95.狼裾の騎士
野風の吹きとよむ中に、聖杯草の藍が揺れている。
"賢狼の裾"外縁を象徴する、劫にくしけずられた緑の丘隆地帯を、帰郷と訪問にあたる彼らは歩いていた。
黒馬車をくだってそこそこ経っていた。めずらしい花のほかには、丘隆線と羊しか見えないこの一本道のどこかで、迎えがある、という話だった。
「城の攻略ははじめてです」
「お前の手柄はちぐはぐでいかんな」
「また初耳だ!」
「左様か……?あれは赤い森の滑るような落葉が、目に痛いほどの晴れの日だった……やはり知らない?胸つきの木下道を俺は、――」
ふと話し相手のヴィクトルが前方へ目をすがめたので、ゼンも向くほうをあらためる。続きが楽しみな昔話とちがって、のぼる足もとはおだやかだった。
そしてうたがうべきだった。尽きないヴィクトルの物語ではない。まもなく聞こゆものだ。
「――――!」
むかう稜線に浮かび上がって、いま見るものだ。
「ヴィク、タあああああー!」
まっしぐらに、それは弾丸のごとく。
気づけば五十メルをかっとばした不明な人影を、ヴィクトルはやすやすと抱き留めて、遠心力でいなしていた。
ぐるぐるとまわっている。豊かな銀髪の、大人な女性だ。
「ヴィクター!ヴィクター!」
花やいだ声でしきりに名を呼んでいた。
「髪、伸ばしたの?」
「暇がなくてな」
「すてき、すてきね」
口づけの音をさんざんさせてから、やっと地に足つけて立つ。ヴィクトルに恍惚としなだれかかると、ちょうどお似合いな長身である。
「こほん……お客様のまえであんまりはたしないぞ、アリシア?」
「アムーッ!」
「おお、よーしよしよし……」
標的を代えてとびつくのに、なにか既視感を植えつける。
(大型犬だ……)
(大型犬です……)
アムソフィヤを頬ずりで堪能してから、大型犬は、さしずめ次の遊び相手をみさだめた。ぎゃっと身を翻して目の高さをあわせてくる。
「あなたたちのこと、よーく知ってる!」
「ゼン・イージスです」「フラン・フラムネルです!」
きゃーかわいい!言ってくれるだけならいい。ふたりまとめて挨拶の抱擁もまあいい。けれど出会ったばかりの女性の胸へ過剰にうずもれることに、ゼンは多少の気まずさを覚える年頃だった。
申し訳ないながら、やんわり引き離そうとして。
――力、強っ!?
ビクともしないのである。よいにおいのする、長い銀髪がさらさらとしてくすぐったい。それ以上に、何かがやわらかいのと、はたまた何かかたいものがめりこんで痛い。
大型犬は、長く白い首であっちを向いてはこうたずねた。
「この四人でみんな?"商隊"さんは?大きな黒馬車さんは?」
こっちを向き直っては言った。
「あ、私のことはアスナでいいよーっ!」
にんまりとろけたような笑顔が近い。
その正体をかよわい深窓令嬢に賭けたイトーに何と言ってやろう。彼女こそヴィクトル・サンドバーンの伴侶である。
(……アスナ。アリシアではなくて?)(独特の感性なんだ)
"アリシアスナ"からやっとのことで解放されて、ゼンはアムソフィヤにきく。
なるほど、ただならぬ人物である。
剣を帯びるから、剣士と知れた。アリシアスナの胸に炳として輝くのは、冗談で帯びては許されない、みまごうことなき盾のしるし。
「ミゲルはどうした」長の再会となるはずが、かわらぬ唸り声である。
「……私じゃ迷惑だった?」
「驚いただけだ」
会話にはふたりの温度があった。
「"乙女の城"でね?集いがあるの」
「槍合わせか」
