仮初
「え、イヴァンは今ここにはいないの?」
その日、私は青い鳥が目を覚ましたこと、それから、昨日は頭に血が上って酷いことを言ってしまったことについて謝ろうとイヴァンの執務室へ向かったのだが、彼の姿はそこにはなかった。
不思議に思いニーナに尋ねれば、彼女が教えてくれたのだ。
「はい。 イヴァン様は御公務のため、三日程お屋敷を空けると仰っていました」
「……そう」
三日も公務で帰って来ないということは、昨日の件について謝ることも出来ないということになる。
(三日後か……)
このモヤモヤとした気持ちで三日も過ごさなければいけないのか、と自然と長く息を吐けば、視線の先にいた鳥さんが私を見て「ピー?」と首を傾げた。
それがまるでどうしたの、と尋ねているように見えて、思わず笑みを溢して口にした。
「そうね。 まずは貴方の怪我を完治させて、この空を飛べるようにしてあげなければいけないわね」
私が此処にいられるのは、後残り六日。
こうしている間にも、約束の日は刻々と迫っている。
「私がいられる時間の間に、貴方の怪我も治してあげなきゃいけないから、お願いだから安静にしていてね」
「ピー!」
「あ、だから翼を広げちゃ駄目なんだって!」
まるで子の心親知らずだ、という前世にあったことわざを思い出して、思わず笑みを溢したのだった。
そして三日後、イヴァンが公務を終えて帰ってくる日が訪れた。
「イヴァン、いつ帰ってくるかな」
「ピー?」
私の呟きに、鳥さんは小首を傾げる。 そんな姿に笑みを浮かべた。
「ふふ、本当に私の言葉が分かっているみたい。
貴方は賢いのね」
「ピー!」
パタ、と翼をはためかせる前に慌てて押さえ込むと、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい」
扉に向かってそう返事をすれば、ガチャッと扉が開きニーナが入ってきて言った。
「お嬢様、イヴァン様がお帰りになられましたよ」
「ありがとう!」
ニーナには、イヴァンが帰ってきたら教えてもらうよう伝えてあった。
その言葉通り、彼女は私に教えにきてくれたのでお礼を言い、イヴァンの元へ向かう。
ニーナからイヴァンは執務室にいると聞いたので向かっていると、不意に声が耳に届いた。
(あれ? この声は……)
通り過ぎようとした部屋の前で立ち止まり、僅かに開いていた扉の隙間から中を覗けば、そこにはイヴァンの姿があった。
(お話し中かしら?)
そんな疑問をよそに、イヴァンは私には気付かずそのまま話を続けた。
「レイラ嬢はやはり見つかっていないようです」
レイラ、という名前にハッとして、慌てて聞き耳を立てた。
盗み聞きは良くないと分かっていても、レイラのことを話していると知ったら気になってしまう。
(それに、レイラはまだ見つかっていないの……?)
それに対し、息を吐いて答えたのは辺境伯様だった。
「王家の手を借りても見つからないとなると、レイラ嬢は本当に上手く身を隠しているのか、或いは……」
その沈黙の先に続く言葉を想像して、私の足からは血の気が引く。
辺境伯様は息を吐き、言葉を続けた。
「此処にいるリディア嬢のためにも見つけてあげたかったが、彼女には伝えなければならないだろう」
「私から話しておきます」
「あぁ」
イヴァンがこちらに足を向ける音が聞こえる。
(わ、私行かなきゃ)
盗み聞きをしていたことがバレたら良くないもの、と方向転換して部屋に戻ろうとしたその時、二人の会話がまた再開した。
「イヴァン。 リディア嬢との約束の一ヶ月後までは後三日だが、お前はどうするのか決めたのか」
その言葉に、私は再度足を止めてしまった。
話題が私に移ったからだ。
これ以上聞いてはいけないと思いながらも、足がその場から動かない。
それよりも。
(……イヴァンは、何て答えるの?)
気になってしまい、イヴァンの答えを待っていると、彼はため息を吐いた後言った。
「……もし、約束の日にレイラ嬢が現れなかった場合は、リディア嬢と結婚しようと思います」
「……!?」
危うく声を出しそうになってしまった。
慌てて口を押さえたから、大丈夫だったけれど。
(わ、私と、け、結婚……!?)
私はラングレーへ帰るのではなかったの!? とパニックになっていると、それに更に追い討ちをかけるように辺境伯が口を開いた。
「報告では、リディア嬢とは随分仲良くなったそうじゃないか。
お前が結婚すると口にしたということは、リディア嬢のことが気に入ったからではないか?」
(え……っ)
カァッと顔に熱が集中するのが分かる。
(そ、それって、イヴァンが私のことを……、す、好きって思っているってこと!?)
内心悲鳴をあげるよそに、イヴァンはそれに対して答えた。
「気にいるも何も、それを父上はお望みなんでしょう?」
そう返したイヴァンの声音は、いつにも増して冷めたものだった。
そして、彼はそのまま言葉を続ける。
「辺境伯の位を譲る条件に結婚することも含まれていましたよね?
私がこのままリディア嬢と結婚すれば、その条件はクリア、ということでよろしいのですね」
「……!」
その言葉で、理解した。
(そっか、イヴァンにとっての結婚は、辺境伯家を継ぐための条件に過ぎないということなんだ……)
そう理解した私の胸に、ズキリと鈍い痛みが走る。
どうして、と思う間もなく、辺境伯が言葉を発した。
「では、お前はリディア嬢のことを好きではないと?」
「えぇ」
「……っ」
迷いのないイヴァンの言葉を聞いて、私は今度こそ逃げるようにその場から離れた。
(そっか。 イヴァンは私と、仕方なく結婚しようとしているんだ)
そうだよね、此処に来るはずだったのはレイラだったんだもの、と頷く。
私は所詮居候。 此処にいるのは仮初に過ぎない立場なんだ。
そんなこと、分かっていたはずなのに。
「……あれ」
何で、視界がぼやけるんだろう。
何で、こんなに胸が痛いんだろう。
どんな形であれ、必要とされているのなら嬉しいはず、なのに。
「……どうして?」
そう口にした言葉は、情けなくも掠れてしまって。
どうしてこんなに自分が傷付いているのか、その答えはいくら考えても分からないのだった。




