言ったかと思えば、不意に俺の身に付けていたタイをぐいっと引っ張る。

 思わず重心を崩して彼女の方に倒れそうになったのも束の間、頬に柔らかな感触が訪れた。


「……!?」


 彼女に口付けを落とされた、と認識する前に、彼女は悪戯っぽく笑って言った。


「私をここにとどまらせたからには覚悟してね」

「は……、おい、ちょ、リディア!」


 俺の言葉を遮るように、彼女は部屋を後にしてしまう。

 一人部屋に取り残された俺は、思わず長椅子に座り込んだ。


(っ、キスなんて大したことではないのではなかったのか……!?)


 そんなことを思わず考えてしまうほど、頬に触れた一瞬の、あの柔らかな感触は、その日一日眠れなかったほどになかなか消えてはくれなかったのだった。






 レイラ嬢がラングレー伯の元へ帰って行った数日後、俺はリディアに誘われて彼女の部屋のバルコニーにいた。


「よし、準備は良い?」

「ピー!」

「せーのっ」


 リディアが扉を開けた瞬間、青い鳥は力強く大きな翼をはためかせて飛び立って行ったのだった。

 真っ青な空にその翼が大きく広がっているのを見て、リディアは嬉しそうに手を叩く。

 その姿を見て、俺は数日前の彼女の言葉を思い出していた。


『私が貴方を看病したのは、貴方にただ、生きてほしいと思ったから』


 その言葉通り、彼女に助けられて、俺もあの青い鳥もこうして生きているのだ。


「あ、見て、イヴァン。 あの鳥さん、まるでお礼を言っているみたいね!」


 そんなリディアの言葉に対し、俺はすぐに言葉を返した。


「君が一生懸命世話をしたことを、あの鳥も分かっているのだろう」


 素直な気持ちだったのだが、リディアには酷く驚かれた。

 ……そんなに俺が言わないような台詞なのか?

 慣れないことは言うものではないかと思ってしまった俺に対し、リディアは風邪を引いた時に俺が看病した件について、感謝の言葉を述べた。

 それに対し、そっけない返答になってしまったが、彼女に感謝されるとは思っていなかったので素直に嬉しかった。


 その上、彼女は知らないはずの水を飲ませたことについても言及してきた。


(全く、余計なことを吹き込みやがって)


 覚えていろ、と内心毒づいていると、リディアは俯き加減で口を開いた。



「私、熱を出していた時、夢を見て魘されていたの。

 ……辛くて、悲しかった。

 けれどね、誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえて。 その声が私を救ってくれた。

 それは、イヴァンだったんだね」


(そう、だったのか)


 俺が、苦しんでいたリディアの役に、少しでも立っていたのだと思うと、心がじんわりと温かくなっていくようなそんな感覚を覚えて。


「ありがとう、イヴァン」

「……それは、お互い様だ」


 リディアの感謝の言葉にも、素直に返せずそう口にすれば、リディアには照れ隠しだとバレているらしく、彼女はクスクスと笑い出した。


「笑うな」

「だって」


 なおも笑い続ける彼女の頭を軽く小突いてみたが、彼女が泣いているのではなく笑みを浮かべているのを見て、彼女が笑っていれば何でも良いように思えてしまうから不思議だ。


(あぁ、こんな時間がずっと続けば良い)


 この一ヶ月、彼女がやってきてからは本当に毎日が新しい。

 色がなかった日常に、彩りを与えてくれているのはきっと、彼女の……、リディアの存在があるからだ。


(俺はもっと、リディアのことが知りたい)


 彼女が此処に残ってくれることを決めたのだ、俺はそんな彼女と、きちんと正面から向き合おうと思う。

 いつまでも恐れていては駄目だ。

 “あの人”と“彼女”は、違うのだから。


「……イヴァン」


 彼女が不意に、俺の名前を呼ぶ。

 そんな彼女の方を向けば、リディアはエメラルドの瞳を柔らかく細め、綺麗な笑みを浮かべて言った。


「これからも宜しくね」

「! ……こちらこそ」


 彼女はそう言うと、遠くの空を見つめる。

 そんな彼女と、これから先も同じ景色を見られたら。

 俺はきっとそれ以外には何もいらないと、思えるようになるはずだ。


(イヴァン視点END)


いかがでしたでしょうか?

リディアと接していくうちの、イヴァンの心の変化をお届けできていたら幸いです。

次回よりレイラ視点の更新を3話ほど予定しております。

レイラ視点でのまた違った物語の裏側をお送りできたらと思います。

引き続き宜しくお願い致します!

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