「お呼ばれしたけど、私はぜんっぜん行きたくないし……オリヴァーにおしつけちゃった」
「お前はどこに?」
「お義母さまのとこ……行っちゃうの?」
思いのたけを投げかけながらも、見送る妻の眉だった。
「日が暮れるまでには帰る」
アリシアスナの片頬に手をあてて、おだやかなままヴィクトルはつづけた。
「約束する」
するとアリシアスナはぱあっと明るくなって、子どものように駆けだした。
「ごちそうにするね!すごいごちそうにする!」
乗りかかるのは、彼女のあとをひとりで追ってきた老賢者のような白馬である。二メルはあらんかという体高に、気品をほとばしらせている。主人のせわしなさにも慣れているようで、つっと首を垂れたのも、どうもみなさん、すみませんね。という会釈にみえた。
「ハッ!」
野をつっきってはどこへやら、人馬ともども丘の稜線に消えてしまう。みえなくなる最後まで、うれしそうに手を振っていた。
「すごい人だ……」
ゼンは口に蓋をしわすれてはっとしたのだが、ヴィクトルは楽しそうに鼻で笑った。
「そうだろう」
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心の奥底で期待したほど、敵の本丸は「陰険な顔つき」をしていなかった。物語にはかくも記されていたのである。
石造りの回廊の日陰が涼しい。ゼンはネズミを演じていた。
――酒蔵かな、この地下は……。
ねんのため構造を把握しておきたい。できるだけの情報収集も。
単独行動はお手の物である。
風雨にさらされた城壁や塔の質感を楽しむだけでなく、だいたいの見取りを終えていた。これからうえの中庭を目指しはじめる。
見張りはざるだ。
出入りが多い。荷馬車には御者、召し使い、奥方らしき影、なんだかよくわからない芸人、猟犬係と猟犬に、ブタやらニワトリ。タカもみた。おもてを騒々しく行きかっていた。
――忍び込むことなかったな。
奥まって、ここらはしばらく静かだった。音をたよりに厨房をみつける。まえをしれっと行ったが、誰にも呼び止められずにすんだ。ゼンは螺旋階段を静かに駆け上がり、三階くらいの高さの内城壁に出た。
中庭は昼の最中とみえる。にぎやかに突き匙を使ったり、食器のかち合う音がきこえた。
(やつらなかなかひあがらない――)
てすりの鉄格子のはざまから見下ろすと、ぶかっこうな広場に、ごちゃごちゃと男たちが居る。たくさんの刃や鎧が、ちらちらと晴天にまばゆい。
聞いている、城主の集いだろう。
召し使いたちが日よけの布を広げだした。じろじろながめて、ひょっと目があっても間抜けだ。音情報だけ失敬しよう。さっと背にして座りこむ。手帳をひらき、万年筆のさきを舐めるフリをした。すぐそちらにつながった塔の屋根で、見張りの弓兵が居眠りをしていた。青空に、音なく垂れた旗がしぼんでいる。
かぞえきれない話題に、遮るものがさまざまあるから、聞き取りと記録は断片的になった。たとえば。
(漁業と揉めるよりも)
(あたまからみくびってかかりやがって)
(邪悪なものが!)
(よくも喋々と)
(衆愚を欺き従えるのは)
(外壁の拡張工事が)
(見目麗しい女性の姿を……)
(よくある話ですな)
(毒の杯だ)
(失敬、アベル殿は)
(費用の調達に)
(北方森林のお出でにあられて)
(高地の連中なぞ)
――なるほどね……。
ゼンはふところに銀側の時計をみた。遠からずヴィクトルたちがやってくる。合流すべきだろうか?
