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ノワール辺境伯

 ノワール辺境伯爵。

 イヴァン様のお父様にあたるこの方は、この国の歴史書にも載るほど偉大な英雄として有名である。

 彼は辺境伯爵という身分でありながら、自ら先陣を切り、ありとあらゆる戦略を生み出し、この国を勝利に導いてきたとして多くの武勲を立てている。

 だから、この国・アーセント国の中でも広大な土地を領有し、ご先祖様の中でも優れた辺境伯として讃えられている。

 ただ彼も社交の場を嫌うことから、その姿は謎に包まれていた。



(そんな方が、今こうして目の前にいるだなんて……)


 信じられない思いで膝上にある拳を握りしめた。

 イヴァン様と同じ銀の長い髪に、冷たいアイスブルーの瞳。

 そして、イヴァン様とは比べ物にならないほどの凄まじい威圧感。

 存在全て圧倒されてしまうほどのその方を前に、固まってしまっていると。


「……父上、そんなに彼女を凝視しないで下さい。 困っているじゃないですか」

「!」


 ぐいっと彼の力強い腕が肩に回り、トンと頭が彼の硬い胸にぶつかる。


(っ、い、いやいやいや幾ら何でも距離感……!)


 前世を合わせても男性に対して免疫がない私は内心では悲鳴をあげるが、噯にも出さずグッと堪えると、そんな私をもう一度チラリと見てから、辺境伯様は初めて言葉を発した。


「……イヴァン、その女性は誰だ」

「彼女は私の婚約者であるリディア・ラングレーです。 彼女は先日から、婚約者として此処に住んでおります」


 そう言って、今度は私の顔を見て爽やかな笑みを浮かべるイヴァン様に、私はカチンと来た。


(……そう、貴方はそうやって平気で嘘をつけるのね)


 分かったわよ、そっちがその気なら見せてやろうじゃない。

 私はすっと息を吸うと、完璧に見えるような淑女の笑みを浮かべ、口を開いた。


「お初にお目にかかります、辺境伯様。

 私はリディア・ラングレーと申します。

 宜しくお願い致します」


 そう言って頭を下げれば、辺境伯様はじっと見つめたまま口を開いた。


「……ラングレー、とは伯爵家の?」

「はい」


 私が頷けば、辺境伯様は「それで?」と今度はイヴァン様に向かって口を開いた。


「夜会には赴かないイヴァンがどうしてこの女性を婚約者に選んだんだ? 一ヶ月前に家を出る時もそんな話は聞いていなかったが」

「はい。 そのことですが、半年前彼女に助けて頂いたのです」


 イヴァンの言葉に、辺境伯様はハッと目を見開き大きな声で言った。


「半年前とは、お前が城を訪れた際に行方不明になった時ではないか! それは本当なのか!?」


 急に辺境伯様にそう尋ねられ、私は驚きながらも言葉を返す。


「多分、本当です……」

「多分? どういうことだ」

「それは私の方から説明させて下さい、父上」


 彼が城を訪れていた時だなんて知らず、どもってしまう私を援護しようとイヴァン様は口を開いた。


「私は、賊に襲われ崖から転落した直後意識が朦朧としてしまい……」


 その先も説明が続いたが、私はその言葉で半年前の彼が負傷した傷と繋がった。


(賊に襲われ、転落してしまったから通りで切り傷や打撲傷が多かったんだわ……)


 そんなことを考えている間に説明は終わっていたらしく、私に向かって辺境伯様は尋ねた。


「それで? リディア嬢は何処でイヴァンを見つけたんだ?」


 イヴァンはハッとしたように私を見た。


(疑ってるんだもの、答えられないと思っているのね)


 私は彼からすぐに視線を逸らすと、辺境伯様の目を見て答えた。


「屋敷の周辺にある森の中です。 幸いすぐ近くに妹が所持している小屋があり、長らく使用していなかったためそこで密かに看病しておりました」

「密かに、ということは、ラングレー卿はこのことは知らないと?」

「はい、父はご存知でないはずです」

「それは、どうしてだ。 普通身元が不明の倒れている人間がいたら、ラングレー卿に真っ先に報告するべきだろう」

「!」


 辺境伯様の鋭い質問に少し動揺してしまう。


(確かに、辺境伯様の言う通り、父に相談し、身元を調べて適切な治療を行った方が、彼はもっと早く目覚めたのかもしれない。

 でも)


 私はスッと息を吸うと、真っ直ぐと目を見て言葉を発した。


「イヴァン様のお身体の具合を見て判断しました。

 剣を交えて出来たと思われる切り傷、それから打撲、擦過傷などを見て、もしかしたら誰かに追われている身なのかもしれない、と。 

 もしそうであったとすれば、動けない状態のイヴァン様の居場所を相手に知らせない方が良い。 

 それから、見つけた当初は私一人であったため、イヴァン様を運ぶには限界がありました。 その時、咄嗟に思い出したのが小屋の存在で。 いざというときの処置の方法も一通り知っておりましたので、独自で出来る限りの処方を施しました」

