94.できない約束
黄昏にともされた火は、いまもまだ守られていた。
これは団居がゆるやかに解けたあとの、騎士の師弟の夜話である。
「くも!」
ゼンはきっぱりと言ってやったのだ。
「そりゃあいますよ!森のどまんなかだ」
再現するのに、声はちょっぴり落としている。芝居のために振り向いても、だれもうしろには隠れていない。
「こわいんですか、水君にもなって!?」一人二役である。「こわいんじゃないよぉ、きもいんだぁ~……」小さくなったアムソフィヤの仕草を、あわあわと再現してみせる。
わかりきっている展開にも、ヴィクトルはくつくつと肩をゆらした。滑稽な物まねである。ひゃーッ!?と裏返った悲鳴も、脱兎のごとく飛び出してきたしげみも、じっさいに見聞きするようだった。
「二言目には、ヴィクターにはナイショにしておくれ!ですもの」
「なんと応えたのだ?」
「今後も見回り当番の責務を果たしたいがゆえなら、尊重しますし――」
「うむ……」
「ひたすらの見栄であるなら、対価もなくして約束しかねます」
「手厳しいな」
「気の毒ながら続きがあります。まぁ、あなたも魔女とはいえど?大釜で膏薬を調合したりしませんものね――すると、えっへん、という感じで――魔法のほうきか杖かなにかで、空を騎行したりもしないよ!――なのに持ち帰るんですか、それ?――うん、どれだって?――髪にべったりな蜘蛛の巣ですよ(声にならない悲鳴の再現)」
「ふっふっふ……」
もとはアムソフィヤがいてよかった、という話のはずだった。かたちばかりでも、明るい話を。
しばらく継穂をなくしても、快い静けさを、ふたりはあじわった。
夜の音がまさってくる。
残り火に枝をほうるのも、これで最後か、そのまた次か。
「……昔話をせびっても?」
「よかろう」ぎろりと、お題の催促だ。
「三日月旧都決戦とヴァンガード・アーテルの偶然」
ヴィクトルはつっと身をおこすと、夜気をおおきく胸にため、吐いた。ゼンもみじろぐ。肘を膝にして、素直にまった。
「炉が灯っていた」はじける炎に、ヴィクトルはかるく指を落とした。「窮屈で灰色な、深夜の集会所だった」
今年の秋はまだあたたかい。けれど彼もまた前のめりになって、撫でるようにして手を焙るのだった。
「急な招集――それも日をまたいで二度目の招集に、答えた冒険者はわずかひとりだという。
凍えたな。長机ほんの四つの空間が、隙間風で凍えていた。灯したばかりのようだった。はじける炎にもっとも近い、炉端の机の椅子をずらして、奴はまさにこうして座り込んでいた。
暗に聞いていたように、戸をまちがえた物乞いではあるまい。旅慣れた風采だった。しかしどうやら、なんの得物も持参していない。
戸惑いながら案内を遂げた補給官に、俺は催促する。
剣を。
はたと男は振り向いた。顔なじみでも席に呼び込みように、気安く高く手を挙げて――お構いなく!と。
それにしても陰気な夜であった。
壊滅の報せが……ほとんど噂じみたそれだが、流布するのにはかからなかった。主軍を率いた筆頭統括騎士は、首をおのずから断ったという。
水源をつかさどる集落近辺かと推定される、"大穴"の出現位置は"高地"。悪天の隘路をゆける戦力は限定的であり、逐次投入を余儀なくされるのだった。
のこされた八百名の兵を周辺封鎖と都市部防衛の任にあてて、夜明けを待たずに、俺はほとんどひとりで向かう気だった」
「引責?」
「あるべき情報や友軍を阻んだのは然り、"狼裾"が"旧都"にこじつけた因縁……」
ヴィクトルは首を振って、それ以上の政治を嫌悪した。ゼンも内緒で聞いた話だが、アムソフィヤ曰く、ときのサンドバーン夫妻は人質交換の駒に似ていた。
「認めねばなるまい。
都合のよい道連れを求めていた。俺の生涯を飲みこむに足るだけの広い淵も。
日々にひどく疲弊していたのだ。
さて今夜の志願者は、伝令役にでも資してくれようか。
なにも行き届かない臨時の施設だった。歩を進める先に、その大男はいた。ぼろの机のおもてを思いついたように撫ぜ、指に吹きかけ、埃ぶりを磊落に笑う。とった帽子をはたき散らす。胸にして立ち上がる。
目の当たりにして、この俺が見上げねばならない。なにより異様に古傷と痣だらけの、その龍のごとき拳。はっきり言って、好奇心につき動かされた。冒険者、名は」
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『ヴァン。ヴァンガード・アーテル。あんたは?』
『ヴィクトル・サンドバーン』