来た螺旋階段を、ちょうど誰かがのぼってくる気配がするので――さしずめ昼食交代だろう――いさぎよく外縁へ飛び降りることにした。
城壁には蔦やくずが絡んで、花は色あざやかだ。
塔影が暗くする土に舞い降りている。膝をはらって、何食わぬ顔で日なたへ歩きだしてから、おや、と思う。
外城壁がすぐみえる、長い厩舎の近くであった。焚火がたって、何頭かの馬たちが虫よけの煙にあたっている。降りる直前にたしかめて、それは変わらぬのだが、ついでに話を聞こうと思っていた馬丁が、いつのまにやらいなくなっている。
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ゼンが残したウィンクの意味に、フランはハッとした訳である。
お昼を一緒にしないまま出かけた彼こそ、何か密命をしょっていた。はじめてスパイものを読んだときのどきどきを感じながら――できるだけ澄ました顔でいましょう……!――と、この場において決意する。
「いやはやこれは、令名高き騎士殿のご帰還だ!」
うつくしいお姫様が住むようなそれではなくて、武骨で、砂ぼこりと汗のにおいのする城だった。なのに"乙女の城"という。
歓迎の一声をあとに注がれた、挑むような視線の数々がいたい。
――私にだってわかります……。
五十名ほどが次々と口をとじ、いっとき完全に静まりかえった。門をくぐった先の、中庭の影にごろごろと、どれも正騎士格である。ふさわしく軍隊だ。たくさんの顔と名前と肩書きとあって、フランは後になるまでこんがらがったが、そのとき進み出で迎えたのは、ともかくこの城の主であった。
「ドゥ・ニノー卿」
「その呼び方!おかたいですな、サー・サンドバーン」
どうしてもひとり覚えておくなら、このヘイランリック・ドゥ・ニノーだろう。無害そうな笑顔のうらには、何を蔵しているのやら。
「ご一緒なさいますかな」
ヘイランリックは腕をひらいて案内した――さすがに残飯は散らかっていない――昼食を片付けかけの小円卓がいくつもあって、山盛りのくだものが、色とりどりに乗っかっている。
「結構だ」
ヴィクトルはすげない手のそぶり。
「弟を迎えに来た」
「率直でお高いな」
別の壮年の騎士が、深みのある声をひびかせた。おのれの席に座したまま、しんねりとそっぽを向いている。
「三年も国をあけておいて、我らに挨拶の一言もなしとは」
「相変わらずか、シルヴェストリ卿」ヴィクトルはおなじみの笑い方をした。「厳密には二年八ヵ月だ」
「諸国を渡り歩く若き騎士、ですか。はて、何を求めての遠路やら……」
ようやくこちらをむいたと思えば、ゆったりと立ち上がり、近づいてくる。大股な一歩。
「冒険……」
一歩。
「富……」
また一歩。
「女性……?」
ヘイランリックのとなりに並んだ。
「古いんだよ!お言葉だけど」アムソフィヤがやりかえす。「ボクらは戦利品じゃないぜ」
ヴィクトルのうしろで、フランはともに控えていた。どかんとやるなら、もっとわかりやすい合図をくれるだろう。
「さすがに口先がお達者ですな、"迷宮の魔女"ともおいでになると」
もうひとり覚えておけるなら、このアベル・シルヴェストリ。よく響く低い声のほか、鷲鼻と重たい瞼が印象的だが、しるしをさしおいても、まあ忘れまい。
「しかしなんでも密命を帯びておられたのだとか?」言わせるだけ言わせておいて、ヘイランリックはなだめにかかる。大げさな身ぶりだ。「確かにその東方でまた、大戦果を挙げられたと!」
世間的には、うまくそういうことになっていた。"商隊"の軌跡――事実とも整合している。
「名声頻に高きがゆえに、多端な"勝利の騎士"殿のことだ。我らの常識なぞ通用しますまい」
ヘイランリックはへつらった。ヴィクトルとでは親と子もありうる年かさのはずが、何をとってもそうは見せない。
「……常識以前に、貴殿らには――」