「……ほう」

「ですが、これは私の勝手な自己判断です。

 辺境伯様の仰る通り、父に伝えていればもっと早く、御子息様の意識も取り戻せたかもしれません」


 私はそう言うと、深々と頭を下げた。


「申し訳ございませんでした」


(確かに、これは私の勝手な判断だ。

 応急処置の方法を知っているからとはいえ、この処置の方法が万が一間違っていたとしたら、彼の命を危険に晒していた。

 自分を過信しすぎていたわ)


 そう言って唇を噛み締めた私に対し、辺境伯様は……。


「っ、ははははは!!」

「「!」」


 突然、大きな声をあげて笑い出したのだ。

 これには驚き目を見開く私に対し、辺境伯様は柔らかく笑った。


「君は実に賢明な女性だ」

「え……、怒って、いらっしゃらないのですか?」


 急に私を褒め、先程の威圧感は何処へやら、親しみやすい空気を纏う辺境伯様に驚きそう声をあげれば、辺境伯様はアイスブルーの瞳を細め笑った。


「怒るわけがないだろう。 君の判断は正しかった。

 私が思っていた女性は普通、血を流して倒れている者がいたら慌てふためき助けを呼ぶだろうと思っていたから驚いたんだ。

 その判断のおかげで、その件については事を荒立てず内密に済ませることが出来た。

 ……それに、例え判断が間違っていたとしてどうして怒れる。

 私の息子の命を助けてもらったことには代わりはないのに」

「信じて、下さるのですか」


 私の言葉に、辺境伯様はキョトンとした後、柔らかく笑い「もちろん」と口にした。

 その表情と言葉に、私の心に温かな何かが広がる。

 そして、辺境伯様は今度はイヴァン様に向かって言った。


「イヴァン、お前は危うく助からなかった命を助けてもらい、今ここにいるんだ。

 感謝して、リディア嬢を大切にするんだぞ」

「! ……はい」


 イヴァン様は何も言わなかった。


(まあ、ここまで言ってもどうせ信じてはくれていないのだろうけど)


 そして、辺境伯様は今度は私に向かって口を開いた。


「聡明なリディア嬢に、改めて礼を言わせてほしい。

 有難う、息子を助けてくれて」

「っ、い、いえそんな」

「息子を助けてもらったお礼に、何か君に贈ることにしよう。 ドレスや宝石、何でも良い」

「ど、ドレスや宝石ですか!? い、いいえいりません! あ、いえ、その、ドレスや宝石なんて、私には似合わないので……」


 レイラだったら似合うけど、と心の中で呟きながらそう返せば、辺境伯様はキョトンとした顔をした後、また再び笑い出した。


「はは、そんなことはない。 

 そのドレスもよく似合っているし、外見もそうだが君のように聡明で魅力的な女性はなかなかいない」

「お、お世辞でも嬉しいです……」

「お世辞ではなく、自分で言うのも何だが私は滅多に他人を褒めない。

 そうだろう、イヴァン」

「……そうですね」


(イヴァン様?)


 急に歯切れが悪くなった気がするけどどうしたのだろう。

 不思議に思っていると、辺境伯様が私に向かって言った。


「リディア嬢、申し訳ないがイヴァンと二人で話をさせてもらっても良いだろうか」

「はい、勿論です。 私はこれで失礼致します」


 私が礼をすれば、辺境伯様は静かに微笑んでくれたのだった。




「え!? 辺境伯様に信じてもらえた!?」

「えぇ」


 私が部屋に戻ると、辺境伯様との話し合いの結果を待ち構えていたニーナに質問攻めされ、掻い摘んで説明すると、ニーナはそう言って感極まったように手を叩いた。


「良かった〜! これでリディア様も辺境伯様に認めてもらえたと言うことですね!」

「……でも、これで良かったのかしら」

「え?」


 ニーナのどうしてですか、という問いかけに対し、私は淹れてもらった紅茶を見つめながら言った。


「私はあくまで、イヴァン様の仮の婚約者で、一ヶ月後にはこのお屋敷を出て行く身なのに……、あそこまで信頼して下さった辺境伯様を裏切るようで……」

「それなら、リディア様が本当の婚約者様になって住めば良い話ではないですか」

「え?」

「それが良いです、リディア様! 私はリディア様になら一生ついて行く所存です!!」

「あら」


 そう言ってくれるニーナに私は笑みを浮かべ、感謝を述べたが首を横に振った。


「いいえ、前にも言ったけれど、私は結婚を望んでいないわ。

 それに、イヴァン様も私もお互いに恋愛感情を抱いていないし、第一私にはこの傷があるのだから無理よ」

「そんなことは」


 ニーナが反論してくれようとしたその時、コンコンとノック音が聞こえてきた。

 私が「はい」と返事をすれば、ガチャッと扉が開き顔 そこにいたのは。


「イヴァン様」

「少し話がある」


 彼はそれだけ言うと、踵を返した。


「ニーナ、イヴァン様と少し話してくるわね」

「はい、畏まりました」


 ニーナの言葉に頷くと、慌てて廊下を歩く彼の背中を追うのだった。 

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