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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:賢狼の裾
94/106

94.できない約束


 黄昏にともされた火は、いまもまだ守られていた。

 これは団居(まどい)がゆるやかに解けたあとの、騎士の師弟の夜話である。


「くも!」

 ゼンはきっぱりと言ってやったのだ。

「そりゃあいますよ!森のどまんなかだ」

 再現するのに、声はちょっぴり落としている。芝居のために振り向いても、だれもうしろには隠れていない。

「こわいんですか、水君にもなって!?」一人二役である。「こわいんじゃないよぉ、きもいんだぁ~……」小さくなったアムソフィヤの仕草を、あわあわと再現してみせる。

 わかりきっている展開にも、ヴィクトルはくつくつと肩をゆらした。滑稽な物まねである。ひゃーッ!?と裏返った悲鳴も、脱兎のごとく飛び出してきたしげみも、じっさいに見聞きするようだった。

「二言目には、ヴィクターにはナイショにしておくれ!ですもの」

「なんと応えたのだ?」

「今後も見回り当番の責務を果たしたいがゆえなら、尊重しますし――」

「うむ……」

「ひたすらの見栄であるなら、対価もなくして約束しかねます」

「手厳しいな」

「気の毒ながら続きがあります。まぁ、あなたも魔女とはいえど?大釜で膏薬を調合したりしませんものね――すると、えっへん、という感じで――魔法のほうきか杖かなにかで、空を騎行したりもしないよ!――なのに持ち帰るんですか、それ?――うん、どれだって?――髪にべったりな蜘蛛の巣ですよ(声にならない悲鳴の再現)」

「ふっふっふ……」

 もとはアムソフィヤがいてよかった、という話のはずだった。かたちばかりでも、明るい話を。

 しばらく継穂をなくしても、快い静けさを、ふたりはあじわった。

 夜の音がまさってくる。

 残り火に枝をほうるのも、これで最後か、そのまた次か。

「……昔話をせびっても?」

「よかろう」ぎろりと、お題の催促だ。

「三日月旧都決戦とヴァンガード・アーテルの偶然」

 ヴィクトルはつっと身をおこすと、夜気をおおきく胸にため、吐いた。ゼンもみじろぐ。肘を膝にして、素直にまった。

「炉が灯っていた」はじける炎に、ヴィクトルはかるく指を落とした。「窮屈で灰色な、深夜の集会所だった」

 今年の秋はまだあたたかい。けれど彼もまた前のめりになって、撫でるようにして手を焙るのだった。

「急な招集――それも日をまたいで二度目の招集に、答えた冒険者はわずかひとりだという。

 凍えたな。長机ほんの四つの空間が、隙間風で凍えていた。灯したばかりのようだった。はじける炎にもっとも近い、炉端の机の椅子をずらして、奴はまさにこうして座り込んでいた。

 暗に聞いていたように、戸をまちがえた物乞いではあるまい。旅慣れた風采だった。しかしどうやら、なんの得物も持参していない。

 戸惑いながら案内を遂げた補給官に、俺は催促する。

 剣を。

 はたと男は振り向いた。顔なじみでも席に呼び込みように、気安く高く手を挙げて――お構いなく!と。

 それにしても陰気な夜であった。

 壊滅の報せが……ほとんど噂じみたそれだが、流布するのにはかからなかった。主軍を率いた筆頭統括騎士は、首をおのずから断ったという。

 水源をつかさどる集落近辺かと推定される、"大穴"の出現位置は"高地"。悪天の隘路をゆける戦力は限定的であり、逐次投入を余儀なくされるのだった。

 のこされた八百名の兵を周辺封鎖と都市部防衛の任にあてて、夜明けを待たずに、俺はほとんどひとりで向かう気だった」

「引責?」

「あるべき情報や友軍を阻んだのは然り、"狼裾"が"旧都"にこじつけた因縁……」

 ヴィクトルは首を振って、それ以上の政治を嫌悪した。ゼンも内緒で聞いた話だが、アムソフィヤ曰く、ときのサンドバーン夫妻は人質交換の駒に似ていた。

「認めねばなるまい。

 都合のよい道連れを求めていた。俺の生涯を飲みこむに足るだけの広い淵も。

 日々にひどく疲弊していたのだ。

 さて今夜の志願者は、伝令役にでも資してくれようか。

 なにも行き届かない臨時の施設だった。歩を進める先に、その大男はいた。ぼろの机のおもてを思いついたように撫ぜ、指に吹きかけ、埃ぶりを磊落に笑う。とった帽子をはたき散らす。胸にして立ち上がる。

 目の当たりにして、この俺が見上げねばならない。なにより異様に古傷と痣だらけの、その龍のごとき拳。はっきり言って、好奇心につき動かされた。冒険者、名は」


 