そのとき裂帛の人声が、庭の反対側からあがった。
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しげる大木の葉と城壁と、布が傘なす一帯のほか、中庭の砂は、さんさんと日に当たっている。
一騎打ちはそこではじまった。
相対するは馬と馬、槍と槍、盾と盾、そして銀色に輝かしいかな板金鎧。
骨董品とさえ呼べぬしろものだ。まさに拍車を蹴った彼らが全身に着こなすそれらは、当代の"剣気"の前にして、装飾以上の価値をもちえない。
だがどうしてか「鎧」というのは一定数、人々を魅惑し、愛好され、贅沢として鍛造され続けている。わかるだろう、しるしが何を秘めたるかである。
面貌で顔色はうかがいしれぬ、並みの鎧の人物と、大柄の鎧の人物とがあった。砂塵を蹴立てて驀進しあう、立派な馬たちをへだてる境界はなかった。
いま衝突のとき。
なにもかも、こなごなに砕ける音がすさまじい。両者の抱えた大槍は木製で、ささげた盾もまた木製であった。
転げ落とされたのは、並みの鎧の人物だ。
庭に鎧の関節を鳴りひびかせても、人物は俄然あきらめていない。機敏に立ち上がり抜きはらう、剣は刃が落とされている。
対する大柄のほうはしばらくゆきすぎ止まったのちに、返す馬首で戦意をみとめた。そしてみずからものっしとくだり、鞘をはらった。
儀式なのだ。厳密にはその予行だが。
大柄のほうは、にぎりの部分をぐるりとまわすと、調子のよい足取りであっというまに距離をつめ、並みの鎧に襲いかかる。
刃がきらりと弧を描く――。
それからの激しい剣の応酬には、両者とも技があるようだった。
やがて力比べになる、拮抗だ。
ときにヴィクトル・サンドバーン一行や、年かさな狼裾の騎士たちとは別に、この戦いをずっと近くで楽しんでいる、若い鎧の人物たちがいた。彼らの野次で雲行きはかげった。
並みの鎧の人物の動きは鈍って、大柄の一撃に叩きのめされてしまう。
「おっと!勝負あったな!?」
無遠慮なわらいがたった。
名をくれてやるのも惜しいこの連中は、若くして騎士を自称している。
四名いた。見物のために、兜は脇にかかえていた。いずれも城主騎士の長男であり、父親ゆずりのよい性格をしている。どうだろう、"声の大きな騎士"、"小器用な騎士"、"大きな口の騎士"、"いいなりの騎士"、というのは。
かたや並々ならぬ、並みの鎧の人物――彼は"孤独な騎士"であった。もどかしくもよろける足で、みずからの剣に寄りかかって立ちあがった。兜の側面が凄惨にへしゃげている。脳震盪だ。
「降参か、降参するか!」"声の大きな騎士"。
「勝者は名誉を賜るが、敗者は馬に武具の没収が常……」"小器用な騎士"。
「予行とはいえ、貴公の家名には身代金を払ってもらわねばな」"大きな口の騎士"。
「ああ、ほかに手段などありますまい!」"いいなりの騎士"。
奇しくも相対する"大柄の鎧"の態度が、騎士道精神をもっとも体現している。構えなく沈黙をつらぬき、復帰を待っていた。
"孤独な騎士"にはしみじみありがたい。指をすべらしながら、目庇のある兜の紐をほどき、むしりとる。
善良だが気の弱そうな顔つきが、陽にあらわになる。息をととのえながら鼻筋を手甲でぬぐい、"水面の構え"をとりなおす。
みじかい黒髪をつたって、こめかみに血が垂れていた。
負傷した頭部には、獣の耳が生えている。彼には、狼の"しるし"があった。
「寛大に思え!穢れたその血を卿の庭に注ぐのだから!」
また巻き起こる哄笑のうちに、"孤独な騎士"は何かを呟く。
「――――。」
よい性格の騎士たちはみかわした。
「なに!いま何と!?」
「あさましい命乞いかと思えば!」
「石よりも硬く、木よりも苦く、イチジクよりも不毛な男!」
数をいいことに、ぞろぞろとにじりよる。決闘にさらなる水をさす気だ。
はたしてこのとき"孤独な騎士"は、ほんとうに孤独であったのだろうか?