『さては良いとこの出だな』
当たらずしも俺は迷ったものだ。男の微笑みは、なにもかもを見透かしているかに思えた。かわした手はどんな金よりも硬く、しかしあたたかみがある。
『ま、お座んなよ』
『……』
どんな因果かわからんが、それからの俺は至極すなおだった。
すすめられるまま腰をかけると、おのず肘をついた先で深くため息が出た。
『助けが要るって?』
『……ああ、助けが欲しい』
このかたみない己の態度に、あきれ返るほどだった。
『なにもかも投げ出してしまいたいが、それさえ俺ひとりでは不可能だ』
そういうもんかね、と男はただ目で告げると。
『ど~しても、手にしてみたいものがある』
身体を起こして、腹のベルトをさっとさわった。
『かなり駄々こねてみたんだが……これ以上のシロモノとなると、そんじょのお手柄じゃ頂けそうになくってね』
男が指にとり、しゃっしゃと回してみせる不明なそれを、俺はしばらくぼんやりと眺めていた。なんの手品であろうか。机上にぽんと落ちついてから、正体にようやく気がついた。
銃だ。
その回転式弾倉の大型拳銃は、アメイジア将校の懐で盗み見たことがあるだけだった。
くすんだ鋳鉄のような長い銃身で、ほのかに発光する刻印は、正当性を告げている――それくらいの知識は備えていたな。
刹那に経たさまざまな類推は省こう。ともかく思った。
俺がダメでも、もしやこの男なら?
『一筆のこしておこう……』
『よしきた、お供しますとも!』
おもてに出ると、みぞれに空が鳴っている。悪心の色が近かった。忌まわしい満月も。
ただ夜が深まるにつれ意外にも……踏みしめる霜は輝いて見え、魂に絡みつくような凍えは、どこかへ去ってゆくのだった。
そういえば……。
先刻までの猛吹雪を、この男はどうして濡れずにこれたのであろう?
『……家族にはうまく伝えてほしい』
つららをはたき落としてしまいそうな笑い声が響いた。
『そいつはできない約束だ』
明るかったな。撫でつける、月光色の金髪が。
『あんたって、いかにも勝ちそうだもの』
『なにを根拠に』
『"聖なる剣にして勝者"、名が語ってる!』
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「よりにもよってあのときに、奴をつかわしてくれたのは何者なのか。見えない何かのお導き……?」
焚火がひときわ大きく鳴った。
「まさか水の女神ではあるまい」
その先のことはゼンも知っている。
死者の大軍と、氷の息吹の腐竜を退けて、ふたりはうたわれる英雄になった。
けれどヴィクトルの心境は優れることなく、むしろ悪化し、東へ光明を求める道で"商隊"と出会う。
「物語は『臭くて食えん焼き川魚に、牛のしょんべんのような酒の出る酒場』へ、ですか」
ヴィクトルはおだやかに鼻を鳴らした。
「あれはひどかった」
ヴァンガードとの大喧嘩のすえ、ヴィクトルは王国行きを目前で断念する。
大人たちは明かさなかった。なにがヴィクトルをかようにも追いつめ、何もかもかなぐりすてるよう、駆り立てたのか。
――自分自身への失望……。
ものごとが見えてきて、ゼンはまぎれもなく思う。できるだけ手を貸してやりたいと。
「今度のこと、こころゆくまでお任せください」
「助かる」
役割を引き継いだのである。折に触れ『俺が寝台で死ねれば』と俯くこの陰気な師匠の、背を叩くなら自分しかいない。
「だからって、例の約束はしませんよ?何度頼まれたって」
苦く笑ってヴィクトルは目をそらした。
「……その面はやめろ」
「またまたできない約束です」
契約更新の儀式であった。万一のときは請け負おう。そんなことったらありえないけれど。
"満月"が近いのであった。
「あの姿を知るのは?」
「妻だけだ」
「どんな方です?」
これは突っ込んだ質問である。『会えばわかる』のいっぺんばりで、いい加減フランもあきらめていた。
「……泣いて私の無謀をなじるくせ、己の身をまるで顧みない」
なるほど誰かさんに似ている。
ゼンはうしろに黒馬車の様子をみた。連日の埋葬につかれて、しんとしている。夜更かしもいいかげん怒られまい。
「みな寝静まったようですし……」
ほんの冗談の口ぶりであったが。
「いかがです、そろそろ作戦会議でも」
思うよりこれが役立った。
――事の全貌を次善に鳥瞰できる立場を、めぐりあわせはゼンによこすのである。けれども、そう、興味深いことに、この一編での"少年"は、いなくとも事足りる脇役だった。