 ---




『ヴァン。ヴァンガード・アーテル。あんたは?』

『ヴィクトル・サンドバーン』

『さては良いとこの出だな』

 当たらずしも俺は迷ったものだ。男の微笑みは、なにもかもを見透かしているかに思えた。かわした手はどんな(きん)よりも硬く、しかしあたたかみがある。

『ま、お座んなよ』

『……』

 どんな因果かわからんが、それからの俺は至極すなおだった。

 すすめられるまま腰をかけると、おのず肘をついた先で深くため息が出た。

『助けが要るって?』

『……ああ、助けが欲しい』

 このかたみない己の態度に、あきれ返るほどだった。

『なにもかも投げ出してしまいたいが、それさえ俺ひとりでは不可能だ』

 そういうもんかね、と男はただ目で告げると。

『ど~しても、手にしてみたいものがある』

 身体を起こして、腹のベルトをさっとさわった。

『かなり駄々こねてみたんだが……これ以上のシロモノとなると、そんじょのお手柄じゃ頂けそうになくってね』

 男が指にとり、しゃっしゃと回してみせる不明なそれを、俺はしばらくぼんやりと眺めていた。なんの手品であろうか。机上にぽんと落ちついてから、正体にようやく気がついた。


 銃だ。

 

 その回転式弾倉の大型拳銃は、アメイジア将校の懐で盗み見たことがあるだけだった。

 くすんだ鋳鉄のような長い銃身で、ほのかに発光する刻印は、正当性を告げている――それくらいの知識は備えていたな。

 刹那に経たさまざまな類推は省こう。ともかく思った。


 俺がダメでも、もしやこの男なら?


『一筆のこしておこう……』

『よしきた、お供しますとも!』

 おもてに出ると、みぞれに空が鳴っている。悪心の色が近かった。忌まわしい満月も。

 ただ夜が深まるにつれ意外にも……踏みしめる霜は輝いて見え、魂に絡みつくような凍えは、どこかへ去ってゆくのだった。

 そういえば……。

 先刻までの猛吹雪を、この男はどうして濡れずにこれたのであろう?

『……家族にはうまく伝えてほしい』

 つららをはたき落としてしまいそうな笑い声が響いた。

『そいつはできない約束だ』

 明るかったな。撫でつける、月光色の金髪が。

『あんたって、いかにも勝ちそうだもの』

『なにを根拠に』

『"聖なる剣にして勝者"、名が語ってる!』




---




「よりにもよってあのときに、奴をつかわしてくれたのは何者なのか。見えない何かのお導き……?」

 焚火がひときわ大きく鳴った。

「まさか水の女神ではあるまい」

 その先のことはゼンも知っている。

 死者の大軍と、氷の息吹の腐竜を退けて、ふたりはうたわれる英雄になった。

 けれどヴィクトルの心境は優れることなく、むしろ悪化し、東へ光明を求める道で"商隊"と出会う。

「物語は『臭くて食えん焼き川魚に、牛のしょんべんのような酒の出る酒場』へ、ですか」

 ヴィクトルはおだやかに鼻を鳴らした。

「あれはひどかった」

 ヴァンガードとの大喧嘩のすえ、ヴィクトルは王国行きを目前で断念する。

 大人たちは明かさなかった。なにがヴィクトルをかようにも追いつめ、何もかもかなぐりすてるよう、駆り立てたのか。


 ――自分自身への失望……。


 ものごとが見えてきて、ゼンはまぎれもなく思う。できるだけ手を貸してやりたいと。

「今度のこと、こころゆくまでお任せください」

「助かる」

 役割を引き継いだのである。折に触れ『俺が寝台で死ねれば』と俯くこの陰気な師匠の、背を叩くなら自分しかいない。

「だからって、例の約束はしませんよ?何度頼まれたって」

 苦く笑ってヴィクトルは目をそらした。

「……その面はやめろ」

「またまたできない約束です」

 契約更新の儀式であった。()()のときは請け負おう。そんなことったらありえないけれど。

 "満月"が近いのであった。

「あの姿を知るのは?」

「妻だけだ」

「どんな方です?」

 これは突っ込んだ質問である。『会えばわかる』のいっぺんばりで、いい加減フランもあきらめていた。

「……泣いて私の無謀をなじるくせ、己の身をまるで顧みない」

 なるほど誰かさんに似ている。


 ゼンはうしろに黒馬車の様子をみた。連日の埋葬につかれて、しんとしている。夜更かしもいいかげん怒られまい。

「みな寝静まったようですし……」

 ほんの冗談の口ぶりであったが。 

「いかがです、そろそろ作戦会議でも」

 思うよりこれが役立った。

 

 ――事の全貌を次善に鳥瞰できる立場を、めぐりあわせはゼンによこすのである。けれども、そう、興味深いことに、この一編での"少年"は、いなくとも事足りる脇役だった。



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