気の弱そうな顔つきとていかに。苦痛にほんのゆがめたとはいえ、ただの生まれつきではないか。たとえば誰かさんのように。
「さながら……」
よくご覧あれ。彼は、彼の兄貴によく似した、精悍な顔つきをたたえつつある。
ただし声は――ご清聴あれ――兄貴とは似ない、役者のような、朗々としたそれであった。
「身をすり合わせてなく羊ですな」
「……愚弄するッ!」
"声の大きな騎士"が、から鼻をしかめて打ちかかった。
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「あんな大勢でかかるなんて!」
ゼンなら一目見てもっとうまく解釈するのだろう。"槍合わせ"なるものが、騎士の伝統を重んじた祝祭の、そのまた予行の一巻だかなんだか知れないが、よってたかってあんまりだ。
フランのまっとうな非難を受けて、ヘイランリックはいかにも「そうですな」とうなずいた。もったいぶって手を叩く。
「バラッツァ!」
口に手をして呼び立てる。気づくそぶりをみせるのは、むこうでも"大柄な鎧"だけだ。
「やめさせなさい!」
この時にはもう、"孤独な騎士"はかなり打ちのめされていた。"よい性格の騎士"たちを順に、バラッツァは引き剥がしはじめる。「よせ、俺はいい!」赤子を首で持ち上げるかのようだった。
一同、のんきにこちらへ向かってくる。
「しっかりしたまえよ」
"小器用な騎士"あたりの仕業だった。バラッツァに支えられ、もうろうとした足取りの"孤独な騎士"の、頬をびたんびたとたたきつける。手のひらにメイルのはりついた手袋である、軽くなぶるだけでも歯が飛びかねない。
嘲笑はすぐにひいた。
誰が待ち受けるのかを、ほんとうに彼らは知らなかったのである。
「弟が世話をかけたようだ」
唸り声である。
腕を組み、冷たくみつめて、ただ立っている。だからなおさらおそろしい。
「サー・サンドバーン……」
底意地悪いふるまいの気まずさに、"よい性格の騎士"たちは、あとからつばをのむようだった。野生の母火熊のまえでは、子熊をいじめる度胸もあやしい連中だ。
「ミゲル……すまなかった」
鎧のバラッツァから身柄をあずかって、ヴィクトルは肉親をささえあげた。戦場では傷ひとつ負わぬ彼とて、痛むところのある人間だった。親がいれば子もおり、弟だっている。
「……兄上?」
ふとミゲル・サンドバーンは蘇ったようである。
「ああ、兄上!」正気な声を、歓喜にうちふるわすようだったが。「ご壮健で何より……!」
かくんと意識をなくしてしまった。
「フラン――」「もちろんです……!」
フランも事態が読めてきた。いいえも知れぬ、気持ち悪さの正体にも気がついた。
この集い。中庭の、剣を帯びた男たちは、"只人"ばかりで構成されている。
「ひどいな……」「ソフィ、鎧を脱がせますか」「わかった!」
やがてはっきりする。連中も着ているものは立派だが、傷ついたミゲルのものとはちがう、見掛け倒しの光沢をまぶした、権力の甲冑だ。
「そうだバラッツァ、ご挨拶せねば無礼だぞ」
ヘイランリックが促すと、ひかえていた大柄な鎧の人物は、答える代わりに、乱暴に緒をとき兜を脱いだ。日に焼けた肌とどろぼう髭がしるしの、かたくなそうな人相で、首を斜めに傾げるような目礼であった。
「……見ない顔だ」
「鉱山の守衛に人手が要りましてな」
「傭兵じゃないか!なんで鎧を着てるのさ」スライム状のベッドに寝かせたミゲルを、介抱していたアムソフィヤ。
「単なる雇われではない、その頭取ですよ。それは手本になるもので」
ヘイランリックは何をか言わんとほくそ笑む。
「……思うより多くを追求せねばならんようだ」
「ほお、と申されますと……?」
「なぜ人をよこさん」
「……立ち話も憚りますかな?」
「これだけひとところに戦力を固めて、如何な了見であられるか」ヴィクトルは畳みかけた。「使徒ら脱走の報は早晩広く通じているはず」
一瞬のどよめきのあと、うしろの城主何某かが言った。
「ジガヴェスタのくだらぬたわけごとですよ」
「何言ってんだよ!当代の善き隣人だぞ!」アムソフィヤは黙っていられない。
「でしょうともな、貴女にとっては」「割れ甕にかしずいた売女め……」
口さがない男どもである。
血気盛んではなおさら手に負えない。
「腹蔵なく申し上げよう!ハルバートン家の怠慢だ」
召し使いたちが、先を争うように手をかして、鎧を脱がせおわった彼であるとかだ。"声の大きな騎士"である。いまは派手な刺繍の肌着でいる。
「思うにサー・サンドバーンは、先日猛毒におかされたという、我らが領土を仰せられるのだろうが」
「そうだ、五十マンスも守れないで」"いいなりの騎士"。
「もはやけがれた土地だろう、とりもどすだけの価値もない」"大きな口の騎士"。
そうだ、そうだ。
「朋輩の賭した心命を悔やみはせんのか」唸り声である。
「奔放の志がよくいう」「ははは……」やはりよい性格をしている、城主騎士たちのさざめき笑い。
ずい、とアムソフィヤが怒り肩で前へでかけるのを、ヴィクトルは腕で制さねばならなかった。
(……止めるなよ)
(はやまるな)
あとからしようもない冗句が飛び交ったようで、集いには爆笑が巻き起こっている。
狂気のようだ。純度の高い狂気。
一致団結せねば悪心に滅びる当代で、彼らはなにをみて生きている?
空気を読まずに門が鳴くと、氷のような沈黙がおりた。
そこでようやく、フランはうれしくなったのである。この「殺気」には、誰よりも慣れ親しんでいた。
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ぎぃ、とのんきな音を立て、あまりに自然に開かれた。潜戸ではなく、城門ほどもあるそれだった。
「この城市の火事は誰が消すのですか」
足音のない少年だ。指先で道を開ききり、とうぜんのように、ヴィクトル・サンドバーンのとなりに立った。
「立派な鐘はついているけれど……撞き縄の手入れをした方がいい」
主塔を見上げていう。
「……気づいた小百姓どもが消すさ」剣の手入れの最中だった、"口の大きな騎士"。
「あなたの鞘は油をむだに塗り過ぎですね」
「っ、何奴!」「不届きな!入れたのは誰だ!」"声の大きな騎士"。
ここで開きっぱなしの門の角から。
「あ、はい!僕です!僕!」ひょこ、と人懐っこそうな青年騎士が顔をのぞかせた。「オリヴァー・クサカベになります」
とある師弟は目くばせをする。
(知り合ったのか)
(そこで閑そうだったので)
ともかく加勢ということだ。
「感心しませんな」
いちはやく、アベル・シルヴェストリが用心深い一瞥をくれた。不敵に落ち着いたその最年少者は、剣を帯びるから、剣士と知れる。
「物見のためのお飾りでなくば、腰にぶら下げたその鋼……携行権は"騎士"にのみ宿るべきもの」深みのある声である。
「そうだ、とりあげろ!」続々と野次。さわがしくなりそうだ。
「待って――」(いいんだ、フラン)少年少女。
「ああ、ああ。誓ってよしたほうがいい!」
芝居がかったオリヴァー・クサカベに、一同はすくなからず耳を傾けた。
「驚かれましょう、無理もない!彼ってば、シュワルコフ救国の英雄なんです」
滑り出て、少年の両肩を大事そうにもった。中庭は静かになりつつある。
「うたわれる"悪心の呼び声"の――」直截であるから、それは忌み名だ。「主人公」
恥知らずばかりの中庭だったが、恐れ知らずは稀少らしい。
「ありますよね~……?後ろ盾、って言葉」
とぼけた顔で口のまわる青年だ。
「シュワルコフ流槍術門下生の?目録のずら~っと上から下まで!"さなか"以東産の駿馬に乗ってやってこられたら?ぶるぶる!皆様方いくら"草原の貴族"といえどもですね、はたして何がどうなってしまうでしょうね?」
矛先のかずだけ、悪意は分散した。
「旧都の小間使いが……」
「けっこうなおとぎ話だがな」
「なぜここに」
「何をどこで嗅ぎつけてくるのかわからん奴……」
なおここまでのやりとりのほとんどが、ダンコヨーテ語でおこなわれている。よそものにわかるはずがない。恐怖が喉元を過ぎてしまうと、おもしろがりとして増幅しはじめた。
「ちっ!思えばバカバカしい話」
「やれやれだ……」
「たかが知れましょう、ねぇ?」
「試してやろうか!」
「そうだ!」
「所詮は子ども!」
「やるか、やるのか!」
「ええ?お望みとあらばいつだって」
その少年がおびた柄を按じてみると、向かう者は、なぜだかものを言えなくなるのであった。
「ナイショ話は場所を選んだ方がいい」
「……何をかお聞きになられたか?」動ぜぬ、深みのある声である。
「そうですね、たとえばおふたりは仲がよいようで……」
面前にぼったちのヘイランリック・ドゥ・ニノーと、アベル・シルヴェストリのことである。
「あなたの要請を、ドゥ・ニノー卿はずっとはぐらかしている。金と人手がかかるのですから、都市城壁の拡張には協力しあわないと!あとは……」
思いついたような仕草をしたのち、尻からとりだした革表紙の手帳を、少年はひらいていた。
「税の取り分のお話でしょう。ペケリーノ氏がトロンコーソ氏を影で悪く言うのに、シエゴ氏は同調していたわりに――」しげしげとページをめくる。「じつはすでにバルモロ氏と結託していて、先のふたりを出し抜こうとしていたり……」
いずれも主要な城主騎士の家名であった。まったくよい性格をしている。
「なんだと!」「ご、誤解だ!」「説明されたし!」「貴殿こそ!」
椅子をけっとばし、とっくみあいになりかけだ。
「聞き捨てならないのは、みなさんおっしゃる……」少年が手帳を閉じてみまわすと、いっせいに静かになった。「女王様はもはやご不要、ですか」
集う者たちの目の色が変わる。
「エウロピアの急速な親アメイジア化に、危機感を抱くのはわかります。しかし――」
嘘はつかない少年である。アメイジアはおそろしい国だ。統べる女王もひょっとおそろしい。ふまえたうえで。
「……あ!」
こうしたわざとらしい手と拳の打ち方は、ある大男がよくみせたものだった。
「そういえばこの国の公も、女帝とあだ名されるのでしたっけ……?」
わかりやすく、首に青い血管を浮き出させたのは、いまだに笑顔をつくろう、ヘイランリック・ドゥ・ニノーなどだ。
どう転んでもよかったのである。
「いっけなーい!もうこんな時間だ!」
オリヴァー・クサカベだった。とくに時計などはしていない。
「勘弁してくださいよ、サー・サンドバーン?楽しみにしてたんです従姉さんったら!もし遅れたら宥めてもすかしても!」常人の三倍くらいでしゃべる。「ほらミゲル!しゃんとできそうかい」「お、オリヴァーか……かたじけない」
ヴィクトルは目じらせをして、一行に帰りの門を推す。
「行事のさなかに失礼したな」
適当なあいさつもいいところな、唸り声である。踵をかえしてから、ぎろりと首だけ振り向いた。
「ときにサバタ殿はいずこか」
「アレは南岸へ使いにやっております」
「この時期に?」
「このごろ物騒でしてな」
ヘイランリック・ドゥ・ニノーのほうも、よくもまあ、すてきな笑顔をたもてたものだ。
「闇夜にはねあげた刃が、ご尊容に向かわねばよいですが」
「手綱を引き絞れ」
もはやたがいに言いたい放題であった。
「あ!お客人のために馬を借りますよ、ドゥ・ニノー金鉱伯!それくらいの大度はお持ち合わせでしょう、あはは!」ミゲルに肩をかしながらのオリヴァー。
「べー!だ」アムソフィヤと、くすくす笑う少年少女。
そしてヴィクトル・サンドバーンまでが門のむこうへすっかり消えてしまうと、怒りに満ちたつぶやきが、中庭のすみずみまでいきわたるのだった。




